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新しい家族 1
真夏に入る頃に、高階威月と湯浅真和と湯浅真那は、和泉家に引越しを終えた。それまでは最低限の荷物を持っての同居生活だったが、マンションを完全に引き払ってしまって、全ての荷物を片付けてしまうには、威月の公演がひと段落してから、二人の幼児を抱えてだったので、時間がかかるのは仕方のないことだった。
「真和くんと真那くんが大きぃなったら、子ども部屋も考えなあかんなぁ」
「まなくんは、ちづといっしょでいいのですよ?」
「いや、ちぃちゃんは女の子やし、一緒ってわけにもいかんやろ」
長男の世津にとって、真祖を譲られた吸血鬼であるとしても、千都は5歳の可愛い妹だった。不満そうな千都に抱っこされた真那が、いくら可愛い猫の姿でも、世津には関係ない。
「ん? 猫?」
両手の下に腕を入れて、ぷらんと真那を吊り下げるように抱っこしている千都の腕の中で、本性に戻ってごろごろと喉を鳴らしている真那を、世津は凝視した。
子猫とはこんなに大きかっただろうか。顔もなんとなく丸くて手脚が太くて大きな気がする。
「もしかして、虎……」
「とらがらの、かわいいこねこちゃんなのですよ!」
「せっちゃん、今頃気付いたんか……」
今日は衛陸と奈帆人が朝ご飯の当番で、片付けを終えた二人がキッチンから出てきて、弟に肩をポンと叩かれて、世津は威月の膝の上でごろごろと甘えている小さな真和を凝視する。母親がマンチカンのワーキャットということで、色々と混じっているのか、真和は長毛の手脚の短い可愛いミヌエットという種類にとてもよく似ていた。しかし、何度真那を見ても、虎の赤ん坊にしか見えない。
「父親が虎やったら、そら、産むの大変やったやろな」
産後の肥立ちが悪くて療養しているという真和と真那の母親の体調が悪い理由を、なんとなく悟った世津だった。
そうなると、工房に仕事に向かおうとしている晴海が気になる。
「はるさん、体は大丈夫か? 何かあったら、俺、部屋で仕事してるから、声かけてや」
「大丈夫ですよ、検診でも順調だって言われてました」
吸血鬼の伴侶となってから半年も経たないうちに、晴海は世津の赤ん坊を妊娠した。人外のための特別な病院で、それを知らされたとき、世津は泣くほど嬉しかった。その後もかなり遠くにある人外のための特別な病院に、晴海は通っている。定期検診のときには行き帰りで時間がかかるので、千都と真和と真那の保育園の送り迎えを威月や奈帆人に頼むことがあった。
「俺男だから、所謂、産む場所がないでしょう。切るって言われたときは、ちょっと躊躇いましたけど、でも可愛い赤ちゃんと会うためなら、頑張れます」
吸血鬼の伴侶として赤ん坊を孕める体にはなっているが、男性として骨格が変わるわけではなく、骨盤が開かない上に、赤ん坊が出てくる場所がそもそもないので、出産は帝王切開で行われる。
「はるさんのお腹を切るやなんて」
赤ん坊は嬉しいが、晴海の体に傷が付くのはつらい。病院で説明を受けたときに、怖気付いてしまった世津に、晴海は落ち着いて「傷の治りも早くなってるから大丈夫です」と答えた。妊娠したのも早かったが、世津と晴海は相性が良いのか、伴侶として晴海の体質が変わっていくのも早く、伴侶にしていない頃から傷の治りが早くなっていたが、伴侶にしてからはますますそれも増していた。
運命の相手というのは、やはり特別なものらしい。それをなぜ蔑ろにできていたのか、世津は去って行った両親が信じられなかった。
ずっと世界に、自分一人だけしか頼れる相手はいないような気分で生きてきた。両親は信用ならず、周囲は人間ばかりで吸血鬼だとバレてはいけないし、弟や妹は小さい。唯一隣りの衛陸は秘密を知ってくれていて、その上で和泉家を助けてくれる大人だったが、それでも、最終的には弟や妹も含めて、人間の衛陸にも害が及べば世津が守らなければいけないと、ずっと気を張っていた。
誰の指示も聞かない。家族以外の誰も信用しない。
