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愛がなければ砂の味 4
ベッドに突っ伏したままで、目も開けられない、身動きも取れないのに、なぜか世津とその周囲を取り囲む黒い羽のある男たちが見えていた。細身で見目麗しく、色香を漂わせながら、世津にしなだれ掛かる男たち。
彼らが世津と同じように人間ではないのことは分かっていた。
しかし、世津はこんなにも身近にいて、血を吸う以外はあまり人間ではないという感覚がなかった。人懐っこくて、笑顔で晴海に話しかけてくれる世津。血を吸った後に、くたりと体を逞しい胸に預けてくる世津。
「吸血鬼の若様がご執心なのが人間なんて」
「人間とは所詮分かり合えぬ定めですよ」
「若様は我らの一族から嫁をもらうべきです」
眠っているはずなのに、はっきりと彼らが世津にいう言葉が聞こえていた。吸血鬼の若様。つまりは人間の晴海が近付いていい相手ではなかったのだ。
自分のようにゴツくて厳つい男とは違う、嫋やかな相手が、世津にはいた。
ショックのあまりその場から逃げ出してしまってから、家が隣りなので訪ねて来られたらすぐに見つかると気付く。家には戻れない。車に乗って工房に行って、ほとぼりが冷めるまで篭っていようか。いや、工房の場所も世津に知られているので、すぐに見つかってしまう。
考えながら家にまっすぐ戻らずに夜道をふらふらと歩いていたせいだろうか、晴海は気が付けば数人の男たちに囲まれていた。体格も身長も晴海よりも劣っているが、なぜか逆らえずに人気のない公園に連れ込まれる。
「彼の方は我らの夫となるお方」
「お前は苗床にしてやろうか」
「それとも、種馬にしてくれようか」
何を言われているのか理解できないままに、後ろから尻を鷲掴みにして揉んでくる男、胸を無遠慮に掴んで揉む男、パンツ越しに中心に触れてくる男、顎を掬い上げて口付けてくる男、押さえつけようとしてくる男……怖気がするような気持ち悪さに、晴海は吐きそうになっていた。
「離せ!」
「痛みよりも快楽に人は弱い」
「すぐに堕ちて我らのものになろう」
服を乱す複数の手に、晴海は自分が何をされそうになっているかをようやく理解した。振り払って逃げようとするのに、背中に羽を生やした男たちが群がって動けなくする。
嫌らしく尻を揉みしだく手、シャツを乱して胸の尖りを捏ねる指、パンツ越しに中心を撫で回す手、顎をしっかりと捉えて唇に舌を差し込もうとする顔。どれも気持ち悪くて仕方がない。
「触るな!」
首筋に噛み付かれるのも、吸い上げられるのも、膝の上に乗り上げられるのも、世津ならば少しも嫌ではなかった。こんな風に暴力的に無遠慮に、世津は触れて来ない。
殴って、投げて、逃げ出そうとしても、霧でも相手にしているかのように手応えがなく、逃げることができない。パンツのジッパーを下ろされそうになって、晴海は思い切り腕を振り回した。
「人間の分際で、我らの血を宿せることを光栄に思うべきなのに」
「眠らせてしまおうか」
腕を振り回した衝撃に一度は離れた男たちが、またわらわらと取り囲んでくる。一人一人ならば対処のしようもあるのに、大勢で取り囲む上に、人ではないのか殴っても手応えがない。逃れたいのに酷い目眩と眠気に襲われて、晴海はその場に膝をつきそうになった。
「はるさん! こっちや!」
それを助け起こしてくれたのは、世津だった。部屋着のままで、靴も履かずに靴下で晴海を追いかけてきてくれた世津は、衛陸と奈帆人を連れていた。ついでに、奈帆人の足元に千都がいるのも見えたが、意識が朦朧として体を立たせていられない。
ほとんど剥ぎ取られたシャツの間から見える首筋には、くっきりと世津の吸い痕が付いているだろう。それを衛陸や奈帆人には見られたくないような気がして、手で押さえるのに、衛陸が晴海と変わらぬくらい逞しい体付きで晴海を肩に担ぎ上げてしまう。
「エリさん、はるさんを安全な場所に連れてって」
