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第80話

 風船? いや、違う、ゴンドラを吊り下げているあれは、冒険小説の挿絵に描かれていた熱気球だ。  ハルトはきょとんとしながらも反射的に手を振り返した。すると標的を発見、というふうだ。ぽけっと突っ立ったままでいるうちに熱気球がだんだんと高度を下げて、それから投げ縄を放って野獣を生け捕りにする要領だ。  ゴンドラからハルトめがけて縄が投げ落とされた。縄の先端には鉤がくくりつけられていて、狙い過たず、サッシュベルトをがっちり捉えた。  すかさず熱気球が上昇へと転じた。斜め後方へとサッシュベルトが引っぱられた勢いでつんのめり、つづいて爪先が浮いた。  篝火(かがりび)を焚くための鉄籠を咄嗟に摑んだものの、ゴンドラに人影はふたつ。ふたりがかりで縄を引きあげられると太刀打ちできない。鉄籠もろとも三叉の支えが横倒しになった。  その光景は、さしずめ大形(おおがた)の魚を釣りあげる図、だ。鉤を支点に持ちあげられるにしたがって、躰がへの字に折れ曲がっていく。 「えっ? えっ? 何!?」  あれよあれよという間に四阿(あずまや)の屋根が眼下に遠のいていく。程なく鐘つき塔に触れられる高さに達した。領主館(別館)の本棟と、東西の(よく)からにょっきり突き出した煙突の上を通りすぎるころには、柳の並木は本来の四分の三の大きさだ。  黒髪が空中で扇形に広がり、チュニックがはためく。ゴンドラが揺れるたび縄がぴんと張り、あるいは逆にたるむ。とびきり鎖の長いブランコを漕ぐような動きが縄から鉤へと伝わって、胃がせりあがる。  ひとつ、ふたつと水路の分岐の上空を通りすぎ終えたころ、ようやく思考回路がまともに働きはじめた。ハルトは今さらめいてゴンドラを()めあげた。洗濯物じゃあるまいし人をぶら下げやがって、いったい誰の仕業だ? 「下ろせ、下ろせったら!」  全身をくねらせた拍子にサッシュベルトが少々裂けた。宙吊りの状態で下手に暴れて鉤が外れたが最後、地面に叩きつけられて一巻の終わりだ。  やがて湖の上に出た。せーの、の掛け声とともに投網を引きあげるように縄がたぐり寄せられていく。数十秒後、ハルトは無事ゴンドラに収まった。だが、ただ単に面食らうという次元を通り越して騙し討ちに遭った思いがする再会劇が待っていた。 「ジリアンさんとユキマサが、なんで……?」  かたや胡散臭い、イスキアの従弟。こなた羊飼いとしては先輩格で、且つ兄貴分の幼なじみ。  対照的で、まったく接点がないはずのふたりが、どうして片方は縄を束ね、もう片方は空気の加熱具合を調節している?

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