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関白宣言ではないけれど

 春休みも終わりを迎える頃、左岸家と和泉家の境界線を取り払い、繋ぐ工事が行われている中、入学式の準備をしていた奈帆人は晴海に声をかけられた。二つの家が一つになるのでどちらに住んでいても構わないのだが、奈帆人と衛陸が付き合い始めてから、晴海の部屋に奈帆人が、奈帆人の部屋に晴海が住むようになっていた。 「奈帆人くん、ちょっといいかな?」 「なんですやろ?」  全く他人の部屋になってしまった元自分の部屋に入るのは、なんだか奇妙な感じのする奈帆人。家具は同じだが、置いてあるものが全て晴海のものになっている。逆に晴海の部屋は家具はそのままだが、中身は丸っと奈帆人のものになっていた。 「エリちゃんのことで、奈帆人くんと一度話しておかないとと思ってね」 「俺も、せっちゃんのことで、はるさんとお話しせなあかんと思うてました」  お互いに話したいことがあったのは同じなようだ。広い部屋ではないので、リビングから椅子を持ってきて奈帆人が座って、晴海が部屋の椅子に座る。 「しっかりしてるように見えるけど、エリちゃん、すごく寂しがりなんだ」  そのことは、薄々奈帆人も気付いていた。バスルームから逃げ出した晩、衛陸は蒼白になって震えるほどに奈帆人を心配していた。それは、吸血鬼や狼など、ひとではない一族が、その能力や伴侶にした相手を自分と同じ時間を生きさせる性質から、狙われやすいからだろう。 「世話焼きだけど、自分のことに関しては無頓着で、無防備だし」 「どっちも、俺も思うてました」  それに関しても、食べ物で好きなものが特にないとか、夜の街に出て酔っ払いに絡まれて抵抗できないとか、そう言う姿から、奈帆人は分かっているつもりだった。 「無理なお願いかもしれないけど、奈帆人くんの方がずっと若いし……エリちゃんより先に死なないで欲しいんだ」  一人で衛陸を置いていかないで欲しい。  双子の兄としての晴海の願いを奈帆人は神妙な面持ちで聞く。 「絶対にエリさんを一人にはしません。エリさんのそばを離れません」  誓うように言えば、安堵のため息を吐いて晴海が笑顔になった。人種の違いがあるが、衛陸は晴海と自分が血の繋がった双子だろうと言っていた。顔立ちも似ていないが、その表情が似ていることに奈帆人は気付く。 「小さい頃から、エリちゃんは寂しがりで、よく俺の布団に入ってきてたから」 「エリさんが?」  出会ったときには18歳でしっかりしていて大人だった衛陸が、小さい頃は晴海にべったりだったなど驚いてしまう。 「俺にとっては、エリさんは大人で、包容力があって、しっかりした御人(おひと)やけど、寂しがりで、甘えたなところがあるんですね」 「奈帆人くんにはお兄さんぶって見せないかもしれないけど、エリちゃんが一人になるのが一番怖いってこと、覚えててあげてね」 「はい!」  元気に答えてから、奈帆人の方もボソボソと話し出した。 「せっちゃんのことなんですけど、はるさんみたいに気を許したひとは初めてで、加減が分からへんかもしれんのですが、どうぞ、見捨てないでずっとそばにいてやってください」  生まれてからずっと世津と一緒にいるが、奈帆人は世津に衛陸以外の友人らしい友人がいるところを見たことがない。他人と距離を置いて、どこか冷めた目で周囲を見ていた世津。初めての恋に落ちてから、世津の興味や関心は全て晴海に向いてしまった。  命を懸けて晴海を愛するなんて、常人には重すぎるのかもしれないが、晴海を襲った夢魔の一族に世津がしたことを知っているだけに、奈帆人は晴海にはできるだけ慎重になって欲しかった。 「世津さんに全力で愛されてるって分かって、俺はすごく嬉しいよ。奈帆人くんのお兄さんのこと、一生大事にします」  深々と頭を下げられて、奈帆人も慌てて頭を下げた。 「俺も、エリさんのこと、大事にします!」  顔を上げて二人、顔を見合わせて笑う。  義理の兄と、義理の弟。  他人はみんな怖いと思っていたが、晴海は怖くない奈帆人だった。  ちょうどその頃、世津は衛陸の部屋に来ていた。  翻訳してもらっていた小説のための資料が出来上がったというので、取りに行っていたのだ。お茶を入れてくれる衛陸に、資料の説明をしてもらうのも、いつものことだった。 「奈帆人のことなんやけど、エリさんに迷惑かけてないやろか?」  資料の説明が終わってから、思い切って問いかけた世津に、衛陸がくすくすと笑う。 