「世津さんはどうするの?」
「こいつらと話おうてくるわ」
震える奈帆人と口を真一文字に結んだ千都を連れて、羽の生えた男たちと共に世津が行ってしまう。
世津は彼らの夫になると言われていた。もう会えないのだろうかと、朦朧とした頭に過ぎると、涙が滲む。
「はるちゃん、大丈夫? すぐにお家に帰りましょうね」
ぼんやりした晴海を、小さい頃から支えてくれた衛陸。その肩に担がれて、晴海は家に戻った。
触れられた肌が気持ち悪くて、手洗いに飛び込んでえづくが、胃液しか出てこない。ふらつきながらバスルームに入った晴海を、心配そうに衛陸が覗いてくる。
「一人で平気?」
「一人にして、エリちゃん」
誰にも触れられたくない。
熱いシャワーを浴びて、肌を流す。ボディソープで洗って擦っても、無遠慮に触れられた嫌悪感が消えない。何度も何度も体を洗って、それでも落ち着かないままに、吐きそうになりながら晴海はバスルームから出た。口付けられた唇も気持ち悪くて、念入りに歯を磨くが、どうしても感触が消えない。
苗床にする、種馬にすると、彼らは言っていた。
人ではないものにとっては、人間とはその程度なのだろうか。そもそも、晴海は男性で苗床どころか子どもを産むことはできないが、何か寄生させたりするつもりだったのだろうか。
考えれば考えるほど気持ち悪くて、目眩も消えていなくて、なんとかパジャマに着替えた晴海は、髪も濡れたままで部屋のベッドに倒れ込んだ。
目を閉じると、顔も分からない集団が晴海を取り囲んで、纏う服を脱がせて、押さえつけてのしかかってくる。逃れようともがく晴海を、世津が見下ろしていた。
一番見られたくない場面を、一番見られたくないひとに見られてしまった。
情けなく襲われて、他人に犯されそうになっているところを見て、世津は晴海をどう思っただろう。
軽蔑されていたらどうすればいいのか。怖くて世津ともう顔を合わせられる気がしない。
「はるちゃん、世津さん来られてるけど、出られそう?」
衛陸が呼びに来てくれるが、晴海は布団の中で返事もできずにじっと身を固くしていた。トントンとノックの音がして、密やかな足取りで世津が部屋に入ってきたのが分かった。
「寝てはるん、はるさん? 俺のせいで怖い目に遭わせてしもうて、ほんま、ごめんなさい」
布団から顔も出せない晴海を、布団越しに世津がそっと撫でる。その繊細な手の動きに、世津の気遣いを感じ取って、気持ち悪さしか残っていなかった肌が、少しはマシになった気がした。
「もう二度とこんなことさせへんから、はるさん、俺のこと、嫌いにならんといて」
「嫌いに……」
嫌いになるのは世津の方ではないのかと思わず口に出てしまって、晴海は布団から上半身を起こした。黒い穏やかな世津の目が、潤んで晴海を見つめている。
「世津さんは、あのひとたちの誰かと結婚するんじゃ?」
「俺に選ぶ権利はあらへんの?」
ひどく不思議そうに問いかけられて、晴海は首を傾げた。
「もちろん、世津さんが選ぶんだと思いますけど、俺、ほら、ただの人間ですし」
住む世界の違うひとだった。
最初からそんなことは分かりきっている。
同じ時間を生きることもできないのに、そばにいることはつらい。それを思い知らされた気がした。
「その話なんやけどね、俺の伴侶になったら、俺と同じだけの時間を生きるようになって、傷とかもすぐに治るようになるんやけど……」
「……はんりょ?」
一瞬言葉の意味が分からなくて、晴海は目を丸くした。
伴侶とはなんだっただろう。
人生を共にする相手。けれど、晴海も男性で、世津も男性だ。
「俺は、世津さんの伴侶に、なれませんよ」
希少な吸血鬼の血を残すことができない。そんな晴海が世津の伴侶になっていいはすがない。
吸血鬼に運命の相手がいて、それ以外の血が飲めたものではないなど、まだ知らない晴海の答えに、世津は呆然としているようだった。
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