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第121話

 そのころイスキアは人生、三回目となる〝皿〟の危機に瀕していた。  遡ること数時間、草原の彼方に白くて四角いものがひと塊に現れた。猛吹雪にみまわれてもびくともしない、辺境の地独特の造りの家々だ。  幻ではない、あれは、まがうかたない通称・羊村。地理的な距離はもちろんのこと、心理的にはいっそうの長旅を経て、ようやくハルトの生活圏のそばまでやって来た。  だが建物群の輪郭がはっきりしだすにつれて期待と不安が交錯し、それにともない〝皿〟も赤みを帯びたり黒ずんだりするようだ。事実上、破局を迎えるに至った経緯に鑑みて、しこりを残している可能性が極めて高い。  ハルトの元を訪れて改めて求愛しても受け入れてもらえる保証はない。むしろ、おととい来やがれと塩を撒かれて、すごすごと引き返すのが関の山では。  と、まあ、溺愛道を(きわ)めるもへったくれもない。想い人に去られて以来、片恋こじらせ童貞三十路男の呪いは、ますます悲観の度を強めまくっているのだ。それでも望遠鏡の照準を村に合わせて、今はまだ豆粒大の人影を捉えるたび心をときめかす。  小柄で、ほっそりしていて、だが元気があり余っているように溌溂した姿が今にもレンズに映し出されるかもしれない、と。  ところでジリアン号こと熱気球に便乗するに際しては屈辱的なやり取りがあったものの、その点については割愛する。  ともあれイスキアは気球に熱した空気を送り込む装置の操作を担当していた。しかし肉眼で確認できるまでに目的地に近づけば、そわそわして専用のを踏むのがついおろそかになる。  持ち場を離れて、夢中になって望遠鏡を覗いていたばかりに油断した。サボるな、とジリアンが背中をこづいてこようが気もそぞろで、籠が傾くほど身を乗り出した瞬間を狙って突き落とされた。  コスモスのひと(むら)が優しく受け止めてくれたおかげで、マントに鉤裂きができた程度で助かった。ただし遠出をするときの必携の品、すなわち水筒は籠の中。  ふわりふわりと遠ざかっていく熱気球を走って追いかけたあげく置いてきぼりを食って現在に至る、というわけだ──。  移動手段は己の足のみという状況下、イスキアは歩きつづけている。とはいえ見渡すかぎり川はおろか、お椀一杯分程度の水たまりさえどこにもない、という過酷な条件だ。  無論、河童の血を引く種族にとって最大の敵は乾き。  救いの水にありつくためには何がなんでも村にたどり着くこと。与えられた命題はそうだが、季節外れの陽気だ。  燦々と陽光が降りそそぎ、髪飾り風の帽子を通してじりじりと〝皿〟を炙る。ひとまず木蔭に避難して〝皿〟を冷やそうにも、如何(いかん)せん、うってつけの木立は目測でざっと数キロは離れた先にあるようだ。

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