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第77話

 (さや)かな月の光がゆらゆらと水面と戯れるさまは、船上のふたりへの美しい贈り物のようだ。穏やかな流れに任せて小舟は水車の傍らを通りすぎた。太鼓橋をくぐり、職人衆の集落を横目に、なおもすべらかに進む。 「ん……しつ、こい……」  搦め取られた舌を振りほどくはしから、根こそぎにする勢いで吸われるありさまでキリがない。  くちづけが深まるにつれて、ハルト中でも謎が深まる。ちょっと前までイスキアは、やることなすことカチンとくる存在だったはず。なのに好きだの嫌いだのという次元を通り越して、くちづけを交わすのは宿命(さだめ)のような気さえするのは、どうしてだろう?  だいたいウエッとなるどころか、むしろ嬉々として舌を吸い返す日が訪れるなんて天変地異の前触れであってもおかしくない。チュウは心を蕩かす蜜の味。それだけに舌と舌で睦まやかに語らう感触に病みつきなるのは、怖い。  外堀を埋められて祝婚の場へまっしぐら、といってしまいそうだ。 「調子に乗りすぎ、もう、おしまい!」  後戻りができなくなる前に急いで唇をもぎ離した。そのくせ物足りなさを覚えて、悩ましく艶めいた唇をねだりがましく見つめてしまう。情熱的な舌づかいに翻弄されどおしだったのを踏まえて、次回は主導権を握って、風味豊かな口腔を隈なく探索してみたい……、 「馬鹿! おれの馬鹿スケベ、馬鹿スケベ!」  ハルトは船べりにゴンゴンと頭突きをかまして己に猛省を促した。すると(たっと)いものに触れる、おずおずさかげんで黒髪をひとふさ梳きとられた。 「草原の片隅で露と消えるところを年端のいかぬそなたに助けられて以来、あえて没交渉を貫いていた十年の歳月(としつき)のあいだも、そなたのことを想わぬ日は一日たりともなかった」    ふたり、ひと塊になったシルエットが水面(みなも)にしっとりと映り込む。漕ぎ去りがたいと波間をたゆたいつづけ、東の空が白んできてからようやく帰路についた。    余談だが、吉日を選んでイスキアが主催するお見合いパーティーが開かれた。絶賛嫁募集中を合い言葉に水妖族の青年が十二名、ワシュリ領国からは怖いもの見たさも手伝って二十人の娘が参加した。うち三組が結婚を前提とした交際をはじめ、しかし洞窟で出会ったアネスはパーティーの発案者であるにもかかわらず、 「フラれて、フラれて、全敗っす」  とのことで、雪辱戦と称して第二回お見合いパーティーを開催してくれるようイスキアを拝み倒した。かくして湖底の村へと泳ぎ去る後ろ姿に哀愁が漂っていたのは言うまでもない。

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