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第109話

「あのさ、考えたんだけど……」  チュニックの袖口をめくったり下ろしたりしているうちに既視感を覚えた。ひと昔前に草原の片隅で運命的な出逢いがあった、とイスキアが主張する日の彼も、いまと同じく半病人のようだったっけ……? 「ガキんちょのおれを見初めたときも、確か、へばってたよね?」 「さよう、遡ること十年。見聞を広める旅の途中で、うっかり水を切らして」  帽子は、河童の子孫以外の領民の目から〝皿〟の存在を隠す他にも、保水力の高さにその用途がある。動物にとっての生皮に等しいものを剝ぎ取られた結果〝皿〟は急速に乾いていき、連動して破滅への序曲が流れ出すようだった。  その、ちりめん皺が寄った面積が、じりじりと広がっていく〝皿〟をつつきながら言葉を継ぐ。 「なかば死相が現れているところを、そなたに助けられた……」  ぜえぜえハァハァとあえぎつつも、熱情にあふれた眼差しを向けてきてさらに紡ぐ。 「運命の赤い糸が結び合わされた瞬間からハルト、わたしは、そなたに恋い焦がれつづけている」 「ふうん、そうなんだ、へえ」  ハルトは、せせら笑った。許婚だなんて綺麗事を並べて〝イスキア・シジュマバートⅩⅢ世〟の真の姿は隠し通していたくせして。チュウで睦まやかに語らう、その歓びを分かち合っているふりをしながらふたりの間に壁を作っていたくせして、今さらとびきり甘い声で名前を呼ぶのは狡い。 「キュウリを育てるのも楽しいけど、おれの天職はやっぱり羊飼い。じゃ、あ……ね」  あたかもヤジロベエに()げ替えられたように揺れる心の、その奥にひそむものを()みとってほしい。郷里(さと)には帰さぬ、断じて(まか)りならぬ、と彼我の境目がアヤフヤになるほどの力で抱きしめてほしい。  (こいねが)い、だが浅ましい計算が働いたバチが当たったように、微かなうなずきが返るのみ。  実は、このときイスキアは意識が朦朧としはじめていた。〝皿〟の乾きぐあいを十段階で表すと目下、七から八のあたり。ただちに〝皿〟を水に浸すなり、キュウリのしぼり汁をかけるなりしないと死神の足音がひたひたと迫る、という危険域に達する寸前のところまできていた。  もはや一刻の猶予もない状態にあるなんて、ヒトのハルトにわかるはずもない。それゆえ反応の薄さを見限られたせい、と深読みしてしまう悲劇が起きる。

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