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第83話
領主館(別館)に着いたら早速、伝書鳩を飛ばそうと決めた。そう、熱気球の製造を請け負う工房に宛てた注文書を託して。自分の髪の色とハルトのそれに因 んで、袋の部分には金色と黒い布を用いること、と条件をつけるのを忘れずに。愛の結晶号と命名して、初飛行はすなわち新婚旅行──。
咳払いひとつ、帽子を留めつけなおした。そして眉根を寄せた。ゴンドラが、ぐらんぐらんと揺れて危なっかしい。何やらどっすんばったんやっている様子で、飛行中に気球本体とゴンドラを結ぶ縄が切れることがあれば、
「墜落するではないか……まことに、そなた、か?」
イスキアは、らしくもなくきょとんとした。恋する者の目は、たとえ濃い霧が立ち込めていようとも想い人の姿をはっきり捉える能力を有する。反面、木目さえ想い人の顔に見えるという欠点がある。だが今しもゴンドラの縁からはみ出した黒髪は……、
「誰か、望遠鏡を持て」
と、命じて数十秒後。望遠鏡の照準をゴンドラに合わせたとたん、でれでれと目尻が下がった。わたしに限って見間違えるわけがないのだ。やはりハルトだ、ポンチョをまとった大柄な青年めがけて砂袋──熱気球が降下するさいの速度を調節する錘となるもの──を投げつけて勇ましいことだ。
しかし、と望遠鏡の筒をがりがりと引っかく。どういういきさつから、わたしに黙って空の旅に出かけることになったのだ? しかもジリアンが一緒とは、かてて加えて厚かましくも馴れ馴れしくハルトの肩を抱くとは、憎 き所業。
「ジリアンよ、こざかしい従弟よ。即刻、わたしの許婚から離れるのだ。こら、さわるな、〝皿〟に塩水をかけてくれるぞ!」
帆柱によじ登って怒鳴り、だが向かい風に押し戻される。それでも、おまえを撃ち落としてやるとばかりにジリアンめがけて望遠鏡を放り投げると、命中はしないまでも殺気は伝わった。
ジリアンが湖面に視線を移した。船でいうと舵にあたる綱を上げ下げしながら、わざとらしくも恭 しげにハンカチーフを振り、
「やあ、ごきげんうるわしゅう従兄殿。バッ、ハハーイ」
反対方向へ遠ざかっていく形に快速艇とすれ違いざま、お尻ぺんぺんで挑発してきた。
ハルトがその尻を蹴りあげるのももどかしく、ゴンドラから転げ落ちかねない勢いで身を乗り出した。そして叫んだ。
「どこへつれていかれてもイスキアがきっと捜しにきてくれるって、信じてる!」
「安心するがよい。地の果てだろうが空の彼方であろうが、必ずやそなたを迎えにまいる」
指切りゲンマンをするように、ふわふわと舞い落ちてきたサッシュベルトがイスキアの手首に巻きついた。その間に、熱気球は追い風に乗って悠々と飛び去った。
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