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5.解決しない事件

 モニターで見たプリンセスの様子はいつもと変わりなかった。  定時に仕事を終えたかったが、新しい情報が入って警察ラボは騒がしくなっていた。  フェリアとパーシヴァルは知っている情報だが、女子寮の廊下に監視カメラが設置されていて、寮から抜け出せる部屋までの廊下を歩いた女子生徒の映像が手に入ったのは新しい証拠だった。  画像解析で、顔認証をして、その女子生徒が殺された男子生徒の部屋に髪の毛を残していた女子生徒と同じ人物だと分かった。 「これは決まりじゃないか?」 「いや、まだ早い。凶器も見つかってないし、血の付いた服も見つかってない」  胸を一突きにされたのならば、必ず返り血を浴びているはずだ。捜査令状が出て、探した女子生徒の部屋には凶器も血の付いた服もなかった。  どれだけ落とそうとしても指紋やDNAは残っているはずなのだが、採取させてもらった女子生徒の爪の間の微物からは殺された男子生徒のDNAは出て来なくて、彼女に傷もない。殺された男子生徒の部屋からも、彼女の指紋が出て来ることはなく、爪の間の微物からも女子生徒のDNAは出てこなかった。  殺される際、もみ合いになると大抵人間は何かを引っ掻く。そのときに爪の間に微物が残るのだ。  検死で夕飯を食べていない胃は空っぽのはずなのに、ホットドッグとコーラと思しきものが出たのも疑問だった。  夕飯抜きで殺された男子生徒は自分の部屋で謹慎していたはずなのである。 「誰かが食べ物を渡して、油断させて殺してる」 「女子生徒がそれをするか? 男子寮に紛れ込むだけで目立つぞ」  呟いてからフェリアは一つの可能性に気付いた。  女子寮の廊下に監視カメラが設置されているのならば、男子寮の廊下に監視カメラは設置されていないのだろうか。  生徒のプライバシーもあるのであまり細かくは設置されていないだろうが、入り口や通り道には設置されている可能性がある。 「もう一度男子寮に向かうか」  車の鍵を持ち出そうとするフェリアに、パーシヴァルが半眼になる。 「もうこの時間だ。明日でもよくないか?」 「そうだな。可愛いお姫様が待ってるからな。あまり遅くなると機嫌が悪いんだよ」 「そのお姫様は雄だろう?」  笑いながらパーシヴァルに言われて、フェリアは真顔で答える。 「雄が|お姫様《プリンセス》で何が悪い?」  飼ったはいいが知識がなくてこんなに大きくなるはずじゃなかった。そう言われて処分されるはずの二歳になるラグドールをもらって来たとき、まだフェリアは六歳だった。  ふわふわのラグドールを見て一目で「プリンセス」という名前を付けた。  ラグドールには別の名前があったようだが、大きくなってから可愛がられていなかったようで、フェリアが「プリンセス」と呼びながら「かわいい」を繰り返すと、すっかりとその名前に慣れてしまった。  フェリアの兄の双子、ヴァルナとアスラもまだ七歳。トールは猫に興味がなかった。  弟のラヴィが「おにいちゃん、このこ、タマタマあるよ」というまで、誰もプリンセスの性別に気付かなかったのだ。気付いたときにはプリンセスは既にその名前に馴染み切っていた。  その話をしたら職場のほとんどの相手に爆笑されてしまったのだが、フェリアはプリンセスがお姫様のように可愛いことには変わりないので、その呼び方を変えていない。 「ガーディア、電話が入っている」  警察ラボの職員から声をかけられて、フェリアは不思議に思いながら警察ラボの電話に出る。電話の相手は警察学校の生徒、カイ・ロッドウェルだった。 「何かあったのか?」 『フェリア様にお伝えしたいことがあって。男子寮にも監視カメラがあります』 「そのことに今気付いて、男子寮に行くか迷っていたんだ。情報ありがとう」  不思議な年下の青年はフェリアを「様付け」してくる。年上の人間を「様付け」するタイプなのかもしれないが、警察官になるのだったらその癖はなくした方がいいだろう。  取り調べの最中に年上の相手が来たら「様付け」していたら、仕事にならなくなる。 「君さ、その癖早いうちに修正した方がいいよ」 『癖? 俺がフェリア様と連絡を取りたがったことですか?』  