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蝙蝠と子猫兄弟 1
猫は蝙蝠など小動物を捕まえて、弄ぶ習性がある。
左岸家に奈帆人と衛陸は暮らしているが、そこと繋がっている和泉家で晴海と世津と千都が同居を決めたのは、吸血鬼の真祖である高階威月と、その幼い伴侶兄弟である湯浅真和と真那。
湯浅真和と真那の3歳と1歳の兄弟は、猫(ワーキャット)だったのだ。
気の小さな奈帆人にとっては、真祖本人に会うだけで気絶してしまうくらいなのに、その伴侶が猫とは受け入れがたい。初対面で泡を吹いて蝙蝠になって床に落ちてしまった奈帆人を、真那は掴んで口に運ぼうとした。それはまだ1歳でしかない幼児の真那の本能的な行動なのだろうが、真和も奈帆人を見てウズウズとしているのが分かって、奈帆人には恐怖でしかなかった。
「お、俺、ちゃんと、暮らしていけるやろか……」
一応二階から上は別棟にはなっているが、一階は繋がっていて、キッチンはふた世帯分共有で広く、食事のできるテーブルが中央に置いてあって、それを境目にするように左岸家側と和泉家側の寛ぎソファスペースのある広いリビング。そこで真祖や猫の兄弟に遭遇しないということは、ほぼ不可能であった。
「奈帆人さんは優しいから、小さい子に好かれるわよ」
「ちぃちゃんにも舐められてるのに!?」
最早泣き出している奈帆人は、寝室で衛陸の胸に顔を埋めていた。仕事によっては時間がずれることはあるが、食事は原則一緒に摂っている。顔を合わせないという方が無理だった。
「千都さんのは、甘えてるんだと思うわ。年の離れたお兄さんだもの」
「そうやろか……」
「小さいけど、吸血鬼の本能で分かるんでしょうね、真那さんが千都さんの運命の相手なら、家族ですもの。仲良くしたいわ」
老いる速度が人間とは違う吸血鬼の一家は、ある程度目くらましが使えるとはいえ、怪しまれる前にこの土地を離れなければいけない。ひとではないものを、人間は警戒し、排除したがるのは、吸血鬼やその他の人外が数を減らし続けている歴史を見ても明らかだった。
どこか遠い場所に行くにしても、そのときに家族や同族がいることは心強いだろう。
「いつか、俺とエリさんの間にも赤さんが生まれるかも知れへんもんな」
そのときには、きっと大きくなった千都や真那や真和に遊んでもらうこともあるかもしれない。吸血鬼としての血が薄い奈帆人と、狼(ワーウルフ)としての血が濃い衛陸ならば、子どもは恐らくは狼寄りになるだろう。自分の子どもが蝙蝠になる危険がないのは、奈帆人にとっては、安心でもあった。
「エリさんで良かったわ」
運命のひとが衛陸で、奈帆人を受け入れてくれたこと。何度でもそのことが良かったと、奈帆人は衛陸に伝えたかった。どれほど衛陸に憧れた幼少時代、告白をしてからも受け入れられずに焦がれた時期もあった。
「私も奈帆人さんで良かったわ」
抱き締められて、奈帆人は目を閉じて眠りに落ちていた。
同居が決まった翌日の夕食から、荷物を運び込み始めた威月と真和と真那が参加して、そこで晴海の重大発表があった。
「今日、世津さんと病院に行ってきたんだけど、お腹に赤ちゃんがいることが分かりました」
その報告に世津はもちろん嬉しそうな顔をしていたが、喜んだのは双子の衛陸である。
「良かったわね、はるちゃん。体は大事にしないとダメよ」
人外は人間よりも長い時間を生きる代わりに、子どもができにくいと言われている。和泉家のように短期間で三人も子どもが生まれたのは、稀な例だろう。もしかすると、子どものできやすい遺伝子を世津は持っているのかも知れない。
「俺が叔父さんで、ちぃちゃんが叔母さんになるんか」
「おいっこでしょうか、めいっこでしょうか」
まだ実感の湧いていない奈帆人とは対照的に、千都はにこにこと嬉しそうにしていた。将来伴侶になる真那との同居も決まって、兄には子どもが生まれるのだ、末っ子の千都はお姉さんになった気持ちなのかも知れない。
