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2.美しいひと

 カイ・ロッドウェルは冷たい男だと言われていた。  警察学校に通って警察官を目指しているので、正義感はあるが、恋愛に関しては全く興味がないと思われていた。  カイは姉のルカと妹のイヴァの三人兄弟。  小さい頃から強すぎる姉に押さえつけられて、おっとりとした妹を引っ張って来て、弟であり兄であるという中間のポジションに慣れてしまったカイは、女性に対して警戒する傾向があった。  東欧系の褐色の肌と黒い髪と黒い目の長身の兄弟は、男性のカイが一番大きく、ルカの次がイヴァという順番だったが、家庭内で権力を握っているのはルカだった。  両親は共働きで、ルカはルカで弟妹の面倒を見なければいけなくて大変だったのだ。  姉妹で女性の現実を見ているせいか、カイは女性に対しての見方がきつくなっている自覚はあった。  常に男性は女性を守るもの。  姉に叩き込まれた教えの通りに、その日、カイは教室から連れ出される女子生徒を見て、思わず後をつけていた。連れ出した相手が、顔はいいが評判の悪い男で、女子生徒は顔と甘い言葉に騙されているようだが、不穏な空気を感じていた。  空き教室に女子生徒を連れ込んだ男子生徒が、女子生徒を押し倒して服を無理やり脱がせようとしたところで、女子生徒が悲鳴を上げた。 「助けてー! いやー! やめてー!」  これは完全に同意ではない。  例え夫婦間でもレイプは起こり得るものだとカイは警察学校の授業でも、姉から叩き込まれた教えでも知っていた。  間に入って、止めようとしたら、男子生徒がカイに殴りかかって来た。遅いパンチだったので軽く避けて、反射的に殴り返したら、男子生徒は吹っ飛んで行った。  後は服の破れた女子生徒に上着を貸して、保健室に送り届けた。  警察学校内での私闘は許されていない。  カイはその日、教官に叱責を受けて、夕飯を抜かれて寮に戻らされた。助けられた女子生徒が証言してくれたようで、それ以上の罰はなかったが、夜中に腹が減ったのは確かだった。  襲った方の男子生徒は保護者呼び出しの事態になっていると友人のツグミが言っていた。  ツグミは同じ年で、警察学校に入学したときから一緒で、穏やかな性格なのでカイは弟のように思っていた。 「巻き込まれて大変だったな。カイも被害者だよな」 「俺は平気だよ。襲われた子が傷を負ってないといいんだけど」  無意識に右の拳を撫でながら呟けば、ツグミの視線がカイの右の拳に移る。殴ったときに歯に当たったせいで、カイの右の拳は少し切れて血が出ていた。 「それ、消毒だけでもしておいた方がいい。人間の口は雑菌だらけだ」 「そうするよ」  ツグミに促されて保健室に行ってカイは傷口の消毒をしてもらった。部屋での謹慎をするように言われていたが、怪我の治療までは教官は何も言わなかった。  部屋で空きっ腹を抱えて、ベッドで転がっていると、いつの間にか眠ってしまったようだ。  目を覚ましたのは携帯端末の受信音だった。液晶画面を見れば、ルカの名前が映し出されている。 「姉さん、どうしたんだ?」 『あんた、警察学校の生徒を殴って謹慎処分にされたんだって?』 「今夜だけだよ。あれは相手が悪かった。女子生徒をレイプしようとしてたんだ」  叫んで嫌がっている様子から同意ではないことは確かめていた。助けに入ったときにあの女子生徒は泣いていた。間違いなくカイは正しいことをしたのだと姉に告げる。 『カイらしいわね。一応、父さんと母さんの耳にも入ってるから、そのことを伝えたくて』 「分かったよ」 『あまり父さんと母さんを心配させないのよ』  両親ではなく姉が電話をかけてきたということは、両親はどうすればいいのか分からなくて姉に相談したのだろう。そういう無害で優しいひとたちなのだ。  仕事を終えて帰って来たばかりという風情の姉の声は疲れていた。  カイは通話を切ってもう一度眠った。  その夜に、あの男子生徒は寮の自室で殺された。  寮の部屋は鍵が付いているが、男子生徒の部屋の鍵は開いていて、朝に教官が呼びに行ったときに死んでいるのに気付いたそうだ。  ベッドの上で胸を一突き。  ナイフくらい誰でも手に入れられる環境だし、寮は男子寮と女子寮に別れているが男子寮は部屋を行き来するのは簡単だ。  その上、殴られたので当然だが男子生徒の顔からはカイのDNAが採取された。  結果として、カイ・ロッドウェルは男子生徒の殺害の第一容疑者として警察に連れて行かれた。  最初に取り調べをした警察官は酷かった。  