話がすれ違っているが、言われてフェリアはそのことに気付いた。 「ここの電話番号、誰に聞いたの?」 『姉がここで科学捜査をしてもらっている所轄の警察官なんです。ルカ・ロッドウェルといいます』 「あぁ、ルカ! 知ってる! 凶悪犯の顎を蹴り割った豪傑だ」  ルカ・ロッドウェルの名前はこの警察ラボにも広がっていた。警察ラボは数が少ないので幾つかの所轄から証拠品を集めて科学捜査をする。担当する所轄が幾つもある状態なのだ。  その中でルカの担当する所轄には治安の悪い場所があった。そこで絡まれてルカを押し倒そうとした相手の顎を蹴り割って、ルカは一時期謹慎処分になっていたが、その相手が婦女暴行を何度も繰り返している犯罪者だと分かったときには、ルカのやったことは正しかったと警察ラボでも所轄でも評価された。  幼い頃からキックボクシングをやっていたというルカは蹴りがものすごく強いイメージがある。 「ロッドウェル、名字で気付けばよかった。あのルカの弟か」 『そうです。フェリア様は姉を知っているんですね』 「有名だからな。彼女の弟ならさぞ強いんだろうな」  男性に負けることなく強さを誇るルカを思い出してフェリアが言えば、カイは『姉よりは弱いです』と答えた。  もう一度礼を言って通話を切ろうとするフェリアに、カイが食い下がる。 『連絡先を教えてもらえませんか?』 「どうして?」 『あなたと話がしたい……』  これはいわゆるナンパというものだろうか。  フェリアはカイよりも七つは年上だ。そんな相手に対して堂々と連絡先を聞いてくるカイにフェリアは疑問を覚える。 「もしかして……君は……」 『あの……』 「カウンセリングを望んでいるのか?」  自分と喧嘩した上級生が殺されて、その現場を見ていないとはいえ一日警察署に拘留された。それだけでまだ二十一歳のカイにとってはショックだったかもしれない。  言ってはいないが、フェリアはカウンセラーの資格もないわけではない。  誰かに心の傷を話したいときに、フェリアをカイが頼ってくるのはおかしくない気がしていた。 『そ、そうなんです』 「平静に見えたが、怖い経験をしたんだから当然だ。カウンセラーを紹介しよう」 『あなたがいいんです』 「俺もカウンセラーの資格を持っているが、時間が自由にならないことが多いぞ? 警察ラボの仕事が中心だし、プリンセスもいるし」  断ろうとするがカイは必死に言ってくる。 『怖いんです。あんな殺人事件が起きて』  警察官としての資質を問われる言動かもしれないが、近くに死人が出たとあれば普通の反応ともいえる。必死に縋ってくるカイにフェリアも絆された。 「それじゃ、俺の電話番号を教えるから、メッセージを入れてくれ。すぐには対応できないと思うが、必ず読む」  いずれ警察官になる後輩のカイに頼られて、フェリアも悪い気がしなかったというのは事実だ。連絡先を教えると、カイは大人しく通話を切った。  その日はフェリアは残業を一時間以内で終えてマンションに帰った。  ペット可のマンションの広い部屋で、ラグドールのプリンセスが寛いでいる。近寄るとプリンセスは身体を摺り寄せて来た。 「帰りが遅くなってごめん、俺のお姫様。今日も餌をしっかり食べて、水も飲んでるね。おぉ、いいうんちだ」  トイレを掃除していると、しっかりとした糞が見えてフェリアはそれをスコップで拾う。猫のトイレの砂は人間のトイレに流せるものを使っているので、トイレに流すところまで、プリンセスはついてきた。 「今日も健康。いい子だな」  一通り撫でてからシャワーを浴びて出てくると、プリンセスは気に入らないのかフェリアの身体に身体を擦り付けて来る。パジャマに毛がつくくらい体を擦り付けられて、フェリアは苦笑した。 「シャンプーとボディソープの匂いがそんなに気に入らないか?」  気に入らないとばかりにふんっと鼻息を荒くして、プリンセスが満足してベッドに行く。フェリアがベッドに入ると、脇の下にぴったりと体をはめるようにしてプリンセスが布団をかけてもらう。  そのまま眠ったフェリアは、夕飯を食べ忘れたことなど気にしていなかった。

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