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青い世界に憧れて 1

 30歳の冬の終わりに、晴海は世津という吸血鬼の伴侶になった。それから三月になってまだ肌寒い時期に、血が欲しくて干上がって蝙蝠の姿になっている奈帆人を見つけて、血を分けた。  どうやら、それがいけなかったらしい。 「はるさんの血も、存在も、全部俺のもんや。弟であろうとも、譲られへん」  伴侶の世津があんなに美味しそうに血を飲むから、その弟ならば美味しいとまでは感じてもらえなくても、渇きを潤す程度にはなるのではないか。そう考えた晴海が短慮だったようだ。吸血鬼にとって、血を飲むというのはとても特別なことだと世津は説明する。 「伴侶にするっていうのは、仲間にするのと変わらへん。吸血には、そういう意味もあるんや」  巷の伝承では吸血鬼に噛まれれば誰でも吸血鬼になってしまうようなことが書かれているが、それは間違いで、吸血鬼は生涯にたった一人だけを選んで自分と同じだけの時間を生きるようにする。それはつまり、同族にするのと同じことなのだ。 「俺みたいに吸血鬼の血が濃くて、他の血が混じってへんのを、真祖の血が濃いって言うねん」  吸血鬼には伴侶として同族になったものや、そこから生まれてきたものではない、純粋な自らの魔力で吸血鬼になったものがいる。それが吸血鬼の祖であり、真祖と呼ばれている。  かつては吸血鬼の最初の一人目という意味もあったのだが、彼らは長く生きるが故に、その孤独に耐えられなくなる時が来る。そういうときに自ら死を選ぶこともあり、真祖は吸血鬼を総括するものとして極めて血の濃いものに受け継がれていくように変わってきた。 「世津さんが真祖になる可能性もあるということですか?」 「ないわけではないなぁ。現在の真祖が元気らしいから、多分ないやろけどな」  伴侶として同族になったものと子どもを作る場合には、血は薄くならないが、濃くなることはない。真祖により近付くには、生まれ付きの吸血鬼同士の婚姻が必要で、世津の両親はどちらも吸血鬼だった。 「運命の相手を伴侶にせずに、血だけもらって、餌みたいにしおって……あのひとらとは、分かり合えへん」  人間が吸血鬼を利用しようとするように、吸血鬼も人間を利用しようとする場合がある。複雑なのだと理解した晴海に、世津は話題を変えた。 「新婚旅行に、行かへん?」 「この時期に、ですか?」  何も知らなかったとはいえ奈帆人に血を分けてしまったせいで、世津は晴海の血を受け付けずに吐いた奈帆人を家から追い出していた。無事に奈帆人は隣りの衛陸に保護されて、なし崩しに奈帆人が左岸の家の晴海の部屋に、晴海が和泉の家の奈帆人の部屋に暮らすようになったが、奈帆人は世津が怒っていると怯えて顔を見ると気絶しそうに青ざめる。 「奈帆人には、荒療治が必要かと思うんや」  振られても振られても衛陸に告白し続ける奈帆人。二人がどうなるかは、奈帆人の兄の世津と、衛陸の兄の晴海が隣りの家にいれば、なかなか進展しないだろう。 「完膚なきまでに木っ端微塵になるのもええやろうし、帰ってきたら何か変わっとるかもしれへんやろうし……何より、俺、はるさんと二人きりになりたいんや」  なし崩しの同棲生活が始まっていても、家には千都がいる。衛陸も奈帆人も頻繁に出入りする。そうではなくて、二人きりで甘い蜜月を過ごしたい。  その申し出は、晴海にとっても嬉しいものだった。 「俺も、ここにいたらエリちゃんや奈帆人くんや千都ちゃんが気になるし、世津さんと二人きりになりたいです」  どうせ、晴海は増築作業が進んでいる和泉の敷地内の工房が出来上がるまでは、本格的な仕事ができない。デザインなどはためているが、作業ができないのは、実践派の晴海にはもどかしくもあった。 「行きたいところ、ある?」 