完全にカイを犯人だと決めつけていた。 「お前がやったんだろう」 「正直に言えば、自首という形で刑が軽くなる」 「あの部屋で長い黒髪が採取されている。そのDNAの結果が出たら言い逃れはできなくなるぞ」  確かにカイの髪も黒くて真っすぐで長いのだが、カイはあの男子生徒の部屋に入ったことはなかった。 「俺の髪ではないです。俺の髪だとしても、俺が落とした髪を誰かが拾って現場に置いた可能性がある」 「お前の予測は聞いていない」 「早く正直になるんだな」  取り調べは二人で行うのが決まりだが、どちらも碌な警察官ではなかったと思っていたら、担当が変わった。  続いて来たのは、金髪にエメラルドグリーンの瞳の男女どちらか分からない雰囲気の美しい人物だった。もう一人黒髪に黒い目の長身の人物も来ていたのだが、カイは完全にその美しい金髪の人物に視線を取られていた。 「あなた、美しいですね」  男女問わず、そんな言葉を相手に投げかけたのは初めてだった。  外見が美しいだけでなく、声も透き通って聞き取りやすい。緑の目は理知的で、カイを犯人だと決めつけたりしないだけの理性があった。  これは任意同行だと分かっているので、カイは拘留を拒否することができた。  それをしなかったのは、その美しいひとがまた来てくれると言ったからだった。  期待はしてなかったが、その美しいひとは約束通り来てくれた。警察署内の拘留所にハンバーガーとポテトとコーラを買って持って来てくれた。 「教官から聞いたけど、昨日の夜の夕食を抜かれたんだって? そのままこっちに来たから何も食べてないだろう。嫌いじゃなければいいんだけど」  差し出されたハンバーガーの袋を、カイはそっとその美しいひとの手に触れるようにして受け取った。 「ありがとうございます。優しいんですね」 「俺は君がやったとは思ってないんだよね。調べれば調べるほど、あの男子生徒は素行が悪かったことが分かって来た。君は女子生徒を助けたけど、助けられずに、訴えることもできず泣き寝入りしている女子生徒がいるような気がするんだよ」  捜査情報は機密であるだろうに、気軽に口にするその美しいひとに、カイはポテトを差し出した。指先で摘まんでポテトを食べて、指についた塩をその美しいひとが舐め取る。  ちらりと見えた赤い舌に、カイはぞくりと自分の欲望が蠢くのを感じた。 「どうして俺に話してくれるんですか?」 「君の勇気に敬意を表して、かな。女子生徒がレイプされそうになってるからって、そう簡単に助けられないよ、普通。しかも相手は上級生だ」  今年卒業を控えていた上級生の男子生徒に対して、カイは学年が一つ低い。上下関係が厳しい警察学校では学年が違うだけで威張り散らす輩も少なくなかった。 「俺も学生時代に襲われたことがある。返り討ちにしてやったけど。でも、気分がいいものじゃなかった。君は一人の女性の未来を救った。俺は逆ならあり得ると思っている。あの男子生徒が君を逆恨みして殺しに来て、返り討ちにあったのならね」  見透かされていると思った。  美しいひとのいう場面ならば、確かにカイが男子生徒を殺す可能性も有り得ただろう。ただ、男子生徒は自分の部屋のベッドの上で殺されていた。 「後、現場から採取された黒髪のDNAは女性のもの。君のじゃない」 「女性……」 「その女性を今探してるところだから、多分、第一容疑者は君じゃなくてその女性になるよ」  美しいひとの言葉にカイはため息を吐いた。  女性ならば複雑な事情が絡んでいそうな気がする。男子生徒にレイプされて泣き寝入りした女性がいるのではないかと美しいひとが言っていたが、その女性が仕返しに行った可能性が高くなるのだ。 「自業自得じゃないですか」 「それでも、捜査は続けなければいけない」  はっきりと告げてから、美しいひとがエメラルドグリーンの目をカイに向ける。睫毛の長さに驚いていると、にこっと美しいひとが笑った。 「まぁ、お兄さんに任せなさい。これでも凄腕の捜査官なんでね」 「男性だったんですか?」 「え……自認は」  自分でもおかしなことを聞いていると思ったが聞かずにいられないカイに美しいひともおかしな答えをしてきた。 「自認は?」 「色々世の中複雑なんだよ、坊や」 「坊や!?」  明るく笑う美しいひとに子どもだと思われていることに若干の不満は募ったが、意外と嫌ではない当たり、カイは彼に夢中なのだろう。  フェリア・ガーディア。  不思議な美しいひとにカイは一目惚れしたことを自覚した。

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