97 / 143

第97話

「おのれ、ぬけぬけと。だいたい根無し草のごとく、あちらへふらふら、こちらへふらふらの貴様が、なにゆえ宰相の屋敷に厄介になっているのだ。実直な家臣をたぶらかして謀叛(むほん)を企てようものなら……」  キュウリ酒のコルク抜きの、その螺旋を描いて尖ったほうを、にやにや顔に突きつけた。 「鼻の穴が増えると思え」 「って、自分のことは棚にあげて偉そうに」  コルク抜きがはたき落された。ハルトが(まなじり)を吊りあげて詰め寄ってくるのに気圧され、イスキアは反射的に髪飾り風の帽子を手で押さえた。 「おれがつれてこられたのは、あんたが蒔いた種ってやつ。のエレノアさんを袖にしたのが巡り巡って、八つ当たりされたっぽいんですけど?」  キュウリの苗からトウモロコシが実った、というくらい面食らった。〝皿〟までが疑問符に取って代わられた気がして、イスキアは部屋の端から端まで行ったり来たりしながら事態を把握するよう努めた。 「エレノア、エレノア……ハース宰相の末の娘が、かような名前だった憶えがある。だが晩餐会などで紹介を受けた折に、せいぜい二言三言話した程度にすぎぬ相手に元恋人と冠するとは異なこと、摩訶不思議である」    不信感もあらわに()めあげられて、つい、うっかり睨み返しつつ言葉を継ぐ。 「大方ジリアンに、あることないこと吹き込まれたのを鵜呑みにしたのであろうが、そなたは、からかわれたのだ。わたしにやましい過去は何ひとつないと誓う」 「モテる男の常套句かもね」  へらへらと混ぜっ返すジリアンを、氷点下の眼差しで黙らせる。一拍おいて、精いっぱいの笑顔をこしらえてハルトに向き直った。 「わたしは根っからのカタブツだ。メイヤーに訊いてみるがよい、片っ端から縁談を断りつづけてきたのはもちろん、女っ気があったためしがないと断言するであろう」 「ふうん、だ、メイヤーさんは主君の意ってやつを()んでごまかすに決まってるもんねえ、だ……エレノアさん、綺麗だし」    事、恋愛方面においてはからっきり駄目、と自虐的に分析するイスキアにしては珍しくピンときた。  腹を立てているがため、というより切なげにゆがんだふくれっ面が示唆するものは、つまりハルトが引っかかっているのはイスキアの過去に女性の影がちらつく点だ。  イスキアは、今度は〝皿〟がほんのりと赤らむのを感じた。Aさんに対抗意識を燃やすのは、とりもなおさずAさんとチョメチョメな関係にあった、と名指しされた某人物を特別視しているから生じる感情に他ならない。端的に言えば──恋の芽生え。

ともだちにシェアしよう!