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ご近所さんは真祖様 1

 最初、その男性に晴海が目を止めたのは、世津と雰囲気が似ていたからだった。  黒髪に黒目がちの目に、長い睫毛。白い肌にぽってりとした赤い唇。  晴海にとって世界で一番美しいひとは世津だったが、その男性は世間的に考えれば物凄く整った顔立ちをしていた。その顔が悲しげに見つめる先には、人だかりの出来ているスーパーの特売品コーナーがあった。  保育園が千都と同じなので見覚えのある3歳の男の子を胸にコアラのようにくっ付けて抱っこして、背中にはおんぶ紐でその子の弟の1歳の男の子をくっ付けている。あえかな唇から漏れるのは、落胆の呟きだった。 「ごめんね、威月(いつき)さん、今日は玉子も牛乳もお豆腐も買えないみたい。あの中に入っていくなんて、怖くてできない」 「おちょーふ、ないの? おみしょしるは?」 「乾燥ワカメだけかなぁ」 「たがもやきは?」 「玉子焼きも明日のお弁当にはないかなぁ」  哀愁漂よう3歳児との会話に、食事が絶望的と悟ったのか、背中の1歳児が手足をばたつかせて泣き出す。 「千都ちゃん、ちょっとここで待っててくれるかな?」 「はい、おきをつけて」  人だかりの中に入り込んだ晴海は、玉子を4パック、牛乳を2パック、お豆腐を二丁、ゲットして戻ってきた。空っぽの籠を前に消沈しているその男性に、玉子2パックと牛乳1パック、お豆腐一丁を差し出した。 「子どもが二人もいるとお買い物も大変ですよね。よろしければ、どうぞ」 「あ、ありがとうございます」 「おみしょしる、おちょーふ、ありゅ? おべんと、たがもやき、ありゅ?」 「うん、プリンも作れるよ」  抱き合って喜ぶ男性と3歳児、そして泣き止んだ背中の1歳児に、良いことをしたと満足してお会計を終えて、晴海がエコバックに買ったものを詰めていると、窓の外は雨が降り始めていた。 「千都ちゃん、レインコート出して、着てくれる?」 「はい! はるさん、おりたたみがさ、どうぞ」  天気予報で雨が降るかもしれないということで、千都にリュックサックに入れて持っていてもらったレインコートを着てもらって、晴海は折り畳み傘を受け取った。帰ろうと出口に向かったところで、立ち尽くすのは先ほどの男性だ。 「傘は持ってきたけど、傘さしたら、真和(まお)くんを抱っこできない……」 「まお、あんよすゆ。いちゅしゃん、かしゃ、さして?」 「真和くんが歩いたら、雨に濡れて風邪を引いちゃうよ」 「いちゅしゃん、かしゃささなかったら、まなくん、かぜ、ひいちゃう」 「そうなんだけど……」  スーパーで買った食料品は大量で、それを持ちつつ、3歳児を抱っこしつつ、傘をさすのは晴海が見てもとても無理そうに思える。 「俺の準備が悪かったせいで、真和くんが……」  泣き出しそうなその男性を、晴海は放っておくことができなかった。 「お家、ご近所ですよね。俺、荷物持って行きますよ。千都ちゃん、ちょっと寄り道しても良いよね?」 「いいですよ。あめにぬれて、かぜをひいたらたいへんなのです」  いちご柄のレインコートを着た千都がこくりと頷く。 「良いんですか。すみません、甘えてしまって」  無事にその男性は3歳児を抱っこして、1歳児を背中におんぶ紐でくっ付けて、傘をさして家まで辿り着いた。保育園が同じなので近所だとは思っていたが、徒歩十分もしない距離だったので、晴海も安心する。 「せめてお礼にお茶でも飲んで行ってください」 「じゃあ、お邪魔しようかな。良いかな、千都ちゃん?」 「まなちゃんと、あそびたいです!」  歩いている間に、その男性は高階(たかしな)威月(いつき)という名前で、3歳の子が湯浅(ゆあさ)真和(まお)、その弟の1歳の子が湯浅(ゆあさ)真那(まな)だと教えてもらった。 「お母さんは産後の肥立ちが悪くて、寝込んでて、療養してるんですね」 「そうなの。それで、真和くんは俺と将来結婚するし、真那くんは義弟になるから、俺が頑張って育てようと思ったの」  今、このひと、3歳の男の子と将来結婚するって言った気がする。  流石の晴海も少しばかり引っかかったが、真和も「いちゅしゃんと、けこんすゆ」と言っているし、それで二人が幸せならば良いのだろうと気持ちを切り替えた。それはそれとして、千都が真那を膝の上に抱っこして言い聞かせる。 「まなくん、おおきくなったら、ちづとけっこんしましょうね」  あれ? また、何か結婚とか聞こえた気がする。  5歳と1歳の話なので、可愛いといえば可愛いのだが、千都は妙に聡いところがある。しかし、まだ5歳、未来など分からないだろうと晴海は楽観視していた。 