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ご近所さんは真祖様 2

 何が起こっているのか全く分からない。  保育園が千都と同じママ友感覚の晴海の友人が家に来るというので、それまで晴海の友人に紹介されたこともなく、「夫です」と紹介されることだけを期待して、仕事も早々に片付けて待っていた休日の午前中。天気が良くて庭に干した洗濯物もよく乾きそうだった。  麗らかな初夏の日差しを浴びてやってきたのが、まさかの吸血鬼真祖様、高階威月である。  吸血鬼を総括する存在として、その血統の尊さや力の強さを聞かされていたが、本人と会う機会があるなど思いもしなかった。その上、真祖を譲りたいという言葉に、世津は自分が譲られるのかと身構えた。  その結果が、千都に真祖を譲るという言葉と、威月の連れていた子どものうち小さい方が運命だからその子と結婚させてくれれば真祖になるという千都の返事だった。 「ちぃちゃんは、まだ5歳ですよ? 今やないとあかんのですか?」  血統的には世津と奈帆人と千都は同じ濃さである。けれど、奈帆人は若干吸血鬼として弱い部類に入る。逆に薄々自分より千都の方が強いのではないかとは気付いていた世津。そうであっても、まだ5歳の妹が真祖などという大役を任されるのは不安しかない。  真祖ともなれば、吸血鬼の存亡の危機になれば矢面に立って戦わねばならない。晴海と気持ちが通じ合っていなかった頃に世津が夢魔を日本から追い出すようなことをしたが、夢魔の長は夢魔の一族を守るために最後まで世津の前に立ち塞がった。あれと同じことを、吸血鬼一族の危機には千都がしなければいけなくなる。 「もちろん、5歳の子に全部任せるつもりはないよ。後ろ盾になって、しっかり守るつもりだし、俺の伴侶の弟の伴侶だから、義妹になるしね」 「伴侶……え? そ、その子が?」  世津の視線の先で、丸い膝小僧を揃えて威月の膝の上に行儀よく座っている3歳児を、真祖が伴侶と言った気がした。 「そうなの! ずっと孤独で寂しかったんだ。人間と知り合っても、先に死んでしまうし。長い旅路の末に、ようやく出会えた伴侶なの。大事に大事に育てたい」  だから、真祖の仕事はしていられない。  身勝手にも口にする真祖に、世津は開いた口が塞がらなかった。 「そういう理由で、5歳児に真祖譲りはりますの?」 「そういうりゆうとは、なんですか、あにうえ!」  頭痛がして額に手をやった世津に食ってかかったのは、意外にも譲られる本人、千都だった。 「あにうえだって、うんめいのひとがみつからなかったら、ちをすわないで、にんげんとおなじじゅみょうでしんでいいっていっていたではありませんか。うんめいがどれだけだいじなのか、あにうえがいちばんおわかりでしょう?」  言いながらぎゅっと抱きしめるのは、1歳の幼児。抱き締められて嬉しそうに涎を垂らしながらニコニコしているその幼児と、真祖のお膝の上でモジモジとしながら座っている幼児を世津は凝視した。 「この子ら、ひとやない……?」 「やっときづいたのですか。あにうえは、こういうことにはにぶいですからね」  千都に言われて、説明を求めるように威月に視線を向けた。 「猫(ワーキャット)の一族の子でね、雑種なんだけど、そのせいで母親が真那くんを産んでから体調を崩して、子育てができる状態じゃないんだよね。子育てが、こんなにも大変だったなんて、知らなかった」  妊娠中に浮気をしていた父親は、母親が追い出して二度と子どもに会わせないと宣言したらしいので、他にも頼れる相手もおらず、運命の相手として威月が伴侶とその弟を育てることにしたのだ。 「世津さん、提案なんですけど……」 「は、はるさん、なんやろ?」  一度に来た現実を受け止められなくて、晴海の膝に崩れ落ちた世津を、晴海が大きな手で優しく撫でてくれる。 「左岸の家とくっつけたから、この家元々広いですけど、ものすごく広くなりましたよね。威月さんと真和くんと真那くんが住んでも、平気な気がするんですけど」 「真祖と、同居!?」  晴海の提案ならばどんなものでも賛成したい。けれど、突拍子も無い言葉に、世津は驚いてしまった。それを宥めるように撫でる手は止めず、晴海が言葉を続ける。 「千都ちゃんが真祖を継ぐのなら、元真祖の威月さんがそばにいてくれるのは心強いことでしょう? それに、千都ちゃんも運命の相手と一緒に暮らせて、威月さんは一人で子育てで潰れそうにならなくて、大団円じゃないですか?」  突然真祖が家に訪ねてきて、真祖を5歳の千都に譲ると言って、千都はその真祖の運命の相手の弟の1歳の幼児を運命の相手という。