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第86話

「ぶつぶつ独り言を言って暗いなあ。ほらほら幼なじみくん、慰めておやりよ。ほだされてもらえるよう、がんばって口説きたまえ」 「うっす。なあ、本当に駆け落ちしようぜ。あくどい許婚なんかより俺のほうが断然、おまえを幸せにしてやれるって。夜のアレにしたって、おまえが満足するまで何発でも」  スケベったらしく腰をかくかく振るのに、干し芋が詰まった布袋を投げつけて返す。ユキマサとは裸んぼうでじゃれ合って育った仲だが、兄貴分以上でも以下でもない。  第一、今の自分は半分人妻……もとい人夫(ひとづま)も同然。不貞を働くのはイスキアに対する最大の裏切り行為で、彼の顔に泥を塗ることがあれば自分で自分を許せない。  庶民の住宅街といった雰囲気を漂わせる、丸屋根がひしめくあたりを通過した。川を挟んだ界隈にはお屋敷がでん! でん! と在り、とりわけ豪壮な石造りの邸宅が目的地だ。  ジリアンがバルブを閉じると、気球に温めた空気を送り込む装置が止まった。ユキマサがゴンドラの縁に結わえつけた砂袋をせっせと投げ下ろし、指示されて、ハルトはしぶしぶ索縄をたぐり寄せた。  芝生を敷き詰めた庭に着陸したものの、ドタバタ喜劇の様相を呈する。浜辺に打ち上げられたクラゲさながら、へにゃんとなった気球がゴンドラにかぶさってきた。 「幼なじみくん、僕の上から即刻どくのだ! 無駄に重い、減量するのだ、つぶれるう」 「すんません、縄がこんがらがっちまって」  ジリアンとユキマサは知恵の輪を抜き離すようにもがき、だが、かえって気球にくるまれる形になって団子状に転げ回る。  かたやハルトはするする這い出すと、豪邸を振り仰いで目をぱちくりさせた。 「ここ、どこ? 誰の家?」  港の方角は、この屋敷でもキュウリの蔓を絡ませたアーチのほうなのか。それとも二頭立ての馬車が折りしも走り去ったほうなのか。  ともあれ港に先乗りしておけば、快速艇が到着してイスキアが上陸ししだい一緒に街を散策できる。ならば行動あるのみ。  建物の向こうへ延びる小径(こみち)に沿って歩いていけば、門なり、跳び越えられる塀に行き当たるはず。早速そちらへ向かいかけた矢先、庭に面したガラス戸が開いて妙齢の女性が現れいでた。  水妖族のアネスがこの場に居合わせていれば、 「うひゃあ、モノホンの巨乳っす、ぼいんぼいんっすね」  尾ひれもどきの下肢をばたばたさせること請け合いの、メリハリの利いた躰の線を強調するドレスが夕映えの空のもとでひときわ華やかだ。赤銅色(しゃくどういろ)の髪が豊かに波打ち、ちんまりと帽子を留めつけている。  イスキアのそれと(つい)をなす意匠の、金細工の帽子をツムジに。

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