「今日は本当にありがとうね。すごく助かったよ。今度お礼に伺ってもいいかな?」 「お礼なんて、とんでもないですよ。お茶もお菓子もいただいちゃったし」 「千都ちゃんと真和くんと真那くんも仲良しになったしね」 「それなら、遊びに来てください」  お茶をして千都と真那と真和が遊び終える頃には、雨も上がっていて、晴海は片手にエコバッグと傘を持って、もう片方の手で千都と手を繋いで帰った。  その日の出来事を夕飯のときに世津に話すと、驚かれる。 「はるさんは優しいなぁ。ママ友ができたんか……うちのお嫁さん最高や」  うっとりとする世津に、晴海は千都と同じ保育園の保護者を助けられたことが誇らしかった。それから、千都をお迎えに行くときに、何度か威月とは話した。 「俺は舞台役者で、何時間でも舞台の上で走り回って歌って踊れる体力はある。でも、主夫業がこんなに大変なんて知らなかったの。毎日真和くんと真那くんにご飯食べさせて、着替えさせて、保育園に連れて行って、お洗濯して、仕事に行って、保育園にお迎えに行って、お掃除して、ご飯食べさせて、お風呂に入れて……終わりが見えない作業って、困るよね」 「うちは夫も自宅仕事だし、俺も自宅仕事だから、どっちも兼業主夫みたいな感じで、ある程度分担して楽はさせてもらってますけど、威月さんのところは子ども二人だし、大変ですよね」  すっかり千都も真和と真那と仲良くなったし、ときどきは遊びに来て息抜きをすれば良い。そんなことを話していたときに、威月が「今度、この前のお礼に伺うね」と申し出た。 「お礼なんて、もういいのに」 「晴海さんの旦那さんにも興味があるからさ」  現行の日本の法律では、地域によってパートナー登録はできても、同性が正式に結婚はできない。それでも、晴海は世津の伴侶で、世津以外を考えたこともなかったから、他人に紹介するときには「夫」と口に出していた。威月にも、千都は夫の妹であることを伝えている。  本気なのか、3歳児に合わせているのか、威月も真和と将来結婚すると言っているから、同性のカップルに偏見はないのだろうが、興味はあるのかもしれない。 「まなくんが、おうちにくるのですね。あにうえたちにしょうかいしなければ!」  すっかりと真那を気に入っている千都も喜んでいるようなので、日程を決めて、その日には世津もいてもらうことにした。  晴れた休日に菓子折りを持って、胸に真和を抱っこして、背中に真那をおんぶ紐で括り付けた威月を、和やかに迎えた晴海だったが、世津は威月の顔を見た瞬間、目を剥いて立ち尽くしていた。 「世津さん、お知り合いでしたか?」 「そ、そのひと、真祖様や」  魔術などを以ってして最初に吸血鬼になったものを真祖と呼び、その後に生まれてきたものを真祖の血を継ぐ者と呼ぶ。もともと真祖とはそういうものだったが、長く生きるうちに自らの終わりを望むようになって、吸血鬼同士の間に生まれた極めて血の濃いものに、真祖は受け継がれるようになった。そうやって受け継いだ今の真祖が、高階威月という、年齢を悟られないようにひと所に留まらず、各国を放浪しながら舞台役者を続ける男性だった。  全ての吸血鬼を統括する存在、真祖。 「晴海さんには黙ってて悪かったけど、千都ちゃんを見たときに、千都ちゃんが吸血鬼で、晴海さんは吸血鬼の伴侶だって分かってたんだ」 「威月さんも、吸血鬼ってことですか?」 「そう。俺は真祖……だけど、俺は真祖を譲りたいと思って、ここに来た」  お胸をぺちぺちと叩く3歳児を抱っこして、背中で手足をばたつかせる1歳児をおんぶした、とても容姿は美しいが所帯染みた威月の言葉に、世津が身構える。以前に聞いたが、世津は吸血鬼同士の間に生まれた、極めて血の濃い吸血鬼ということだった。 「俺に、次の真祖を、譲りたい、と?」  躊躇いながら問いかけた世津に、威月はキッパリと首を振った。 「いや、妹さん」 「ふぁー!? ちぃちゃんに!?」  威月の背中でちたぱたと手足を振り回している真那に手を伸ばす千都に、一同の視線が集まった。驚くことも慌てることもなく、千都は落ち着いて答えた。 「まなくんと、けっこんさせてくれるなら、いいですよ」 「ふぇー!? ちぃちゃんが、結婚!?」  驚きすぎて顔面が崩れている世津をソファに座らせて、威月には背中の真那を降ろさせて、抱っこしている真和も降ろさせる。床に足が付くと、よてよてと真那は千都のところに歩いて行って、ぎゅっと抱き着いた。 「うんめいなのです」 「えぇー!?」  本日三度目の世津の悲鳴が上がって、落ち着くために晴海はお茶を淹れにキッチンに行くのだった。

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