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第115話

 ともあれ許婚の座を降りたことで、イスキアの顔に泥を塗る形になってしまった。それゆえ翻意を促すと称し、実際には力ずくで都につれ戻す気満々の使者がつぎつぎとやって来た。  ことごとく門前払いを食わせているうちに途絶えた代わりに、僭越ながら、と忠義者のメイヤーが便りをよこした。  ──イスキアさまは、ハルトさまの思い出が色濃く残る領主館(別館)で過ごすのがおつらいのでしょう、小島のほうへはめっきり足が遠のかれました。よんどころない用事でいらっしゃったときは〝皿〟もしなびるご様子でございます。  だから婚約を破棄するのは思いなおしてほしい、という主君の幸福を願う真摯な気持ちが文面の端々から伝わってきたが、梨のつぶてを決め込んだ。  イスキアからも一通だけ、手紙が届いた。心を揺り動かされるのを恐れてびりびりと破るそばから後悔して()ぎ合わせたものの結局、読まずに焼き捨てた。  ハルトはゼンジローたちを囲いの中に入れながら自分に言い聞かせる。ひと冬すぎるころには、うたかたの日々のあれやこれやなど忘却の彼方だ。おれは正しい選択をした、ふたりの絆があれ以上深まる前に縁を切ってよかった、よかったのだ。 「ハルト、どうする気なのだ」    家族と食卓を囲んでいるさなか、父親がさりげないふうを装って訊いてきた。  どうする、とは暗に何を匂わせているのかピンときた。ハルトは腸詰を嚙みちぎり、 「種付けに関しちゃゼンジローにかなり期待できるから、来年は頭数を倍に増やしたいね」  とぼけてそう答えると、 「しらばっくれおって、馬鹿もん!」  父親がすさまじい形相で身を乗り出してきたはずみにテーブルの向こう側で椅子が引っくり返った。吊り下げランプが踊り、籠に盛ったパンが踊るなか、怒声が窓ガラスをびりびりと震わせる 「領主さまの逆鱗に触れてほっぽり出されるとは、いったい何をやらかして(ちょう)を失ったのだ。キズモノとなったからには、なんとしてでも娶ってもらえ、今すぐ(みやこ)に馳せ参じて詫びを入れるのだ!」 「キズモノお!? おれは清らかなまんまだ、クソおやじ! だいたい玉の輿に目が眩んで息子の貞操を叩き売ってくれて、鬼親!」  鍋敷きを薙ぎ払って応戦すると、 「キズモノの出戻り、負けるなー」  甥っ子と姪っ子がフォークで皿をちゃかぽこと打ち鳴らす。オンドリのけたたましい鳴き声が、夜回りの当番に集合をかける鐘の()をかき消し、牧羊犬の遠吠えが加わるに至っては、しっちゃかめっちゃかだ。

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