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4.解放されたカイ
留置場で一夜を過ごすことになるかと思っていたので、フェリアが夕方に来てくれたときにはカイは心からホッとした。
薄い光に透ける金色の髪を僅かに撫で付けて、女性ならばショートカットと言われるくらいに切っているフェリア。エメラルドグリーンの瞳は澄んで美しく、白目の部分が驚くほどきれいに白い。睫毛が長くて、伏し目がちになると目に睫毛の陰が落ちるのがとても色っぽい。鼻筋も通っていて、肌は透き通るように白いその美しいひとにカイは見惚れた。
「現場から採取した黒髪のDNAと一致する人物が女子寮にいた。その人物の聞き込みをするので、君は帰っていいよ」
「帰るって、どうやって……」
車の免許は持っているが車を持っているわけでもないし、警察官に連行されて警察署まで連れて来られたカイは帰る方法がなかった。電車とバスを乗り継いで警察学校まで帰るには、深夜になってしまうだろう。
深夜になれば寮は閉まって入れてもらえない。
事情を話せばフェリアはカイに同情的だった。
「そうだな、呼び出したのはこちらなのだし、警察官に送らせよう」
「家族に迎えに来るようにとか、言わないんですね」
「家族との関係はそれぞれ色々あるだろう。軽率に口にしないようにしてるんだ」
てっきり家族が迎えに来るように手配するとか言われて、忙しい父や母、姉に迷惑をかけることになるのかと考えていたカイだが、フェリアはあっさりとそれを否定した。
フェリア自身も家族との間に何か抱えているのだろうか。
カイは家族仲は良好だったが、両親は仕事で忙しく自由の利かない身であったし、姉も警察官として別の所轄にいるのだが、カイを迎えに来るのならば早退しなければいけない。
「あの、フェリア様」
口にしてから、カイは自分で何を口走ってしまったのかと口を押えた。あまりにも美しくて崇め奉りたいくらいだとしても、今日出会った年上の男性に「様付け」はない。
フェリアの方も驚いているのか目を丸くしている。
「え? もしかして、君、年上のひとは『様』で呼ぶタイプ? 面白いな」
「あ、そ、そうかも。そうだったかもしれないです」
けらけらと明るく笑われてカイは胸を撫で下ろす。自分のやっていることが不審だと分かっているが、初恋と一目惚れにこんな状況なのに浮かれている自分をどうしても制御できない。
「君、プリンスに似てる」
「|Prince《王子様》?」
唐突に言われた単語に反応できないカイに、フェリアは携帯の端末を見せた。液晶画面にはブラウンの毛色のボルゾイと白にブラウンのポイントのラグドールが寄り添い合っている写真が映っている。
この写真をフェリアは携帯端末の待ち受けにしているのだ。
「この子がプリンス。こっちがプリンセス。プリンセスは俺が六歳のときに、プリンスは七歳のときに飼ってもらった。プリンスは引き取ったときには六歳で、その後九年生きたけど、俺が十六のときに亡くなった」
「俺、犬に似てるんですか?」
「似てない? この毛が長いところとか、色彩とか」
長毛のボルゾイ、プリンスがカイに似ているかどうかは、フェリアの感性なのだろう。亡くなった後も待ち受け画面にして溺愛していた様子が見て取れるフェリアの愛犬に似ていると言われるのならば、好意がないわけではないと期待する。
「可愛いですね」
「ものすごく走るのが速かった。ドッグランに連れて行くと活き活きして走ってた。元の家族は引っ越しをするから飼えなくなるので、処分すると言ったんだ。薬を打って安楽死だぞ。そんなの絶対に嫌だった」
ペットを物のように扱うひとは少なくはないと知っているが、人間の勝手で飼い始めたものを、人間の都合が悪くなれば殺してしまうという考えにはカイは賛成できなかった。
思いだしているのだろう、フェリアの表情も険しくなっている。
「だから、俺のプリンスにした。老犬になったらオムツをつけて介護して、獣医に習って毎日注射もして、最期まで看取った」
悲しい思い出でもあったのだろうが、大型犬が十五年生きたというのは長い方だろうとカイは思う。
「プリンスは幸せだったでしょうね」
「そうだったらいいと思うよ」
目元を緩めて優しい笑顔になって携帯端末の液晶画面を見つめるフェリアを抱き締めたくなって、カイは必死に我慢していた。
夜までにはカイは警察学校に戻ることができた。
夕飯までには間に合ったので、食堂で食事を受け取って席に着くと、同級生のツグミが話しかけて来る。
