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蝙蝠だって恋をする 4
蝙蝠でも、小さな子どもでも、絶対に馬鹿にしたり、雑に扱ったりしない。人間でないと知られたときには、心臓が止まるかと思ったが、それも受け入れてくれた優しいひと。
高校を卒業するときには、両親は千都を置いて消えていたから、世津も両親に卒業式に来てもらったことはない。その代わりに、乳児の千都を抱いて、13歳の奈帆人の手を引いて、衛陸が三つ揃いのスーツを着て卒業式に出ていた。
「来てくれはるのは嬉しいけど、無理せんでええんよ」
「私の弟みたいなものだもの。卒業を祝わせて」
普段から清潔感のある格好をしているが、三つ揃いのスーツを着た衛陸は、その極めて高い身長と厚みのある体つきが堂々としていて、とても格好良かった。両親がいないことを気にしてくれているのか、世津は小説の締め切りで来られなかったが、奈帆人の中学校の卒業式も、衛陸は来てくれた。
「たくさん写真を撮ったから、後で現像しましょうね」
当然のように世津や奈帆人が持っていないものを埋めてくれるひと。
「奈帆人さんの高校の卒業式、カメラ持って行くからね」
高校の卒業式でも、あの三つ揃いのスーツが見られるのかと思うと、奈帆人は高校自体はそれほど好きでもなかったが、それだけが楽しみだった。
卒業式当日、式を見に来てくれている衛陸と手を繋いでいる千都の姿が気になって、幸せな気分でいた奈帆人だが、その後が大変だった。なぜか卒業式には告白をしたり、されたりする雰囲気になるもので、大勢の女子生徒に囲まれて、奈帆人は震えてしまう。
小学一年のときに、上級生に囲まれて蝙蝠になってしまってから、奈帆人は他人が怖い。それなのに、なんで大勢で囲んで来るのか。
「和泉先輩のことが、好きなんです」
「……お、俺、好きなひとがおるから」
怯えながら囲みから逃げようとすると、腕を掴まれる。女性の細い腕を振り払うわけにもいかず、どうすればいいか分からずに困惑していると、奈帆人のことを好きだと言った子は泣き出していた。
「お友達になるだけでも良いじゃないですか」
「泣かせるなんて」
奈帆人が彼女の告白を受け取れないことも、好きなひとがいることもどうしようもないことなのに、責め立てられる理不尽に奈帆人が立ち尽くしていると、囲みを潜って千都が奈帆人の脚にしがみ付いた。
「あにうえ、エリさんがかえっておいわいのごはんをたべようって、いってますよ」
取り囲む女子生徒の向こうに見えた大きな姿に、奈帆人はホッと胸を撫で下ろした。
「エリさん! お迎えが来たから、俺、帰るわ」
怖かったことも、泣かれたことも、衛陸の顔を見れば全て消え失せる。その逞しい腕に腕を絡めても、衛陸は嫌がったりしなかった。
「あにうえ、ひとつ、かしですからね」
「ちぃちゃんが気に入っとるケーキ屋のババロア買ったるから」
「ゆるします」
卒業式の後に姿が見えない奈帆人を、千都が見つけてくれたという。お礼に帰りにケーキ屋で千都の好きなイチゴババロアを買うと、衛陸も奈帆人に卒業祝いとケーキを買ってくれた。特別ケーキが好きなわけではないし、本当は衛陸が作ってくれる素朴なサツマイモの蒸しパンや、パンケーキが好きなのだが、お祝いはやはり特別だ。
嬉しくて冷蔵庫に入れるときににやける奈帆人に、晩ご飯を食べに来ていた世津が冷蔵庫から麦茶の容器を出しながら問いかける。
「エリさんに振られたんやて?」
「も、もう、怒ってへん、せっちゃん?」
「はるさんの血を吸ったのは不愉快やけど、元からそれほど怒ってへんわ。おかげではるさんと同棲状態やし?」
ずっとここにおったらええのに。
意地悪く言われて、奈帆人は逆に目を輝かせた。
「ずっとおりたいなぁ……そのまんま、エリさんと暮らしたい」
「虚しくないんか、好かれてもおらんのに」
麦茶を晴海の分もグラスに注ぐ世津から、奈帆人は容器を受け取る。
