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第104話

 黒髪が床を掃くに至ってイスキアはようやく我に返った。ハルトに駆け寄るのももどかし く、ぐんにゃりした躰を慎重に抱き起こす。 「さだめし驚いたであろう。常に帽子をかぶっている理由はカクカク、と真実をさらけ出すのを避けつづけてきた怯懦(きょうだ)を嗤うがよい」  ふだんのハルトならば減らず口を叩くなり、笑みを浮かべるなり、するはず。ところがウンともスンとも言わないさまに、イスキアは胸がつぶれる思いを味わい、苦いものを飲み下した。  わたしがグズグズしていたばかりに、最悪の形で秘密のヴェールが剝ぎ取られてしまったのだ。無垢な精神(こころ)を襲った衝撃は、いかばかりか。  思い悩むのは後回しにして気付け薬を服ませなければ。それより急ぎ、領主館(本館)につれて帰って医者に診せよう。  イスキアは即座にハルトをマントでくるんで抱きあげ、だが、そこで魂があるべき場所におさまったようにハルトは猛烈にもがきはじめた。転がり落ちて一瞬ののちにすっくと立つと、強い眼差しを向けてきた。そして(つるぎ)が一閃した鋭さで言い放った。 「河童の分際で気安くさわるな!」 「分際、分際ですって!? 聞き捨てならないとはこのことだわ。たとえイスキアさまが不問に付すとおっしゃっても赦さなくてよ」 「しゃしゃり出ることは(まか)りならぬ」  イスキアは、エレノアをひと睨みで制した。とはいえ、とどのつまりが身から出た錆。純血のヒトに(あら)ずと告白しておけば、せめて匂わせておけば、愛らしい顔が嫌悪感にゆがむさまを目の当たりにする事態は免れたかもしれない。  ツケが回ってきたのだ、と自嘲的に独りごちるにつれて〝皿〟が縮かんでいくような気がした。  悪あがきにすぎない。イスキアはそう思い、それでもハルトをまっすぐ見つめて、切々と声を振りしぼった。 「そなたを愛おしく想う気持ちに偽りはない」  ハルトは耳に指で栓をすると、いやいやをしながら後ずさっていく。壁にぶつかると、外界を遮断するようにうずくまった。  煉瓦を一個、また一個と丁寧に積みあげて築いた城が崩れ落ちる幻をイスキアは()た。今さらながら怒りがふつふつと湧いてくるまま、ジリアンに詰め寄った。 「従弟よ、なぜだ、なにゆえ余計な真似をしてくれたのだ。面白半分にしても性質(たち)が悪い、わたしにどんな恨みがあるのか申してみい」

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