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愛がなければ砂の味 3

 白いティーカップとソーサー、平皿に小皿。それらに描かれているのは、青い朝顔、マツボタン、エリカ、サルビア。どれも八月の誕生花だった。  美しいものを作り出す晴海の手は、無骨な物作りをするひとの手で、皮が厚くゴツゴツしている。あの手が作り出したもの。   ーー世津さんは、とても美しいひとです。俺に優しくしてくれて、俺を信頼してくれて……俺にインスピレーションを与えてくれるひとです  出来上がった作品をくれた日に晴海が告げたのは、世津には愛の告白にしか聞こえていなかった。芸術家の晴海にとって「美しいひと」というのは最大の賛辞であろうし、「インスピレーションを与えてくれるひと」というのはかけがえのないそばに置いておきたいひとに違いなかった。 「こんな綺麗なもんつくらはる御人が、俺のことをやなんて……どないしよ。結婚式はどこで挙げたらええんやろ。新婚旅行は、はるさん、色んな国行ってはるみたいやから、どこがええか、よう話し合わんと」 「そのまえにはなしあうべきことがあるようなきがしますが、あにうえ」  晴海の作った器を前にうっとりとしている世津の視界に、呆れた表情の千都が入ってくる。 「ちゃんとプロポーズしたんですか?」 「俺にははるさんが必要やって言うたわ」  それが完全に「はるさんの血が」と思われていることに、世津は気付いていないが千都は薄々気付いているようだった。 「せっちゃん、告白はストレートな方がええで?」 「そのストレートな告白で、お前はエリさんにアプローチしたんか?」 「ぐっ……そ、それは、俺がちゃんと大人になってから……」 「エリさん、ええ男やもんなぁ。取られても知らへんで」  意地悪な口調の説に、がっくりと肩を落としてそのうちに蝙蝠の姿になって、ぷるぷると震えながら飛んで行った奈帆人は、まだ若い。血を渇望するような経験はしたことがないのだろうが、衛陸をずっと気にしていることは世津も知っていた。分かってはいるが、衛陸も大人で、世津の大事な仕事仲間で、理解者である。吸血鬼の伴侶となるには、それだけの覚悟がなければさせられないと、兄として奈帆人を応援したい気持ちをぐっと抑えていた。 「あにうえこそ、はるさんをとられても、しりませんよ」 「はるさんは、俺に夢中なんや!」  気の弱い奈帆人よりも、千都の方がずっと辛辣なことを言ってくる。強がって答えても一抹の不安が過ぎった。  その夜、夕食を共にしてから、世津は晴海を部屋に呼んだ。ストレートにと言われても、いざ晴海を目の前にすると、世津は小説家だというのになかなか上手に言葉が出てこない。 「俺の存在には、はるさんが必要なんや」 「……血を飲まないってそんなに苦しいんですね」 「ずっと一緒におって欲しい」 「大丈夫です、毎日血を分けても平気なくらい、俺は健康ですから」  全くもって会話が噛み合っている気がしない。ベッドに晴海を座らせて、首筋に噛み付くと、我慢ができずに、世津はそこを強く吸い上げてしまった。 「あっ……」 「痕がついてもた。堪忍な、はるさん」 「平気です、肌の色が濃いから目立ちませんよ」  笑って許してくれる晴海に、その首筋の吸い痕が目立てばいいのにと、世津は思わずにいられない。そうすれば、晴海に近付いてくる相手への牽制になる。これだけ長身でエキゾチックで魅力的な晴海が、モテないはずはないと世津は警戒していた。 「不思議と、噛まれた痕も次の日には治ってますし」 「それは、俺が吸血鬼やからやろうね」  もしかすると、無意識のうちに世津は晴海を自分の伴侶にしかけているのかもしれない。そのせいで傷の治りが早くなっていてもおかしくはない。  お互いに思い合っていることに間違いはないが、世津はまだ晴海に吸血鬼の伴侶となることの意味を告げていなかった。