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第99話

 エレノアがイスキアの真正面に立って嫣然(えんぜん)と微笑んだ。 「当家にようこそ、ごきげんうるわしゅう」 「いきなり訪問した非礼を詫びる。掌中の珠である許婚が、いささか型破りな方法で御宅に招かれた(よし)につき、礼を欠かざるをえなかった」  イスキアは鷹揚、且つ皮肉たっぷりに応じた。香水が甘ったるく香り、クシャミが出そうなのを堪えているせいで、よそゆきの表情(かお)をこしらえるはしから眉間に皺が寄る。くだらない、と腹の中で毒づく。エレノアとは舞踏会で社交上、一曲くらい踊ったことがあるかもしれないが、仮に洗濯女が彼女の名を(かた)って接近してきたところで本物と見分けがつかない。  要するにイスキアの精神世界においてハルトはぶっちぎりの一等賞であり、二位以下はひとしなみにその他大勢なのだ。今も、そうだ。エレノアが婀娜(あだ)っぽい流し目をつかおうとも、が媚びるとは面妖な、と黙殺を決め込んで(はばか)らない。  かたやハルトは〝鳥かご〟から下りそこなったきりでいた。なぜなら緑がかった金髪と、赤銅色の髪という違いはあっても、留めつけられた髪飾り風の帽子はやはりおそろいの品に見えて、躰が自然と強張ってしまうせいだ。  ちなみに、くだんの帽子は特注の模造品にすぎない。元恋人と称するにあたり、エレノアは話に信憑性を持たせるため小道具にもこだわった──と、こういうわけだ。  エレノアにしてみれば、ハルトはワシュリ領国の全女性の頂点に君臨するのを阻む障害物。競争相手を蹴落とすためとあらば、いささか狡猾な手段を用いるのもやむをえない、といったところだ。  ともあれ家鳴りを怪物の足音と錯覚して怯えるのと原理は同じだ。ランプの灯りが乱反射するとおかしな影が生まれて、エレノアがイスキアにしなだれかかり、イスキアが抱き返す場面が展開されるのは時間の問題のような気がして、なおさら凍りつく。  おれの許婚に馴れ馴れしくするな。そうとエレノアに食ってかかりたいのは山々だが、イスキアに鬱陶しがられたら? 嫉妬心を養分に負の感情が肥え太っていくのは生まれて初めての経験で、百万頭の羊の群れを任されたように持て扱う。  ハラハラとなりゆきを見守る先で、エレノアがしとやかに掌を揺らめかせた。 「粗餐(そさん)なりと差しあげたく存じます。夕餉(ゆうげ)の間へ、どうぞご一緒に」 「いや、用事はすんだ。おいとまする」  イスキアは、ぴしゃりと一蹴した。そして高い枝から下りられなくなってミィミィ鳴き、ふぅふぅ唸る仔猫をあやすように〝鳥かご〟の下で腕を広げた。

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