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第100話
「下りてきなさい、いや、下りておいで」
「……おれ、おじゃま虫っぽいから。せっかく誘ってくれてるんだから、ご馳走になれば」
「そなたとともに食すキュウリに勝る美味などありはしない。抱きとめてあげよう、さあ、ぽんと飛ぶがよい」
「さすがは名君の誉 れが高いイスキアさまですこと。へちゃ(むくれを巧みに濁したのは天晴れである)が我がままを言っても慈愛の精神で接して、なんて寛大なのでしょう」
と、エレノアはおさおさ怠りなくよいしょする一方で、獲物にのしかかる女郎蜘蛛さながら、さりげなくイスキアにすり寄っていく。
ジリアンは忍び足で壁伝いに移動しながら、含み笑いを洩らした。
領主夫人なる称号は稀少価値が高いという次元を通り越して唯一無二のもの。あわよくば、との野望を抱く上流階級の娘たちの中でも、女の勲章を摑み取る機会を虎視眈々と狙っていた一番手がエレノアだ。だが実際にはイスキアを射止めるどころか、ケンもホロロにあしらわれるとくる。
一顧だにされない理由というのが傑作だ。羊飼い風情の! しかも男の子! という伏兵の出現によって将来設計に壊滅的な狂いが生じたとあって、エレノアの自尊心はずたぼろだ。
だからといって泣き寝入りするタマではない。イスキア強奪を目論む、いわば野心家の執念はすさまじく、利害が一致して現在に至る。
ジリアンは炉棚の陰にひそんで慎重に距離を測った。標的は髪飾り風の帽子。返しがあるピンでがっちり留めつけてあるうえ、従兄殿は帽子に危険が迫ろうものなら異常に勘が冴える。
ハルト、そしてエレノア。役者がそろった今夜にしても、警戒心が薄れる瞬間を辛抱強く待ちつづけていたのだ。
〝鳥かご〟をちらりと仰いだ。ある意味、籠城中のように動かないシルエットに向かって心の中で語りかける。
外見的には純血のヒトに限りなく近い段階にまで進化を遂げたのちも祖先の痕跡を残す箇所がある。我ら種族の象徴があらわになる瞬間を、大きなおめめをパッチリ開いてしっかり見届けなよ、ハルちゃん。武者震いがする、いざ……っ!
「隙あり!」
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