「出会えたこと自体が奇跡みたいなもんやから、そばにおれるだけでも嬉しいわ」
若いのだから、性欲あるし、衛陸といい仲になりたい気持ちも強くある。けれど、自分が好きなひとが、自分のことを嫌わないでそばにいてくれる。それだけでも、充分ではないのだろうか。
「俺ははるさんを最初から抱きたいって思ってたし、結婚するつもりやったけど、お前はそないなこと考えへんのやな」
「そら、抱きたいし、結婚もしたいで。俺が泣いて縋ったら、エリさんは絆されてくれるかもしれへん」
けれど、衛陸は言い難いであろうことを奈帆人に打ち明けてくれたのだ。自分が素肌に触れられることが苦手で、性的な行為ができないなど、男の沽券にかけて、言いたくない事実だったかもしれないのに。
「俺は、蝙蝠でええ」
衛陸に飼われる可愛い蝙蝠。
注いだ麦茶のグラスを衛陸と千都の分テーブルに持って行くと、晴海と衛陸が何か話していたようだった。奈帆人の顔を見て、晴海がぱっと笑顔になる。
「世津さんと旅行に行くことになったんだ」
「新婚旅行ですってよ。その間、奈帆人さんと千都さんは、うちにお泊りね」
実質奈帆人は左岸家に泊まっているので変わりはないが、隣りの家に世津がいなくて、晴海も帰ってこないとなると、衛陸のことを意識せずにはいられない。ちらちらと衛陸の姿を見ていると、千都が奈帆人の制服のスラックスをツンツンと引っ張った。
「あにうえ、ちづがいますからね?」
「知っとる!」
日常的に千都がいるのは普通のことで、それも奈帆人にとっては気になることではない。なぜならば、大人びた言動をするが健やかな幼児の千都は夜は8時には寝てしまって起きないのだ。
「エリさんとの夜……」
世津と晴海が旅行に行く前には、千都の日用品も衛陸の家に持っていかなければいけないので、千都に聞きながら保育園の用具などを準備をしていたら、世津が部屋にやってきた。
「エリさんにかまけて、ちぃちゃんのこと、蔑ろにするなよ」
「せぇへんよ。蔑ろにされとるのは、俺の方や」
話しながら、世津は奈帆人の部屋の椅子に座った。気が付けば大きく思えていた世津の背丈を、奈帆人は超えている。態度の大きさと、立場の強さでは、到底敵うわけがなかったが。
「エリさんと同棲状態で、妙なこと考えてへんやろな」
「考えてる! めちゃめちゃ考えてる! でも、俺が無理強い出来るような相手でもないし、心がないのにそんなんしても、虚しいだけや」
体格でも身長でも優っている衛陸に、奈帆人が何かできるかといえば、逆に取り押さえられるくらいだろう。オーラを使ったり、怪力を使ったりできる世津と違って、奈帆人はすぐに蝙蝠の姿になってしまうし、どちらかといえば吸血鬼の力は弱い方だった。
「血をもろうてるんやろ」
「……あんなに渇くって知らんやった」
未成熟なときには人間と同じ食事で構わないが、成熟して大人になってくると吸血鬼はその体の性質上、どうしても血を求めてしまう。力の強い世津は23歳で晴海と出会うまで吸わなくても、気力と根性でどうにかできたが、奈帆人は先日突然力が入らなくなって、渇いて干上がって、蝙蝠になってしまった。
そして、晴海の血を吸って、運命の相手以外の血は受け付けないのだと理解した後に、衛陸の血の味を知ってしまった。
「お前も俺の弟や。血を吸うたら、吸血鬼の力が使えるかもしれへん」
「俺が、エリさんより怪力になるってことか!?」
そんな状況で、血を吸って快楽で酩酊状態になっていたら、衛陸を襲ってしまうかもしれない。可能性が頭を過ぎっただけで、奈帆人は蒼白になってしまう。
大事で大好きな衛陸。その信頼を裏切るようなことをすれば、家族のように仲良くしてくれるのすらやめてしまうかもしれない。
「俺、血ぃ、吸わへん!」
世津と晴海という抑止力のいない旅行中は血を吸わない誓いを立てたが、衛陸の甘い香りをそばで感じたら、理性が崩れない自信はなかった。
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