ずっと扉を閉ざして、強固に守り続けていた自分というものを、晴海は優しく見つけてくれた。俄かには受け入れがたい千都に真祖が譲られるということも、晴海が説明して折衷案を出せば受け入れられた。
晴海のいない世界など考えられない。
だからこそ、世津には晴海の出産は怖いものでもあった。出産とは明るいイメージが強いが、常に命がけで、事実、真和と真那の母親は死にかけて療養をしなければいけないくらいになっているのだから。
「はるさぁん、ご飯にしよか?」
仕事に集中すると世津も食事を疎かにしがちだが、晴海の場合は肉体仕事なのに食べるのも寝るのも風呂に入るのも忘れて気が付けば一日経っているということがある。妊娠する前もだが、妊娠してからは特にご飯は声をかけて、気付かせるようにしていた。
トントンと母屋から繋がる工房の扉を叩けば、中から返事が来る。
「はーい! ちょっと、今、酷い状態なので、シャワー浴びて十分後に行きます」
磁器も陶器も扱う晴海は、エプロンをしていても窯の熱で汗だくだったり、土や染料で汚れていたりする。それをすぐに流せるように、工房は母屋のバスルームにすぐ行ける間取りになっていた。
「着替え、用意しとくから、バスルーム直行してや」
「ありがとうございます」
服装には無頓着な晴海は、派手な柄のシャツを着ていたりするのだが、褐色の肌に彫りの深い顔立ちに、意外とそれが似合っていて、世津は気に入っている。けれど、そんな晴海に作務衣や和服を着せてしまうのも、世津のお気に入りだった。
軽く体を流して出てきた晴海が、世津の用意した作務衣を着てリビングにやってくる。昼食は簡単におにぎりとインスタント味噌汁と玉子焼きに、きゅうりとトマトのサラダで済ませる。仕事があるので、あまり昼食の準備に時間をかけていられないのと、食べるのも手早く済むものが晴海の好みだった。
大きなおにぎりを黙々と食べる姿がワイルドで、見惚れてしまう。
「悪阻とか平気か?」
「空腹の方が気持ち悪い感じがするから、俺、食べ悪阻なのかもしれないってお医者さんには言われました」
妊娠期の食べすぎはそれはそれで心配だが、晴海の場合は体も大きいし、体力仕事なので食べない方が体がもたないだろう。
「空腹で気持ち悪くなるんやったら、小まめに食べた方がええかもしらへんね」
「そうですね。おにぎり、工房に持って行っても良いです?」
昼食で残ったおにぎりを、晴海のためにラップをかけて持たせて、世津は仕事に戻った。夕方にはお迎え当番の威月が稽古帰りに千都と真和と真那を連れて帰ってきて、共有のキッチンでは衛陸と奈帆人が晩御飯の準備をする。
夕食を食べながら、大人たちの予定を確認して、明日の当番を決めるのが和泉家と左岸家の日課になっていた。
「明日は俺は夜まで講義があるから、お迎えは無理やけど」
「私はいつも通り家で仕事だから、お迎えに行ってもいいわよ」
奈帆人は明日は忙しく、衛陸は保育園のお迎え程度はできそうだ。
「俺は明日、次の公演の発表だから、遅くなるかなぁ」
「ちゅぎ、まおもいきたいの」
「真和くんも見に来てね」
「おっ! うっ!」
「次の公演はチケット手配してもらうから、みんなに来てもらいたいなぁ」
せっかく一緒に暮らすようになったのだから、威月の仕事も知ってほしい。その要望に、世津は「取材してもええやろか?」と仕事モードになる。
「世津さんと俺で食事当番、しましょうか」
「せやな。今夜のうちに明日の準備もしとこ」
明日の当番が決まると、食事の片付けをして、早く眠くなる小さな子からお風呂に入れていく。真和は威月と入りたがったし、千都は真那と入りたがるので、千都と真那は奈帆人か世津が洗ってやっていた。
「今日ははるさんとお風呂に入られへんわぁ」
「明日入りましょ」
その日は世津の番で、千都と真那を連れて、晴海と名残を惜しんでからバスルームに入る。
和泉家、左岸家、高階家、湯浅家の同居は、順調に始まっていた。
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