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新しい家族 3
その日、保育園で湯浅真和、3歳は浮かれていた。
いつもは夕方にしかお迎えに来られないし、和泉家と左岸家に同居するようになってからは、お当番でしかお迎えに来てくれない威月が、お昼ご飯を食べてすぐ、お昼寝前にお迎えに来てくれるというのだ。
「きょーね、まお、おむかえ、はやーいの」
早くお迎えに来た威月はどこに連れて行ってくれるのだろう。お買い物かもしれない、美味しいおやつのお店かもしれない。最近は歩くのもしっかりしてきた真那は、長時間でなければ椅子にも座っていられるので、美味しいスイーツのお店に行こうと話していたのを、威月はきっと覚えていてくれたのだ。
期待に胸を膨らませて、保育園の先生たちに「おむかえ、はやいの」と自慢して、同じクラスの子にも言いまくっていた真和。
まず真那のクラスにお迎えに来ていた威月が、真那を抱っこして真那の荷物を持ってクラスにやって来たのに、突撃するように脚に抱き付いた。
「いちゅしゃ、おかえりなしゃ! まお、まってたの!」
「真和くん、ずっとみんなに、お迎えが早いって自慢してたんですよ」
「そうですかぁ」
保育園の先生から連絡事項を聞いて、威月は真那を抱っこして、真和と並んで歩いて千都を迎えに行った。迎えが早いと分かっていたので、千都は既にリュックサックに荷物を準備していた。
「まおくん、おててをつなぎましょう」
「あい!」
上機嫌で千都と手を繋いで、駐車場まで鼻歌を歌って歩く真和は、千都の表情が明るくないことに気付いてもいなかった。真那はベビーシートに、真和と千都はチャイルドシートに固定されて、車で目的地に向かう。いつもは徒歩で帰るのに、今日は車だということが、特別な場所に行くようで真和はワクワクしていたが、目的地が近付くにつれて、なんとなく千都から漂う嫌な雰囲気に気付き始めていた。
「いちゅしゃ、どこ、いくの?」
サプライズで良いところに連れて行って貰えると信じ込んでいた真和が、おずおずと問いかけたときには、車は病院の駐車場に入っていた。
「ごめんね、真和くん。威月さん、真和くんに泣かれたらつらいから、言えなかったの……」
車を停めた後に、3人を降ろして両手で顔を覆って苦悩する威月に、真和はほぼ気付いていた。
「あきらめるのです。きょうは、よぼうちゅうしゃ、なのです」
「ぎゃー!?」
火のついたように泣きだして猫にも見える赤ちゃん虎の姿になって逃げだそうとする真那を、しっかりと千都が抱き締めて捕獲する。告げられた真実に、真和はふるふると震えて、動くこともできなかった。
「ちゅーしゃ? ちゅーしゃなの?」
「そう……真和くん、俺がずっと抱っこしておいてあげるから、頑張ろうね」
「ふぇ……ちゅーしゃ、こあい……」
それでも、弟の真那が本性に戻ってしまうくらいに怯えている。真和が大声で泣くわけにはいかなかった。大好きな威月にも、かっこいいところを見せたい。
「まお、がんばゆ……ひっく……な、なかにゃ……ふぇ」
泣かないと宣言してはいるが、ほろほろと大きな目から涙が零れて、それを拭いながら威月が真和を病院の中に連れて行ってくれた。真和も真那も猫(ワーキャット)で、千都は吸血鬼なので、人間が利用するのと少し違う遠い病院に連れて来られていた。ここは、春海が妊娠の定期健診にも来ている病院だった。
「ちづがだっこしてます。ぶすっとやっちゃってください」
「はーい、ちょっとチクッとするよ?」
「びぎゃーーーーーー!?」
「まだ、刺してないよ? これからだよ?」
千都の身体にしっかりとしがみ付いて小虎の姿の真那が悲鳴を上げる。赤ちゃん虎の姿なので、注射を打つ場所はお尻で、がたがたと震えながら、注射を打たれたときには真那はお漏らしをして千都の服がびっしょりと濡れてしまった。
「ありがとう、千都ちゃん。でも、お洋服どうしよう」
「だいじょうぶです、ほいくえんのおきがえを、りゅっくにつめてきました」
