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第76話

 イスキアは、ふくれっ面を両手で挟みつけて無理やりこちらを向かせた。  赤ん坊は時が満ちると自然に這いはじめる。やがて摑まり立ちができるようになり、徐々に歩きだす。  単に唇をついばむ以上の接吻へと一段階のぼるのは、拡大解釈すると赤ん坊の成長過程に相通じるものがある──と溺愛道は説く。  なよやかに柳が枝垂れるさまは、抜群の舞台装置だ。イスキアは祭壇の前で永遠(とわ)の愛を誓う、その予行演習を行うように粛々と唇を重ねていった。  そして自身の舌を絵筆に見立てて、適度な弾力があって魅惑的な曲線を写し取る。笑み割れるザクロの実さながら結び目がゆるむのを待ちわびて繰り返しノックするうちに、ついに願いが叶えられた。  門番のごとく(とざ)された歯列を舌で割りほぐして、すべり込ませる。なかば夢心地で(おとな)うた口中は汲めども尽きぬ泉より豊潤で、当たり年の葡萄酒の何倍も芳醇だ。 「おれが先にチュウしたのが癪にさわって、腹いせにベロを入れてきた、とか……?」 「純粋にしたいから、するのだ。四の五の言わず、くちづけられておきなさい」  私語(ささめごと)が唇のあわいをたゆたうと、黒い瞳が逡巡をあらわに揺れ惑う。 「え……っと、純粋にって結局、どんな意味」  ──そなたを愛しいと思う気持ちがひと粒ずつ降り積もっていったすえに、いわば壺からあふれ出したのだ。  と、矜持も外聞もかなぐり捨ててぶつかっていける性格なら〝片恋こじらせ童貞三十路男〟という情けない称号をとっくの昔に返上している。真情を吐露するのが下手なぶんも、思いの丈を込めて唇を食む。  我こそは恋の虜なりと、くちづけを通じて伝えたい場面において生半可な知識はかえって不要。溺愛道の教本にて図解入りで説明があった、接吻の作法その一も、その二も本番においてはガラクタ同然になり下がる。  本能の声に従って、羞じらうように縮こまった舌をたぐり寄せた。

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