「とっても可愛いわよ。迷惑だなんて、思ったことないわ」  自分の気持ちが恋愛感情なのか、家族に対するものなのか、それがよく分からないままに奈帆人に返事はできない。無防備な素肌の首筋に歯を立てられて、血を吸われることが嫌ではないと気付いてからも、衛陸はそのことを気にして、奈帆人にいい返事を出せなかった。 「その……奈帆人は若いから凄く求めてしまうんかも知れへんけど、あんまし、無理させへんで、くれはるかな?」 「あぁ……そうよね。奈帆人さんはまだ学生ですものね」 「赤さんも、ちょっと早いかなと思うし」 「その辺はちゃんと分かってるわ。信頼してくれていいのよ」  大らかに微笑む衛陸に、世津はホッと胸を撫で下ろす。ちなみに、世津は完全に奈帆人の方が産むのだと勘違いしていた。 「はるちゃんね、多分、私の王子様だったの」  ポツリと漏らした衛陸の言葉に、世津は切れ長の目を見開く。まさか、衛陸がライバルとは考えもしなかった。しかし、肌の色も違う、捨てられていた二人である。血の繋がりもないのならば、恋仲になってもおかしくはない。  相当に世津が真剣な顔をしていたのだろう、衛陸がそれを見て吹き出した。 「世津さん、人種の違う双子が生まれることがあるって知ってる?」 「人種の違う双子が……つまり、エリさんとはるさんみたいな?」 「そうよ。私たち、きっとそうなんだと思うの。だから、世津さんが考えてるような意味じゃないのよ」  恋愛感情などではなく、家族として、一番そばにいてくれて、頼りになったのは晴海だったと衛陸は言いたかったようなのだ。 「小さい頃、夜が怖くて眠れなくて、よくはるちゃんのお布団に潜り込んだわ。はるちゃん、ものすごく寝付きがいいから、健やかに寝てて、その寝息に安心して、私も眠れたの」  布団に入り込むことに関しても、衛陸が「はるちゃんがあぶないから」と理由をつけて手を繋ぎたがることについても、晴海はその大らかさで何も邪推せずに受け入れてくれた。 「鈍くて、おっとりしすぎてるところもあるけど、それがはるちゃんの良いところなの。世津さんも、そういうところに惚れたんでしょ?」 「せやな、はるさんは素直で、真っ直ぐで、おっとりしとって、中身も外見も美しい御人(おひと)や」  天然すぎてすれ違ったこともあったけれど、それも今は良い思い出だった。 「私が一番怖かったのは、はるちゃんに置いていかれること。はるちゃんが死んでしまって、私だけが生き残ることだったの。だから、はるちゃんが世津さんの伴侶になったこと、何よりも嬉しいわ」 「エリさんかて、奈帆人と同じだけの時間を生きるやろ」 「そうね……それは、きっと」  含みのある言い方で気にはなったが、衛陸には最後の一線を越えさせない何かがある。それが何か分からないが、絶対的な秘密があるのだと世津は気付いていたが、言及する気はなかった。もう家族になったのだから、時間はどれだけでもある。いつか本当に衛陸に信頼されたときに、話してくれるだろう。 「はるちゃんのこと、よろしくお願いします。はるちゃんは、器の大きなひとだから、どれだけ愛情を注いでも平気よ。でも、誰にも必要とされてないと思ったら、ふらっと消えて、どこかでのたれ死んでしまうような気がして、ずっと怖かったの」  生きることに執着していない。美しいものを作り出すことだけに命を懸けているような晴海が、世津という重石を手に入れた。しっかりと繋ぎ止めて欲しいという衛陸に、世津は言われずともと返事をする。 「あのひとは、俺のもんや。閉じ込めて、俺だけのもんにする」  自宅に工房を作ったのもそのためで、家族や自分と一緒のとき以外には、外出もさせる気はない。吸血鬼の伴侶というだけで、狙われる可能性のある晴海を、世津は徹底的に守るつもりだった。 「悪い旦那さんねぇ。まぁ、はるちゃんはお仕事ができたら引き篭もってる方が性に合うから、存分に大事に閉じ込めてあげて」 「はるさんには内緒にな」  密約のように二人で交わした会話。  資料を受け取って、世津は自分の部屋に戻った。  寝付きの良くなかった世津は、晴海とねるようになって、ぐっすりと眠れるようになった。愛する存在に抱き締められて、その体温に安心して目を閉じる。 「俺よりも先に死んだらあかんし、俺が死んだら一緒に来てくれなあかんよ」  健やかに眠る晴海に囁いて、世津はその胸に顔を埋めて目を閉じた。

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