準備万端の千都は、自分が予防注射を打ってもらった後に、看護師さんに手伝ってもらって着替えていた。
「いちゅしゃ、おてて、ぎゅってちて」
「うん、握ってるよ」
「いちゅしゃ、まお、がんばゆから……びゃーーーー!?」
手を握ってもらって、威月の顔だけ見て、話しをして気を紛らわそうとしていた真和も、実際に注射を打たれると、大声で泣きだしてしまう。腹圧でおしっこも出てしまって、濡れたオムツを着替えての帰宅になった。
行きは上機嫌で鼻歌も歌っていたのに、帰りはまるでお通夜のような車の中。
「そういえば、真和くんと千都ちゃんが食べたいって言ってた、桃のパフェ、ご褒美に食べに行こうか?」
「もも!」
「うっ?」
チャイルドシートとベビーシートで放心状態でぐったりしていた真和と真那が、食いしん坊を発揮して目を輝かせる。
「ちづとまなくんではんぶんこ、いつきさんとまおくんではんぶんこで、どうでしょう?」
「しゃんせー!」
「まんまっ!」
どこかに連れて行って貰えるという期待を裏切られ、注射の痛みに泣いたことも忘れたように、二人は上機嫌で千都の提案に手を挙げて賛成した。
桃が丸ごと1個入っているというパフェをお腹いっぱい食べて、お家に帰った真和と真那と千都は、お昼寝の時間をとっていなかったので、眠くなって眠ってしまった。
三人を寝かせてから、お漏らしした汚れ物を洗っていた威月の様子を、衛陸が見に来てくれる。
「大丈夫だったかしら?」
「千都ちゃんが確りしてたから助かったよ」
ふわふわと笑う威月に、衛陸はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「ちぃちゃんと、真和くんと、真那くん、今日、予防接種やったんやって?」
大学から戻ってきていた奈帆人もリビングに来て、威月と衛陸にコーヒーを淹れてくれる。
「真和くんと真那くんにすごく泣かれちゃった。真和くん、泣き顔も可愛いんだけど」
「予防接種は仕方ないものね。私も一年に一回以上は行ってるし」
「エリさん、インフルエンザの予防接種は毎年受ける派?」
問いかける奈帆人に、コーヒーにミルクを入れてスプーンでかき混ぜながら、衛陸が「それもそうだけど」と答える。
「狼だから、ワクチン接種が必要なのよ。幸い、はるちゃんも私も、小さい頃から色んな国を連れ歩かれてるから、大概の予防接種はしてるんだけど……」
「あぁ、はるさんは、ワクチン、受けてないんか!?」
妊娠している晴海は、自分が狼の血を引いていると知らないので、ワクチン接種は行っていない。衛陸も18歳で一人暮らしを始めてから、自分が狼だということで良く調べて、病院を探して受けるようになったのだという。
「はるちゃんは人間に近いから大丈夫だと思うんだけど、ちょっとだけ心配よ」
恐らくは、衛陸と晴海は白い肌と褐色肌の夫婦の間の子どもで、父親か母親かは不明だが、白い肌の方が狼の血を引いていて、褐色肌の方が人間だったのだろう。そのせいで、衛陸には血が濃く出て、晴海には出ていない。
「威月さんに言うても良かったんか?」
「申し訳ないけど、俺も真祖にされるくらいだから、気付いてるよ」
「えぇ、気付かれてると思ってたわ」
衛陸と晴海が狼の血を引いているということは、世津にも晴海にも内緒で、奈帆人だけが打ち明けられて、千都が気付いていた程度だが、流石に吸血鬼の真祖の威月は気付いていたようだ。
「言いたくないことはわざわざ言わないよ。それに、覚えてもいられない」
長い年月を生きるには、全てのことを覚えているのはつらすぎる。零した威月の言葉には、彼の生きてきた月日の重みがにじみ出ていた。
「いちゅしゃー!」
「じぇたー!」
子どもたちが起きた気配に威月は立ち上がる。きっとオムツが濡れて目を覚ましたのだろう。
運命の相手に出会えるまでの長い時間の孤独を思えば、今の共同生活は楽園のようなもの。
平和な日々を、吸血鬼真祖は満喫していた。
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