「殺人の容疑者になったんだって? 大変だったんじゃないか」
「大変……?」
大変だっただろうか。
思い返してカイは首を捻る。
お昼にはフェリアがハンバーガーとポテトとコーラを持って来てくれた。普段はコーラなど甘い飲み物は好まないのだが、フェリアが持って来てくれたと思うとあり難く飲ませてもらった。
留置場での時間は退屈だったが、他に誰もおらず、危害を加えられるようなことはなかった。取り調べもフェリアともう一人が丁寧に行ってくれた。
「運命に出会ったかもしれない」
「え? どういうこと?」
恋愛に全く興味を示さなかったカイが世迷言を口にするのに、ツグミが目を見開いている。問題はもう一度あの美しいひとと会うためには、口実がいるということだ。
今回は殺人の容疑者として取り調べされたからこそ、あの美しいひとに出会えた。
そういう特殊な状態でなければ、カイはフェリアにもう一度会うことは敵わない。
「殺人事件の真相を暴いてみせるとか、そうでもしないとまた会えないのか」
「カイ、せっかく解放されたのに、事件に関わるつもりか?」
「会いたいひとがいるんだ」
カイの言葉にツグミは呆れ果てた様子だった。
ひとの口に戸は立てられない。
カイは情報を集め始めた。
殺された男子生徒がカイが助けた女子生徒の他にも、被害者を出していたかもしれないこと。女子寮で殺された男子生徒の部屋から採取された長い黒髪とDNAが一致する女子生徒がいて、連行されたこと。
その女子生徒が男子生徒を殺したのだとすれば、事情があってのことだろう。
食堂で食事を終えて部屋に帰ろうとすると、寮を見張っている教官から呼び出された。
「カイ・ロッドウェル、女子寮からお客だ」
特別に通されたのは、殺された男子生徒に昨日襲われていた女子生徒だった。
女子生徒は女子寮の教官に申し出て、男子寮のカイを訪ねてきたらしい。
「昨日はありがとうございました」
「いや、当然のことをしたまでだ」
「私、見たんです。昨夜の二十三時ごろ、女子寮を抜け出す女子生徒を」
殺された男子生徒に襲われていた女子生徒の証言に、カイは教官の顔を見た。教官も同席しているので今の発言は聞こえただろう。
「その証言を警察にしたのか?」
「しました。先生たちにもお伝えしておこうと思って。女子寮には警備システムから逃れて、脱走できるポイントが幾つかあります」
それは女子寮では公然の秘密なのだが、教官に伝えるとなると、他の女子生徒全員を敵に回しかねないので、その女子生徒も迷ったのだろう。それでも勇気を出して伝えに来てくれた。
「二階の角部屋のベランダから出ると、警備システムに引っかかりません。私はベランダに外の空気を吸いに行っていて、脱走する女子生徒を見ました」
「監視カメラは?」
「映らない死角なんです」
説明する女子生徒に教官が警察に連絡を入れている。
「俺に教えに来てくれたのか?」
「あなたは勇気を出して私を助けてくれた。私も勇気を出して言わないといけないと思ったの」
真剣に言う女子生徒の頬が赤いような気がするが、カイはそれは見なかったことにして、女子生徒に礼を言った。
ベランダから脱走するところは映っていなかったが、二階の角部屋に入るまでの映像は、女子寮の中の監視カメラに映っていた。
「監視カメラの映像は警察に提出する。証言を求められるかもしれない。協力できるか?」
「協力します」
昨日レイプされかけて、その上加害者の男子生徒は殺されたという状況で、女子生徒を気遣う教官に、女子生徒ははっきりと答えていた。
女子生徒が教官に付き添われて女子寮に戻るのを見送ってカイは自分の部屋に戻った。携帯の端末を手にすると、迷ってから、警察にかける。
フェリアと話したいと思ったのだが、簡単に事は進まなかった。
警察で今の話をしても、フェリアとは繋いでくれない。
何か方法はないのかと考えて、カイは姉のルカを思い出した。
警察署は管轄が狭く区切られているが、警察ラボはそのいくつかの管轄の警察署からの証拠品を受け取る。
ルカの管轄からもフェリアの勤務している警察ラボは証拠品を受け取っているのではないだろうか。
「姉さん、頼む。一生のお願いだ」
何でもすると懇願するカイに、「あんたがそんなに一生懸命になるなんて気持ち悪い」と言いつつ、姉のルカはフェリアの連絡先を調べてくれた。
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