「ブルーモスクって、ご存知ですか?」  偶像崇拝の許されていないアラビアでは、美しい幾何学模様や植物の模様、そして、祈りの言葉で礼拝堂を埋め尽くして神への礼賛を表す。学者の両親に連れられて様々な国を転々としてきた晴海だが、まだトルコには行ったことがなかった。  写真では見たことのある宇宙を表現するようなドーム内部の装飾や、ステンドグラスを実際に見てみたい。  美しいものに関しての興味が昔から非常に高い晴海にとっては、ブルーモスクは憧れの場所だった。 「トルコか! 俺も行ったことないわ。ええなぁ。行こ、はるさん」 「俺の趣味で決めてしまっていいんですか?」 「はるさんが憧れる世界を、俺にも見せてくれへん?」  付き合う前に晴海の作ったカップやソーサーや皿を見て、世津は「美しい世界を見せてくれた」と感激してくれた。今回も、世津は晴海の見たい「青い世界」を共有してくれるのだ。 「世津さんで良かった」  自分の伴侶が理解のある相手で良かったと、晴海は世津を抱き締めた。  小説の仕事の取材にもなるということで、世津が旅行会社を通して手続きは全てしてくれた。奈帆人の高校の卒業式の日に、お祝いのケーキを買ってきた衛陸と奈帆人と千都に合流して、おやつを食べているときに衛陸に旅行の報告をすると、自分のことのように喜んでくれる。 「はるちゃん、ずっと行ってみたかったって言ってたところじゃない」 「一人で行っても良かったんだけど……」 「世津さんと一緒の方が楽しいでしょう?」  現在はトルコは平和だが、どんな場所でもいつテロが起こってもおかしくはないし、いつ戦争が起きて貴重な文化財が失われてもおかしくはない。世津の伴侶になって長い時を生きるとしても、いつまでも憧れの場所が存在するわけではないのだ。 「行けるときに行かないとね」  愛しいひとと一緒に行けるのならば、尚更楽しい。 「エリちゃん、大丈夫?」 「奈帆人さんは良い子よ。心配しないで、はるちゃんは楽しんでらっしゃい」  告白されて振った相手と一緒に暮らすというのはどういう気持ちなのだろう。好きだが叶わないと思っていた世津と結ばれることができた晴海は、衛陸の気持ちはよく分からない。ただ、衛陸が十年以上世津や奈帆人と付き合いがあって、二人と後から生まれた千都を家族のように思っているのだけは見ていて分かる。 「お土産、期待してるわ」  笑顔で送り出してくれる双子の弟、衛陸に、晴海は深く感謝した。  三月のトルコは湿度が高く、肌寒いという。防寒具も準備して、モスクに入るときのショールなども準備して、晴海は世津と共に旅立った。飛行機でトルコまで約13時間、隣りの席で、二人、旅行ガイドを見たり、もたれ合って休んだり、穏やかな時間を過ごす。 「市場にも行ってみたいです。トルコのタイルもできたら見たいな」 「ホテルから市場は近そうやし、タイルも売っとるかもしれへん」  新婚旅行なので、ホテルは良いところにしたと囁かれて、晴海は耳まで真っ赤になる。和泉の家で同棲状態のときも、ほとんど毎晩一緒に寝ていた。何もせずに眠るだけの夜もあったが、恋人になってすぐで、世津は若い、何もない夜の方が少なかった。 「あの……程々に……」 「憧れの国で、足腰立たへんかったら、もったいないもんなぁ。そんときは、俺が抱っこしてやろか?」 「お、重いですから」 「俺かて、吸血鬼やで?」  真っ赤になったり、慌てたりするのが面白いのか、くすくすと笑いながら耳元で囁やく世津の声が甘く擽ったい。  憧れの場所に愛しいひとと一緒に、新婚旅行に。  残してきた衛陸と奈帆人は心配ではなかったわけではないが、それを忘れて、甘く楽しい日々に晴海はしっかりと浸ることに決めた。

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