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愛がなければ砂の味 2
晴海は幼い頃から美しいものに強く惹かれた。その結果、大学は芸術大学に行き、陶芸を学んだ。工房は無事だったが、アパートが焼け落ちて弟の衛陸の元で暮らすようになってから出会った吸血鬼の兄弟は、晴海の琴線に触れる美しさだった。
妖艶な色気のある長男の世津、青年らしく端正な顔立ちの奈帆人、文句なく愛らしい千都。三人にすっかりと魅了されてしまって、次のアパートが見つかったら出て行こうと考えていたのに、衛陸の家に住み着いてしまった。
何が気に入ったのか分からないが、晴海の血を美味しいと言って、うっとりと吸う世津は、黒目がちの瞳も、長い睫毛も、ふっくらとした唇も、白い肌も、とても美しい。自分が濃い顔立ちをしているだけに、顎の細いすっきりとした世津の美貌に、晴海は見惚れて、話す言葉をあまり聞いていなかったりする。血を吸った後は疲れるのか、くたりと体を預けてくるのも、色っぽくて妙な気持ちになりそうになるが、吸血とは疲れるものなのかもしれないと勝手に思っていた。
「はるちゃん、世津さんのこと、どう思ってるの?」
「すごく美しいひとだと思うよ。俺の血で力になれてるなら嬉しいかな」
褐色の肌に彫りの深い顔立ちの晴海は、そこがコンプレックスでもあった。身内贔屓の衛陸は晴海がモテるとか言うが、恋愛について晴海はよく分からない。高校時代に先輩に押し倒されそうになったり、大学時代に酔わされてホテルに連れ込まれそうになったりするので、肉体関係を持ちたいと欲望を晴海に抱く相手はいるのだろうが、告白などされたことがないので、珍しい体に興味があるだけなのだろうと思っていた。実のところ、告白に鈍すぎて気付いていないことは、衛陸しか知らない。
「エリちゃん、ここに俺がいて邪魔じゃない?」
「邪魔なわけないじゃない。世津さんのこと、好きなのね」
「……身の程知らずって分かってるけどね」
ため息を吐く晴海に、「え? 世津さんの話、聞いてないの?」と衛陸が言うのも、晴海の耳には届かなかった。作りたいものがある。
仕事に集中すると晴海は睡眠も食事も忘れてしまう。工房に篭りきりになって帰ってこない晴海を、これまでは一人暮らしだったので心配するひともいなかったが、衛陸と暮らし出して、世津や奈帆人や千都と食事を共にするようになって、その生活も変わったのだと初めは自覚がなかった。
窯で焼いた磁器が冷えるまで工房で寝袋で寝て、焼き上がった磁器に絵をつけていく。朝顔、マツボタン、エリカ、サルビア……描く花に八月の誕生花が多いのは、世津の誕生日が八月と聞いていたのが頭の隅にあったからだろう。
黙々と作業を続けていた晴海の工房のインターフォンが鳴ったのは、夜が更けてからで、何事かと警戒しながら出れば、ナポレオンコートに首にショールを巻いた世津がお弁当の包みを持って立っていた。
「どうして、ここに?」
「エリさんから聞いたんや。はるさん、頬が痩けてはるよ? 寝てなかったんやない?」
寝ていないわけではないが、寝袋で床に転がって寝ているので、安眠できたとは言えない。さりっと頬を撫でた世津の繊細な指に、剃ってもいない無精髭が触れて、晴海はハッとして身を引いた。
「俺、風呂にも入ってないですし、臭いですから!」
「そんなに集中して何を作ってはったん?」
体を引いた分空いたスペースから、世津が工房の中に入ってくる。ここ数日風呂にも入らず、ほとんどものも食べずにいた、男臭い自分に近寄らせたくなくて体を避けようとするのに、世津は気にせず近付いてくる。
「これ、はるさんがつくらはったん? 綺麗やなぁ」
出来上がった背の高い、花の形を意識したティーカップとソーサーも、平皿も、小皿も、全て世津を意識して作ったもので、しみじみと手に取られて見られると恥ずかしくなる。
