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大学生蝙蝠の恋愛事情 2

 小さな頃から衛陸が好きだった。  穏やかで優しくて柔和なひと。決して奈帆人を馬鹿にしたり、怖がらせたりするようなことはしない。 「海外ではずっとはるちゃんと一緒だったの。それが日本に帰ったら、はるちゃんはやりたいことがあるからって別の場所に住んで、私、寂しかったのね」  抱き締めあって微睡みながら、衛陸が話すのを聞く。 「両親も、はるちゃんも、私が狼だってことは知らないし、一生言えないままなんだと思ってた。私、孤独ぶってたんだわ」  真正面から奈帆人が告白してきて、そのときも自分が狼だということを言えなくて、最終的には奈帆人が家出しかけて白状したのだが、それがなかったら今も誰にも秘密を打ち明けられていなかったかもしれない。  そう言う衛陸の胸に顔を擦り付けながら、むにゃむにゃと奈帆人は問いかける。 「はるさんには言わへんの?」 「はるちゃんは狼になれない血の濃さしか持っていないもの。知らない方が良いのかしらと思って」 「はるさんにとって、エリさんは大事な双子の弟や。秘密を抱えたままやなんて、そんなん、後から知る方がつらいやん」 「……そうね」  いつかは打ち明けるかもしれない。  その呟きを耳にしながら奈帆人は衛陸に抱き締められて眠りの中に落ちて行った。  翌日も大学で、周囲を見回して、警戒しながらどうにか門から出たまでは良かったが、大学近くの薬局に寄って出てきたところで、昨日の男に見つかってしまった。走って追いかけてきたのか、息が荒いのが気持ち悪い。 「恥ずかしがり屋さんなのかな。隠れなくてもいいのに」 「近付かんといて!」  カバンを盾にジリジリと下がるが、男は遠慮なく奈帆人に近付いて来て、壁際まで追い詰める。 「和泉奈帆人っていうんだって? 有名な小説家の弟だって噂になってた」 「気軽に呼ばんといて!」 「毛を逆立てた子猫みたいで可愛いね」  兄の世津が有名なせいで名前を知られたことを恨みつつ、手で髪に触ったり、頬を撫でたり、ベタベタと無遠慮に触って来る男に、奈帆人は無茶苦茶にカバンを振り回した。他人が怖いのに、触られて不快でないわけがない。 「俺の名前くらい聞いてくれないの?」 「近い! 顔を近付けるな!」  カバンで殴ろうとするのを払われて、奈帆人の身を守る唯一の武器だったカバンが吹っ飛んで手の届かない男の背中の向こうに落ちる。もう逃げ場がない。壁に手を突かれて逃げることができないし、男はタコのような口で奈帆人にキスをしようとして来る。 「泣いちゃって可愛いね。もっと泣かせたくなる」  震えながら逃れようと身をよじる奈帆人の目から涙が溢れ、今にも蝙蝠の姿になりそうになっていた。 「奈帆人さん、カバンを落としているわよ」  そこに現れた衛陸は、奈帆人には後光が差して見えた。パンパンとカバンを叩いて拾い上げてくれる衛陸が、男を押し退けて、奈帆人の手を取る。 「え、エリしゃん……こあかった……」 「なんだ、お前。今、取り込み中ってのが分からないのか?」  逞しい体躯の衛陸に若干怯えつつも、吠える男に、衛陸は笑顔のまま奈帆人を引き寄せて、近くの電柱に手を置いた。ミシミシとコンクリートが砕ける音がして、電柱がその男の方に倒れて行く。  間一髪、電柱を避けた男は、アスファルトの上に座り込んで呆然としていた。 「やだわ、老朽化してたみたいね。危ないから帰りましょ、奈帆人さん。あなた、電力会社さんに連絡しておいてね」  アスファルトの上に座り込む男の股間が恐怖で濡れているのを見なかったことにして、奈帆人は抱き上げてくれた衛陸の首にしっかりと抱き着いた。 「助けに来てくれて、ありがとう。エリさん、惚れ直したわ」 「このことは世津さんとはるちゃんには内緒よ。……あぁ、嫉妬深くて恥ずかしいわ」  嫉妬するだけ奈帆人のことが大事で、愛してくれているのだと実感して、奈帆人は嬉しかったのだが、世津や晴海に自慢することは出来ないようだ。それもそのはず、電柱をへし折るときに衛陸が使ったのは狼の力なのだから。 