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第124話

 ハルトはハルトで馬鹿に暑いと感じてポンチョを脱ぎ捨てた。忘れてしまいたいと(こいねが)い、そうするよう努めるほど、かえって心の中で巨大な岩さながら存在感を増していく姿を緑の海の中に見いだしてからこっち、ドキドキしっぱなしなのだ。 「その昔、そなたが案内してくれたのは泉、今日は池。出世したと言えなくもないな」  イスキアにしては珍しく軽口をたたくのに上の空でうなずき返す。馬を走らせていた間じゅう密着してたのが、今さらめいて強烈に作用する形だ。  全身が甘やかにざわめいて仕方がないうえ、思い知らされる。草よ花よ萌えいずるのだ、と揺り起こすように雪がまだらに残る大地を照らす、日の光を連想する温もりに飢えていた──と。  領主の務めに忙殺されている身で遠路はるばる会いにきてくれたということは、こちらの出方次第では許婚に戻る可能性が少しは残されているのだろうか。 「虫が、よすぎ……」  ハルトは自嘲的に呟くと、殊更ゆっくりと愛馬を立ち木につないだ。駄々をこねる子どもと大差ないやり方でイスキアの元を去ったくせして、どのツラ下げて、とはこのことだ。  世の中には太っちょも瘦せっぽちも、のっぽもチビもいる。河童の子孫というのも個性のひとつだ、と受け入れることができるくらい度量が大きければ、今ごろは婚礼衣装の仮縫いなりとしていたかもしれない。 〝たら・れば〟をこね回すと、なおさら天邪鬼な態度を取ってしまう。愛馬に寄り添い、たてがみを手で梳いてやりながら、ぶっきらぼうに言った。 「とりあえず〝皿〟を濡らしてきなよ」 「目下の急務は確かにそれであるな」  イスキアはマントを手ごろな枝にかけると腰をかがめた。心の準備をする時間が与えられたのが吉と出るのか、凶と出るのか。水分を補給している間に努々(ゆめゆめ)くじけること(なか)れ。  そう自分に言い聞かせつつ靴紐をほどきはじめたのだが、こんがらかって、ところどころ(こぶ)になっているせいで手間取る。  と、いきなり世界が傾いた。次の瞬間、水際(みぎわ)を転げ落ちて派手にしぶきがあがった。 「体当たりをかましおったな、何を致す!」 「もたもたしてるから手伝ってあげたの」    けたけたと空疎な笑い声が響き、イスキアはほろ苦いものを嚙みしめた。  ハルトの立場に立てば、平穏な生活を取り戻して、何ヶ月も経った今ごろになって押しかけてこられたのだ。池に突き落とすくらい、しても当然のこと。  それでいて稚気にあふれているところも可愛い、と色ボケ度数が急上昇するあたり、溺愛道の習得ぐあいの遅れを着実に挽回しつつある。

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