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第105話
ウタイ湖は面積が広いだけでなく上質の漁場でもあり、ごく稀に魚に混じって真珠を抱 く貝が網にかかる。
イスキアは思いを馳せる。十年ぶりに再会を果たした当初のハルトはとびきり堅い殻に包まれているように頑なで、それが最近ではにこやかに接してくるどころか、甘えたそぶりを見せてくれるまでに打ち解けてきた。
天然の真珠の、何万倍ものまばゆい笑顔を向けてくれるほど心が通いはじめた矢先、溺愛道の奥義をきわめる遙か以前の段階へと引き戻される。その張本人たるや長椅子の背もたれにゆったりと寄りかかって、いけしゃあしゃあとほざく。
「グズったらしい誰かさんに、なり代わって憎まれ役を買って出てあげたみたいなものでしょ。感謝しなさいって」
「おふたりとも、河童風情とひどい侮辱を受けたのですのよ。懲らしめなくては」
「手出し無用と申したはず」
イスキアは、これでハルトを打ち据えてやるとばかりに腰帯をたるませてはピンと張るエレノアを一喝した。長椅子の正面で仁王立ちになると、改めて問うた。
「おまえが、わたしに含むところがあるのは先刻承知。だが大切な許婚を傷つけるという卑劣な所業におよぶに足る謂 れなどない」
斬りつけるように語勢を強めると、ジリアンはへらへら笑いを引っ込めて曰く、
「忘れたとは言わせない。二十年前の夏、こすっても洗っても落ちない染料で僕の〝皿〟に落書きしてくれたね。おかげで学校中の笑い者、初恋のリオンちゃんまで廊下ですれちがいざま、ぷぷっと噴き出す。僕は人一倍繊細だからね、未だに傷心は癒えちゃいないのさ」
「自分に都合よく記憶を改竄 しおって。『河童の似顔絵を〝皿〟に描いてくれ』と、しつこくせがむのに根負けして、しぶしぶ頼みを聞き入れてやったのではないか。父上からこっぴどく叱られたさい、おまえは無理やり描かれたと嘘泣きして、わたしに罪をなすりつけたのだぞ。あの件を根に持つとは盗人猛々しい」
「違います、記憶を書き換えたのはそっちでしょうが。言い出しっぺは従兄殿、後ろ暗いからって僕を悪者にして、ずるがしこいのはどっちだか」
「ええい、ぬけぬけと嘘八百を並べおって。お、ま、え、が、わ、た、し、に濡れ衣を着せた、の、だ」
「足を踏んだほうは憶えてないって真理を進呈するね。とにかく! ハルちゃんと幸せ一直線なんか認めない。まっ、〝皿〟の秘密がバレたとたん、おぞましがられてる様子じゃ阻止するまでもないけどね」
「開き直る気か、痴 れ者め。猿知恵を働かせてあれやこれやと画策したおまえの罪、万死に値する」
「そこのチンクシャに罰を与えませんと!」
「……ギャアギャア、うるさい、黙れ」
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