「俺の強い狼さんや。大好き、愛してる」 「私の全てを見せられるのは、奈帆人さんだけよ」  家に連れて帰ってくれた衛陸はバスルームで念入りに奈帆人を洗った後で、湯上りに二人きりのリビングで狼の姿を見せてくれた。  逞しい衛陸の体躯に相応しい、青白い毛皮の巨大な狼は、優しい水色の目をしていた。抱き着くとふわふわのもふもふで、鼻先を顔に擦り寄せて来る。 「恥ずかしいから、あまり長時間はこの格好でいたくないの」  その意味を深く考えなかった奈帆人だが、よく観察するまでもなく狼の姿では性器も後孔も見えてしまっている。慎ましやかな衛陸がこの格好を嫌がる意味が分かって、それでも見せてくれたことが嬉しくて、奈帆人はしばらく衛陸をもふもふとしていた。  すぐにひとの姿に戻った衛陸は、奈帆人とキッチンに並ぶ。左岸家と和泉家を繋ぐ工事が進んでいて、もうすぐ二つの家のキッチンが一緒になって、二倍の広さになり、リビングも二つ繋がることになっている。  広いリビングには全員が食事ができる大きなテーブルと人数分の椅子を用意していた。 「はるさんも、せっちゃんも、ちぃちゃんも、俺も一緒で、もう寂しくないやんな」  ひとよりも長い時を生きる吸血鬼や狼などの人外にとっては、その正体を隠すためにある程度の年月が経てば居場所を移らなければならなくなる。そのときもきっと、晴海と世津と衛陸と奈帆人は離れない。付き合いが始まってすぐに晴海に呼び出されて、衛陸が寂しがりなことを言われた奈帆人は、晴海が衛陸から離れていくようなことはない気がしていた。 「そうね。家族もこれから増えるかもしれないし」 「今はまだ学生やからあかんけど、いつか、俺の赤さん、産んでくれはる?」 「そうなったら嬉しいわ」  もうすぐ広くなるリビングで二人、抱き締めあった。  ベッドで奈帆人は薬局で買ってきたものと見つめ合っていた。湯上りの衛陸が奈帆人の手元を覗き込む。 「責任の持てんことはできん。ずっと一緒におりたいなら、俺は、エリさんとのこと、ちゃんとせなあかん」  ふるふると震えながら避妊具(ゴム)の入った箱を見せる奈帆人の額に、衛陸はキスをしてくれた。 「奈帆人さんが大学を出るまでは、ね」 「ん! それまでは、我慢する!」 「良い子」  口付けて衛陸が奈帆人をシーツの上に倒してパジャマを脱がせてくれる。奈帆人も衛陸のパジャマを乱して、その胸に吸い付いた。白い胸に淡く色付く尖りは、扇情的に奈帆人を誘う。 「えりしゃん……しゅきや……えりしゃん……」  胸を吸いながら、奈帆人の腰に跨ってパジャマを脱ぐ衛陸の発達した大臀筋の丸い形のいい尻を揉むと、衛陸が引き締まった腰をくねらせる。狭間に指を滑らせると、そこはもう濡れていた。  指を差し込んで拓いている間に、ぴっと歯で避妊具(ゴム)の包装を破った衛陸が、指を輪の形にして、根元まで奈帆人の中心に被せてくれる。衛陸の奥から指を引き抜いて、奈帆人は掠れた声でねだった。 「エリさん、抱いてぇ」  入れる方が抱くのか、入れられる方が抱くのか、そんなことはどうでもいい。ただ、衛陸の中に入って、その包容力に包まれたい。 「たっぷり抱いてあげるわ」  舌舐めずりした衛陸に、狼の姿が重なって、ずぶずぶと柔らかな内壁に飲み込まれながら、奈帆人は狼に食べられる小さな蝙蝠になった気分だった。  皮膜越しの接合は避妊具(ゴム)を取り替える手間があったり、感触が違ったりして、少しばかり物足りなさもあったけれど、奈帆人は幸せに衛陸の中で絶頂を迎えていた。  翌日から奈帆人は大学で絡まれることはなくなった。  それどころか、「あいつに手を出すと、怖い彼氏が電柱へし折ってそれを振り回して殴られる」とか「ナンパして彼氏に撃退されて漏らした奴がいる」とかで、遠巻きにされて、奈帆人は安心して大学生活を過ごせるようになったのだ。  尚、漏らした男は、その噂が広がって、モテなくなったらしいが、そんなことは奈帆人には関係なく、平和な大学生活を謳歌していた。

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