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第111話

 ハルトは、ようやく赤みがさしてきつつある頬を両手で挟みつけた。それ以外のものでは一ミリたりとも心にあいた穴は埋まらないほど接吻を欲し、なのに唇を重ねていきながら触れ合わさる寸前で金縛りに遭ったように固まった。  それは理屈じゃない。太古、人類が漆黒の闇を恐れたのと同じように〝皿〟に対する警戒感が強まって躰を縛る。 「そ、なた……のおかげで……命拾いす、るのは……二度目、だ」  そう囁きかけてくる声がハープを爪弾くように鼓膜を震わせても、うっとりするどころか苛つく。口癖にすぎないとわかっていても「そなた」のひと言が、ふたりの間に越えるに越えられない線を引いてしまう。  溺愛道は説く。堅苦しい呼称は時として想い人を傷つける(やいば)と化す、注意せよ──。 「なあハルト。こう言っちゃなんだけど領主さまは、てっぺんハゲなのな。俺はふさふさだ、勝った」    もこもこが、すり寄ってきたのを力任せに突きのけた。改めてイスキアと向かい合うと、ジリアンが口笛を吹いて冷やかそうが、エレノアがわめこうが、ユキマサが寒い冗談を言おうが、一切の雑音が遠のく。  ランプの灯りが揺らめくにつれて記憶が甦り、長旅のすえ領主館(別館)に到着した日の、その謁見の間でのひと幕が鮮やかな像を結ぶ。  ハルト的には初対面同然のイスキアの印象は「この、おっさん苦手っぽい」。こちらは忘れ果てていたからには、将来を言い交わした云々は無効。嫁いでなんかやるものか、とジタバタしたっけ。  だがイスキアは居丈高にふるまっても根は優しい。それはカッと照りつける真夏の太陽とは異なり、冬の陽だまりのような、じわじわと心に染み入る種類の優しさだ。  嵐が吹き荒れるなか捜しにきてくれたことがあった。うっかり、さらわれてしまった今日だってちゃんと迎えにきてくれた。  唇を嚙みしめた。ハルトの半分は運命の赤い糸をほどけにくい(もや)い結びで結わえなおしたい、と熱望している。 〝皿〟についてはさておいて、ヒトと寸分違わぬ肉体にはきらきらしい魂が宿り、乾きに弱いのはご愛敬。これっぽっちも惹かれないほうが無理だ。  神話を(ひもと)くと、娘が大蛇、あるいは龍と契る例はいくらでもある。恐らく、どの物語にも多かれ少なかれ真実が含まれているからだ。  愛は種族の壁を越える。だったらヒトと河童の間で恋の炎がごうごうと燃え盛ったことだって、たくさんあったはず。  ただ、単純には割り切れないのだ。滋味に富んでいる、と言われても羊の目玉を初めて食べたときは勇気が要ったように。

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