衛陸のことは奈帆人が気にしているようだが、それがどうにもならなければ、晴海だけが世津と同じだけの寿命を得て、兄弟の衛陸を置いていくことになるかもしれない。それを明かさないままに、晴海を伴侶にするのは、騙しているような罪悪感があった。 「俺、はるさんに話さなあかんことがあるんやけど」 「い、今じゃないと、いけませんか?」  首筋に世津の吸い痕を付けた晴海は、オレンジ色の目を潤ませて、顔を火照らせている。吸血行為自体が吸血鬼にとっては快感で、その伴侶もそうなるのだから、なりかけている晴海が、血を吸われたことで性的に反応していてもおかしくはなかった。 「はるさん、俺のもんにしても、ええ?」 「それって、どういう……」 「はるさんがおらな、俺は夜も眠られへんのや」  最高の口説き文句が吐けたと思った。このまま二人でベッドインして、晴海を抱いてしまおう。そう心に決めた世津を、ひょいと抱き上げて晴海がベッドに寝かせる。 「やっぱり、はるさん、ソッチが?」  やはり、晴海は世津を抱きたい方だったのだろうか。愛しい晴海にならば一度くらいは抱かれてもいいが、やっぱり抱きたい。そんなことを考えて胸を高鳴らせていると、晴海は世津の体に布団をかけた。 「夜に眠れないなんて……不眠症だなんて、どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか」 「はいぃ?」 「俺が言うのもなんですけど、ちゃんと寝ないと健康に悪いですよ」  お布団をかけた上から、ぽんぽんと小さな子どもにするように優しく叩いて、寝かしつけてくれる晴海。  そうじゃない。  全くもって、そうじゃない。  盛大に突っ込みたかったが、その優しさは受け止めたくて、世津は仕方なく目を閉じた。しばらく寝たふりをしていると、ぽんぽんと体を叩く手が止まる。そのまま晴海が部屋を出ていくかと薄く目を開ければ、晴海は床に座って、ベッドに突っ伏すようにして眠っていた。 「よう寝てなかったのは、はるさんやないんか」  苦笑しながら布団をかけようとしたところで、世津は妙な気配に気付いた。この家は結界を張り巡らせて、自分たち以外の人外が寄り付かないようにしているが、晴海の体からずるずると何体もの黒い羽を生やした夢魔が現れる。 「はるさんの夢を通って来おったか!」  夢魔の男たちはあっという間に世津を取り囲んでしまった。場所がベッドで、近くに眠っている晴海もいるので暴れることができない。 「吸血鬼の若様がご執心なのが人間なんて」 「人間とは所詮分かり合えぬ定めですよ」 「若様は我らの一族から嫁をもらうべきです」  取り囲んだ世津にべたべたと触ろうとする夢魔たちを、牙を剥いて威嚇して遠ざける。真祖に近い濃い血を持つ世津は、吸血鬼のオーラだけで、夢魔ごとき寄せ付けない。 「はるさん以外は要らんし、その口永久に塞ぐで?」 「あぁ、怖い怖い」 「すぐに、お気持ちが変わると思いますよ」 「お待ちしておりますね」  言いたいことだけ言って消えていく夢魔にギリギリと歯を鳴らしていると、目を覚ました晴海と目が合った。オレンジ色の目がじっと世津を見つめている。 「目が覚めたんか、はるさん、家まで送っていこ」 「いえ、結構です……すみませんでした」 「すみませんでしたて、なんもすまんことなんてしてないで?」 「ごめんなさい」  腕を振り払われて、世津は呆然とする。夢魔は夢を操る能力を持つ。また、夢を渡る能力を持つ。世津のような吸血鬼はそれに抵抗できるが、晴海は世津が伴侶にしたいと切望していても、まだ人間だ。  妙な夢でも見せられたのかもしれない。  腕を振り払われたショックで一瞬呆然としてしまったが、世津は慌てて晴海を追いかけた。  今捕まえなければ、二度と手に入らない。  そんな予感がしていた。

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