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第117話
ブチ犬をかき抱いて嗚咽を毛皮の間に押し込めた。上の兄夫婦がイチャイチャと牧草を束ねているところに平気で割り込んでいくニブちんでも理解 る。
誰かの面影が絶えず目の前にちらつくのも、めそめそしいになったのも、キュウリに過剰に反応するのも、その原因はあれしかない。
恋わずらい──。
「うわー、今の取り消し、消えろお!」
松明 をくくりつけられたように全身が熱い。村はずれを流れる小川へ走り、ただしカナヅチゆえ、ざぶんと飛び込むわけにはいかず岸辺にしゃがむ。
ため息がせせらぎに波紋を生じさせ、心も波立つ。冗談抜きに〝キズモノ〟とやらにされていれば、運命の赤い糸は針金を縒 り合わせたような頑丈さでもって、おれとイスキアをぐるぐる巻きにしたのだろうか……?
それから数日後の昼下がり。ハルトは放牧地の一角にこんもりと在る丘を歩き回って、乾かして燃料に用いる羊の糞を集めていた。
羊たちがじゃれ合ったり、こづき合ったり、雌羊にのしかかろうとするゼンジローにブチ犬が吠えかかるそれらは、日常のひとコマだ。
緑の連なりが、なだらかな起伏を描きながら濃淡を成して地平線へと延びる。さしずめ自然という職人が丹精を込めて縫いあげたパッチワークのような光景だ。
布切れを選びまちがえたように、茶色みを帯びた場所がぽつりぽつりとある。秋は駆け足で通りすぎていく。やがて冬の訪れを告げる雪虫が舞い、羊ともども生き残りを賭けて、極寒との闘いに死力を尽くすのだ。
ハルトは汚れた火ばさみを草でぬぐいながら思った。子どものころ夢見たとおり、世界一の羊飼いをめざして邁進 するのは今からでも遅くない。
だが十年後も二十年後も羊の世話をして一日が終わる、という繰り返しにはきっと虚しさがつきまとう。
芽生えたとたん双葉を摘み取られたような恋心が、もしもしぶとく根を張ったままだとしたら……白髪頭ですすり泣いている場面が思い浮かんで、斜面を駆けのぼった。
と、巨大な風船が蒼天の彼方からふわふわと現れた。いや、籠を吊り下げているあたり、ただの風船じゃない。
「蜃気楼の類いだったりして……じゃない」
何度まばたきしても、それは確かに空に浮かんでいる。胸が高鳴って丘のてっぺんに立った。縹渺 たる草原の上空を飛行中、灯台を発見したとばかりに近づいてくるのは、やはり熱気球だ。
籠に瞳を凝らしてみると、人影がひとつ。操縦しているのは、もしかしてもしかするとジリアン?
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