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第93話

 ともあれ客観的に見てカッコいいのは確かだ、と思う。しかも領主夫人の座に就けるとなったら、エレノアにかぎらず数多(あまた)の美女が恋人に立候補したはず。ただ、許婚の立場から言わせてもらうと本人の(あずか)り知らないところで二股をかけられていたも同然で、 「あの、艶っぽい女性が恋敵……」  また紐革をほどいて、ぎりぎりと締めなおした。横入りするな、シッシッ。などと独占欲をむき出しにしてエレノアの前でイスキアに抱きついてみせるなんて、みっともないザマは死んでもさらすものか。 「エレノア嬢は、お召し替えの真っ最中さ。彼女を虚仮(こけ)にした相手が餌に釣られてじきにやって来るわけだからね。逃した魚は大きいのを知らしめて、あわよくば恋人に返り咲こうって肚さ」    そう、ぺらぺらとまくしたてると再び画帳に木炭を走らせはじめた。  ハルトはムキになって紐革をよじり、毛羽が立ってもさらによじった。イスキアがエレノアとを戻そうが、どうぞお好きに、だ。考えようによっては、むしろ好都合で、発展的解消ののち故郷の村に戻って人生をやり直す。  キュウリをかじるたび領主館(別館)への慕情をかき立てられるかもしれないが、イスキアに関する記憶は削除する方向で、世界一の羊飼いをめざし汗水を垂らして働くのだ。  たまに……あくまでチュウの感触が甦って唇がひりつくことがあっても、イスキアのことなんかこれっぽっちも思い出してあげない。 「でーきた。我ながら素晴らしい出来栄えで己の才能に惚れ惚れするね。題して悩める若人(わこうど)……違うな、ずばりヤキモチ」  画帳がランプに翳された。新たな素描はハルトの肖像だ。ふて腐れた表情を描いた、というより切ない胸のうちをえぐり出して紙の上にとどめた。そういった色合いが濃い一枚で、深読みすると嫉妬心がくすぶっているように見えなくもない。 「エレノアさんを妬くとか、好き勝手に話を作るな、迷惑だ!」  声を荒らげて画帳を奪い取るなり、くだんのページを破り捨てた。つぎからつぎへと人をからかうネタを見つけてくるジリアンのことも、こうしてやりたいとさえ思う。〝鳥かご〟から脱出ししだい小型版のベレー帽をひったくって厩舎へ走り、馬糞の山に押し込んでやろう、絶対そうしよう。 「おーい、力作の感想を聞かせてくれよ」  ハルトは学習した。いじめっ子は無視するのが一番だ、と。なのでチュニックを脱いで、頭からすっぽりかぶって狸寝入りを決め込む。  その間も、ため息がつづけざまにこぼれる。俗に、ため息を一回つくごとに幸せがひとつ逃げていくという。その伝でいくと罠にかかってからこっち、いくつの幸せが指の間をすり抜けていっただろう。

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