「俺も出来るだけお手伝いするね。保育園の送り迎えも、行ける人が行ったらいいよね」
「いちゅしゃんじゃなくても、まお、がまんできゆ! いちゅしゃんのためらもん!」
「真和くん、なんて男前なの!」
同居のために買ってきた幼児用の椅子に座った真和が凛々しく言い、テーブル付きの椅子に座っている真那がぺちぺちとテーブルを叩く。
夕食のときには食べ盛りの真和と真那の関心は、完全に食事に向いているので奈帆人も大きな衛陸の陰に隠れながら、こそこそと食事をしていた。
夕食後には、早く眠くなる小さな子たちからお風呂に入れる。
「いつきさん、ちづ、まなくんとおふろにはいってもいいですか?」
「千都ちゃんは、誰とお風呂に入るの?」
「はるさんはむりをしちゃだめだし、せつあにうえはびょういんにいったぶんのおしごとをしないといけないんですよね」
ちらちらと千都が視線を向けてくるのは、奈帆人だった。ただでさえ猫で、1歳なのでまだ言葉も碌に通じないので、怖がっている奈帆人は、ふるふると首を振るが、千都はいい笑顔で奈帆人を見つめる。
「なほとあにうえとはいります」
「俺は、エリさんと……」
「あにうえは、たすけあいのせいしんが、たりません! そんなちいさなおとこでは、エリさんにきらわれますよ!」
胸を張って言われてしまって、奈帆人は半泣きの顔で衛陸を見つめた。
「エリしゃん、俺のこと、嫌いになる?」
「ならないわ。私とじゃダメかしら?」
「エリさんとはいると、なほとあにうえが……」
嫉妬するとかそういうことを言いたげな千都に、その通りだったので奈帆人は何も言えなくなってしまう。とぼとぼと着替えを持って、威月と真和が和泉家のお風呂に入っている間に、奈帆人は千都と真那をお風呂に入れた。小さい頃から千都をお風呂に入れているので、真那を洗ったりすること自体は、大変ではなかった。
「真那くん、お目目、ぎゅーってできるか?」
「ぎゅー!」
気合いを入れて口にまで出して両手でお目目を押さえて目を閉じる真那の頭を洗って、体も洗って、湯船に立たせる。その間に髪以外は洗っていた千都を、真那が溺れないように見つつ髪を洗って、湯船に入れる。それが終わって、真那と千都を衛陸に着替えに渡してから、ようやく奈帆人は自分の体を洗い始めた。
「ちぃちゃんの小さい頃を思い出すわ……でも、エリさんと入りたかった……」
大柄な衛陸と長身の奈帆人が一緒に入るだけでも、このお風呂は狭く感じられる。それに千都と真那が一緒になると、洗うのも大変なので、とても全員では入れない。
「せっちゃんは、はるさんと入ってるんやろなぁ……羨ましい」
ボディソープの泡を流していると、バスルームの扉が開いた。
「奈帆人さん、もう出ます?」
「いや、まだ髪を洗うとらんよ」
「それじゃあ、洗ってあげましょうね」
バスタオルを腰に巻いて入ってきた衛陸に、奈帆人は内心飛び跳ねるくらい喜んだ。
「ええの? エリさんが俺の髪を洗うてくれる! じゃあ、俺、エリさんの髪を洗うわ」
「お願いするわね」
今日は千都と真那をお風呂に入れてお終いかと思えば、衛陸はちゃんと頑張った奈帆人にご褒美を用意しておいてくれる。お風呂上がりの千都と真那は威月と真和のところに渡してきたらしい。
「思い出すわ、小学校から帰って家に一人でおったら、エリさんが、『宿題は終わった? おやつに来ない?』って誘いにきてくれよった」
あの頃から衛陸は奈帆人を気にかけて、奈帆人が寂しくないようにしてくれた。周囲の人間が怖い奈帆人は友達もおらず、学校から帰れば家に一人きりのことが多かった。寂しくて蝙蝠になっていても、衛陸が見つけてくれたのは、本性が狼で匂いで辿れたからかも知れないと今更に気付く。
「エリさんは俺が一番喜ぶことを知っとる」
「そりゃ、付き合いが長いもの」
それに、愛してるからね。
優しく頭皮をマッサージしてくれながら囁く、艶のある衛陸の声に、こくりと奈帆人は喉を鳴らした。
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