なにもかもが急すぎて受け入れ難いことばかりだったが、晴海が穏やかにゆっくりと話してくれると、全てが世津の中で綺麗に繋がる気がした。 「せやな、威月さんも大変やろうし、ちぃちゃんは運命のひとと出会(でお)たんやから離れたくないよな。それに、真祖を譲られるんやったら、元真祖と一緒におった方が、安全や……はるさん、天才かな」  晴海が提案すると、全てがそれでいいような気がしてくる世津だった。  大学から帰ってきた奈帆人と仕事を終えた衛陸が、夕飯に来る前に、威月と同居の話を詰めておく。 「ここで暮らしても良いんだったら、保育園の送り向かえも楽だし、ご飯も分担できて助かるなぁ」  どうせ、今までひとところには留まれず、放浪の身だった。今更どこに住んでも同じこと。それならば少しでも条件の良いところに暮らしたい。  自らの子ではないとはいえ幼い子どもを二人も抱えた威月が、一人でこの国で暮らしていくのは大変だっただろう。聞いた話では、スーパーの特売でも競り負けているというのだ。吸血鬼の真祖に生活感があるイメージはないが、威月は吸血鬼としての力は最強なのだが、花よ蝶よと真祖の後継として大事に育てられた上、仕事も舞台役者で、長く生きているせいもあって、完全に浮世離れした性格になってしまったようだった。 「し、しししし、真祖様が、なんで、ここにおるんや!?」  帰ってきた瞬間、泡を吹いて蝙蝠の姿になってポトリと床に落ちた奈帆人を、興味深そうに真那が拾う。うずうずと手を出そうとする真和も、猫の本性にはかてないのだろう。 「ね、猫……猫はあかん……エリしゃーん」  あむあむと口に入れようとする真那を「へんなものをたべてはいけません」と千都が止めるが、取り上げた小さな手が、かなりキツく奈帆人を握りしめていることに世津は気付いていたが見ないふりをした。 「千都さん、奈帆人さんが気絶しちゃうわ。奈帆人さん、もう大丈夫よ」  救い出された奈帆人は、泣きながら衛陸の胸に潜っていった。 「初めまして、高階威月です。晴海さんにはお世話になってて、こちらで同居させていただこうかというお話をさせていただいてます」 「はるちゃんの弟の衛陸です。真祖ってことは、吸血鬼の頂点(トップ)ってことですよね」 「千都ちゃんに譲るつもりなんだけどね」 「あら、千都さんに」  説明を聞いて、衛陸は同居に賛成のようだった。 「良いと思うわよ。家族はたくさんの方が安心だわ」  運命の相手がいるのならば、威月が他の相手に手を出すことはない。両親のことで吸血鬼の中には、人間を餌としか思っていない輩もいることは承知しているが、伴侶を育てるために真祖の地位を捨てようとしている威月がその類だとは世津には思えなかった。なにより、晴海がこれだけ信頼している。 「引っ越しの日取りは近いうちに決めましょ」 「よろしくね」 「よろちくでつ」 「うっ!」  頭を下げる威月と真和と真那に、緊張感もなく、夕食をみんなで食べた後、世津は脱力しながらその帰りを見送った。 「はやく、まなくんといっしょにくらしたいです」  頬っぺたを真っ赤にして興奮している千都は、その日は珍しくなかなか眠れなかったようだが、ホットミルクに蜂蜜を垂らしたものを飲ませてベッドに寝かせた。衛陸と奈帆人は左岸の家の方に戻って、晴海と世津の大人の夜が始まる。 「今日は、冷静なはるさんに惚れ直したわ」 「あれは、ちょっとだけ俺の打算もあったんです」  話がありますとベッドで正座して姿勢を正されて、世津も正座して姿勢を正す。同居のことを話していたから別れ話ではないだろうが、改まっての晴海の態度に、何事かと心臓が高鳴る。 「妊娠した、かもしれません。その……初めてだし、俺、男だから、本当にそうなのか、自信はないんですけど、もしかしたら、そうじゃないかなって……」 「ほんまか!?」  構えていたら嬉しい知らせに、世津は晴海に飛び付いていた。  もしも、赤ん坊が生まれるのならば、人手は多い方がいい。そう考えて晴海が威月に同居を申し出たのならば、打算も何も、なんて賢いひとなのだろうという賞賛しか世津にはなかった。 「病院! 病院で検査しよ!」  今すぐにでもと気が急いて晴海の手を引っ張る世津を、晴海が引き寄せて胸に抱き締めてくれる。 「今日はもう遅いですから、明日、病院が開く時間になってから、一緒に来てくれますか?」 「もちろんや!」  和泉家がこれから賑やかになる兆しに、晴海と一緒なのに世津は久し振りに眠れない夜を明かした。

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