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第82話

 と、恋狂いの道をひた走っているさまなどにも出さず、緑色がかった金髪をなびかせてたたずむ姿は威厳にあふれて、乗組員たちが畏敬の念を抱く。  なかでも心服しきった様子でキュウリ茶を捧げ持ってきた水夫見習いに、 「恋人ができたと小耳に挟んだ、そのほうの幸運にあやかりたい。想い人をしっかり、がっちり獲得するコツを伝授せよ」  イスキアのほうが逆に教えを請いたい。  髪飾り風の帽子をずらし、霧吹きで〝皿〟にシュッ。あと一歩の勇気が出ないせいで随時、水分を補給する必要がある理由について依然としてハルトに秘密にしているという腑抜けっぷり。  それはイカサマ賭博でぼろもうけを企むのと、どう違うのか。イスキア・シジュマバートⅩⅢ世の祖先は水妖と系統的にきわめて近く、人外に属する。いいかげん洗いざらいぶちまけないことには、両思いになるもへったくれもない。  だが○○なんだあと、あっさり受け入れてくれるとは到底思えないのだ。気持ち悪がられたあげく〝皿〟をかち割られる未来が待っている気がして結局、現状維持に走ってしまうありさまだ。  自嘲的な嗤いに顔がゆがむはしから、くちづけのひと幕を思い起こすと、細胞という細胞が〝愛しい〟を(もと)に活性化するようだ。舌でじゃれ合えばじゃれ合うほど勝気な表情が蕩けていくさまといったら!  「可愛らしい、と言い暮らしても言い飽きぬ……」  色ボケ丸出しのため息がこぼれた。からくも波音にかき消されたのと相前後して、船長が(かしこ)まって話しかけた。 「イスキアさま、本日は向かい風のため到着が遅れております。お時間をちょうだいして申し訳ございません」 「よい、のんびり湖を渡るのもオツなものだ」  それは建前で、本音はこうだ。ハルトに会うのが待ちきれない、風を味方につけるのが無理ならば、わたしが帆を扇いで船足を速めてみせよう。  ともあれ船長を退()がらせた。その直後、ふわりふわりと小島のほうから飛んでくるものが、エメラルドグリーンの瞳に映った。 「あれは、熱気球というやつではあるまいか」  イスキアは赤みを帯びはじめた空の一点を見つめた。やはり気球だ、次世代の移動手段として脚光を浴びる、あの乗り物を操縦して空中イチャイチャを愉しんでいるところを想像してみた。  突風に煽られてゴンドラが揺れた、ハルトがしがみついてきた、ぐいと抱き寄せて剛胆さを発揮する好機到来とくれば、 「わたしがついている、怖がることはない。そなたのことは命に代えても護る」    完璧だ、じつに素晴らしい! 妄想劇場の中では溺愛道の奥義を極めていて、殺し文句を紡ぎ出すくらいチョロいものなのだ。

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