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愛がなければ砂の味 5

 靴を履くのももどかしく、追いかけた隣りの家に、晴海はいなかった。慌ただしく家を出た世津を心配して、奈帆人も千都も起き出して来ている。時刻は深夜、とっくに衛陸も床についていたようで、パジャマ姿で玄関に出て来た。 「てっきり、はるちゃんは世津さんのところに泊まったんだと思ってたわ」  察しのいい衛陸は世津の晴海に対する気持ちを知っている。戻って来ていないと聞いて、嫌な予感がして世津は吸血鬼の嗅覚を最大限に研ぎ澄ました。毎日のように血を吸わせてもらっている晴海の甘い匂いを、世津は完全に覚えている。  匂いを追ってたどり着いたのは人気のない公園で、そこで晴海は夢魔の集団に襲われていた。シャツをほとんど剥ぎ取られて胸を弄られ、無理矢理に口付けられ、尻を鷲掴みにされて揉まれて、パンツ越しに中心も触られている。 「誰の男に手垢つけたか、教えてやろうか?」  黒い瞳を真っ赤に光らせて怒りの限りに夢魔を追い立てて、世津は晴海に手を伸ばした。 「はるさん! こっちや!」  夢魔の眠りの能力をかけられているのだろう、ぐったりとした晴海を引き寄せて、その乱れた姿に思わず喉が鳴った。  なんて羨ましいことを! 俺がこんなに我慢しとるのに!  口を突いて出そうになる怒号をぐっと堪えて、晴海を衛陸に引き渡す。 「エリさん、はるさんを安全な場所に連れてって」 「世津さんはどうするの?」 「こいつらと話おうてくるわ」  大事な晴海に手を出したのだ、許せようはずがない。  夢魔の一族が根城にしている古い教会に押し入ると、年嵩の夢魔が土下座する勢いで世津に縋ってくる。 「もう絶対にそちらの一族には手を出しません」 「そうやないやろ、あんさんらが手を出したのは、俺の良人(おっと)やで?」  世津の中では既に良人となっている晴海に、あれだけの狼藉を働いて、無事でいられると思う方がおかしいのだ。 「せっちゃん……うぁぁ……」 「とりあえず謝罪は最後の一人になってから聞いたる」  両手で顔を覆って蝙蝠になって気絶してしまった奈帆人が見た光景は、凄惨なものだった。夢魔たちが大事な場所を引っこ抜かれて、自分たちの後ろに突っ込まれるというようなそれを止めることができるものは誰もおらず、日本に住む夢魔がこれを原因に滅んだとか、日本から逃げ出したとか、様々な話が飛び交うのだが、その真偽は定かではない。  止めるどころか気絶してしまった蝙蝠の奈帆人を、「つかえねぇ」という舌打ちと共に握りしめた千都は、血生臭さを洗って落とした世津と共に衛陸と晴海の待つ左岸家に行った。 「千都さん、奈帆人さんをそんなに強く握りしめちゃダメよ? ほら、痛がって泡吹いてるわ」 「あにうえ、なんか、スマヌ」  反省してない様子で謝りつつ、千都が衛陸に奈帆人を渡すと、気が付いた奈帆人が蝙蝠の丸い目からぽろぽろと涙を流しながら衛陸の胸に飛び付く。それを大きな手で撫でている衛陸に、世津は晴海の様子を問いかけた。 「はるさん、大丈夫やった?」 「一人にして欲しいって……お風呂でかなり念入りに洗ってたみたいだし、凄くショックは受けてると思うわ」 「はるさんに会わせてください、お願いします」  夢魔たちに対してとは全く違う、縋るような世津の様子に、衛陸は晴海に声をかけて晴海の部屋に世津を通してくれた。布団の中に入り込んでいる晴海は、夢魔の眠りの能力が解けずに眠ってしまったのだろうか。 「寝てはるん、はるさん? 俺のせいで怖い目に遭わせてしもうて、ほんま、ごめんなさい」  布団越しにそっと晴海の体を撫でると、息遣いと体温が伝わってくる。じっと体を硬くしているのは、余程怖かったのだろう。 「もう二度とこんなことさせへんから、はるさん、俺のこと、嫌いにならんといて」 「嫌いに……」  体を起こして、やっと顔を見せてくれた晴海が、戸惑うように世津を見つめてくる。あんなことがあった後なのだから、下心を見せてはいけないと思うのだが、首筋に残る世津の吸い跡から、目が離せない。 「世津さんは、あのひとたちの誰かと結婚するんじゃ?」 「俺に選ぶ権利はあらへんの?」  