「差し上げます……」
「ええの? エリさんから雑誌借りたけど、はるさんて、有名な賞とらはった陶芸家さんなんやろ? その作品、ただでなんてもらえへん」
ただでさえ血を貰っているのに。
遠慮する世津に、晴海はボソボソと自分の臭い体臭が世津の方に行かないように俯いて呟く。
「世津さんがお綺麗だから、インスピレーションを得て作ったんです」
「俺のイメージてこと? 嬉しいわぁ」
花の咲き溢れるように微笑む世津に、晴海は見惚れてしまう。
「嬉しいけど、はるさんが窶れるのは嫌やで。帰ろ」
促されて、晴海は素直に家に帰ることにした。帰ると衛陸が呆れ顔で迎えてくれる。
「はるちゃん、若くないんだから、無理は厳禁よ。早死にしたら許さないんだからね」
「若くないのは本当だけど、掴めるときに掴まないと、逃げちゃうから」
浮かんだインスピレーションは掴めるときに掴んでおかないと、どこかに霧散して消えてしまう。折角出会えた世津は、晴海のミューズのような存在だが、あれだけ美しいのだ、誰か相手ができて晴海のことも、晴海の血も要らなくなっても仕方がない。
吸血鬼にとって運命というものがどういうものなのか、実のところ晴海は全然分かっていなかったのだ。
風呂に入って世津の作ってくれたお弁当を食べ終わると、世津を自分の部屋に招く。
「散らかってて申し訳ないんですけど……」
「ほんまに散らかってはる」
脱いだ服や、書き散らした図案、火事で奇跡的に残っていた食器や文房具など、それほど長居する気がなかったため、収納するものを買っていないので、そこかしこに散乱している。それを見て笑う世津のために、ベッドから本や図鑑を落として、晴海はスペースを作った。
パジャマのボタンを緩めて、首筋を晒すと普段は黒い世津の目が、キラリと赤く光る。
「不摂生で美味しくなかったらごめんなさい」
「はるさんの血が不味いわけないわ」
ベッドに座った晴海の膝の上に乗りあがるようにして、世津が首筋に噛み付いてくる。吸血のときに噛まれるのは、不思議と痛みはほとんどなく、ぬるりとした舌の感触と吸い上げられる感覚に、妙な反応をしてしまいそうになる。
そんな意図はないと分かっているのに、赤く染まった唇を舐めて、晴海の逞しい胸にしなだれ掛かる世津の色香に、くらくらと目眩がする。繊細な指先が、パジャマ越しに晴海の胸を辿った。
「はるさん、俺のこと、どう思うてはる?」
潤んだ瞳で見上げられて、晴海は心臓の音が世津に伝わらないか、慌ててしまった。具体的に世津に何かするつもりはないが、抱いてしまった下心のような汚い感情を見透かされたのだろうか。
「世津さんは、とても美しいひとです。俺に優しくしてくれて、俺を信頼してくれて……俺にインスピレーションを与えてくれるひとです」
「俺ら、相性良いんやないやろか」
言われている意味はよく汲み取れないが、世津にとって晴海の血は美味しく、晴海にとっては世津はインスピレーションを与えてくれる。そうやってお互いに利用し合える仲なのではないかと提案されたと晴海は理解した。
「世津さんが俺の血が必要な限りは」
いずれ、他の相手を見つけてしまうとしても、今必要とされているのならばそれで構わない。そう告げたつもりの晴海に、世津がとろりと笑う。
「はるさんの血が必要でなくなる日は、来ぃひんわ」
そうであれば良いのにと願わずにいられない。
特別な関係になれるとは露ほども思っていないけれど、血を分けられる程度の友人でいられるだろうか。衛陸が10年以上彼ら兄弟と仲良くしていたように、その暖かな輪の中に晴海も入りたい。
ただ穏やかに、彼らのそばにいて、長い時を生きる彼らにとっては一瞬で過ぎ去る存在で構わないから、そばにいたい。
そのためには、淡く抱いた恋心を殺しても良いと、晴海は思っていた。
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