あまりに晴海の首筋を凝視していたせいで、世津は少しばかり反応が遅れてしまった。晴海と世津は両想いの筈だ。何故、他の相手と結婚するなどと言われるのだろう。 「もちろん、世津さんが選ぶんだと思いますけど、俺、ほら、ただの人間ですし」  そこでようやく、世津はまだ晴海に言えていないことを思い出した。伴侶になれば、晴海はただの人間ではなくなる。 「その話なんやけどね、俺の伴侶になったら、俺と同じだけの時間を生きるようになって、傷とかもすぐに治るようになるんやけど……」 「……はんりょ?」  晴海を伴侶にして、世津は長い生を共に生きる。そのつもりでいたのに。 「俺は、世津さんの伴侶に、なれませんよ」  あっさりと断られて、世津は呆然としてしまった。 「俺のこと、美しいて口説いてくれたやん? 俺ははるさんが好きで、最初から運命やと思ってたのに、はるさんは、違ったん?」  その美しさを褒めてくれて、インスピレーションがわくと言ってくれて、作品まで捧げてくれた。毎日のように献身的に血を分けてくれて、血を吸った後には優しく抱きしめてくれた。  あれが愛情でないのなら、なんなのだろう。 「す、好きって……でも、俺は男だし……」 「好きっていうてるやん! 愛してる! 好きやねん!」  全く通じていなかった悲しみとショックで、ボロボロと涙が溢れてくる。 「男でも構へん! っていうか、伴侶になったら、男でも産めるようになるし! 好きなんや! ラブ! 愛してる! 抱きたいってずっと思っててん!」  号泣しながらその胸に縋り付いて、揺さぶるようにして叫ぶ世津は、美しいと褒められたような顔ではなかっただろう。そのぐしゃぐしゃの泣き顔に、晴海が狼狽して、世津を抱き締める。 「俺も、好きです……好きになって良いのか、分からなくて……」  世津は吸血鬼で長い時を生き、晴海は人間であっという間に老いて死んでいく。 「老いた俺を、世津さんが愛してくれるか、自信がなかったんです……ごめんなさい」 「は、はるさんやったら、お爺ちゃんになっても、か、可愛いにきまっとるやん! お、俺も、ちゃんと説明してなくて、ご、ごめんなさい」  ひっくひっくとしゃくり上げながら謝る世津の頬を撫でて、晴海が涙を拭ってくれる。近付いた顔に、すかさず世津はキスをした。唇が触れる瞬間、ぎゅっと目を閉じた晴海が、僅かに震える。 「あんなことがあった後やから、嫌やった?」  触れるだけで離れた唇に、晴海が目元を赤く染めて緩々と首を振った。物作りをする無骨な指先が、肌の色が濃いので目立たない首筋の世津の吸い痕を辿る。 「世津さんに血を吸われたり、触られてりすると……変な感じがして……」 「ここが、反応する?」 「ひぁっ!?」  パジャマのズボン越しに触れた晴海の中心は、僅かに芯を持っていた。それに気を良くして舌舐めずりをする世津に、晴海が恥じらうように目を伏せる。 「こんなゴツい男、だ、抱けるんですか?」 「はるさんが嫌なら何もせんけど、良いって言うてくれたら、この通りなんやけど」  膝に乗り上げるようにして、晴海の逞しい太ももに硬く昂ぶった中心をゴリゴリと当てると、晴海が真っ赤になって震える。完全に世津のものは臨戦状態になっていたが、どうしても晴海が拒むならば、無理に抱くつもりはなかった。 「運命の相手……愛してる相手以外の血は、飲めたもんやないんよ。はるさんの血は、俺にとって初めて甘くて美味しいと思えるもんやった。初めて飲んだときから、俺ははるさんの虜やったんや」 「と、虜なんて……」  怯えさせるつもりはないので、膝から降りた世津は、晴海の前に膝をつく。 「俺が吸血鬼や明かしても偏見も持たずに、快く血を分けてくれて、俺に美しい世界を見せてくれる優しくて可愛いひと。俺はあんさんの恋の奴隷やで」  跪いてその足の甲にキスをすると、晴海が息を飲んで固まっているのが分かる。それに構わずに、ぬるりと足の指の間を舐めると、晴海がぎこちなく動き出した。 「お、れも、世津さんの、ことが……」  抱いてくださいと、蚊の鳴くような声で告げた晴海に、立ち上がった世津は、その逞しい胸に手を置いて、そっとシーツの上に晴海の体を横たえていた。

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