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9.君のいない部屋

 マンションの部屋に帰ってもプリンセスがいない。  六歳でプリンセスを引き取ってから、二十二年間、プリンセスはずっとフェリアのそばにいてくれた。  七歳でプリンスを引き取った日も、十六歳でプリンスを看取った日も、プリンセスはフェリアのそばにいた。プリンスが亡くなった後には、プリンセスも落ち込んで数日間食欲がなかった。  悲しいときも嬉しいときも傍にいてくれた存在だった。  もう二十四歳ということもあって、いつ亡くなってもおかしくはない年だった。  それでも東方の猫又の伝説のように、一日でも長く生きてほしかった。  喪失感に立ち尽くすフェリアのマンションに、アスラとヴァルナが来ていた。  アスラは高校のときから付き合っている女性がいて、警察学校を卒業してすぐに結婚した。子どももいるのだが、今日はフェリアを気遣って帰りに寄ってくれたのだ。  両手いっぱいに持ち帰りの食べ物を持っているのはヴァルナだ。匂いが強いものは好まないので、外食はほとんどしないのだが、今日はフェリアを心配して、持っているだけで匂いがつくと嫌がる持ち帰りのパックを両手いっぱいに持っている。 「フェリア、何か食べて休んだ方がいい」 「眠れないなら、俺がそばにいてやる」 「ヴァルナは帰れ」 「酷い、アスラ!」  二人に促されて、フェリアはソファに座って持ち帰りの料理を開ける。中華のヌードル、総菜、イタリアンのパスタにピザ……普段買ったことがないので何を買えばいいのか分からないヴァルナが、適当に選んだ感満載の料理をローテーブルに広げた。 「ヴァルナとアスラは食べない……よな」 「すまない、家で夕食の準備がされている」 「悪い、そういう匂うものは食べられないんだ」  家庭のあるアスラは家で夕食が用意されているし、ヴァルナは香辛料を使ったものを一切口にしない。そういうものを食べると体臭に出るから嫌だと拒んでいるのだ。  ヴァルナの偏食も、アスラの事情もどうしようもないものだが、二人に見られている前で、一人だけ食事を取るというのも奇妙な感覚だった。  昔から、フェリアにはこういうところがあった。  兄のトール、ヴァルナ、アスラと、弟のラヴィはフェリアを心配するが、自分たちは別のものを食べていて、フェリアだけがハウスキーパーの作った栄養管理された食事を温めて食べる。  家庭においてもフェリアは特別な位置に置かれていた気がする。  家族なのだからもっと気軽に接してほしいのに、フェリアのことを兄たちも弟もお姫様か何かのように大事にする。  それはフェリアの体のこともあったのだと思う。  フェリアの胸に膨らみはないが、フェリアは男性器と女性器を持っている。染色体はXXYで、性別はどちらともと医学的に判断される。性自認は男性なのだが、男性にはない性器がついているせいで、フェリアは学校でも一人だけ別室で着替えをさせられたし、お手洗いも多目的の誰でも使える場所を使うように言われていた。  顔立ちが整っているのも相まって、フェリアが一人だけ特別扱いされることを同級生は異質と感じ取っていた。  目立ちたくないのだが、母が厳選した遺伝子で生まれたフェリアは、顔立ちが恐ろしく整っていて、頭も尋常ではなくよかった。知能に関しては科学者の母にも似たのだろうが、それにしても、高校の間に次々と資格を取っていくフェリアを、周囲は奇異の目で見た。  秀でていることは決していいことではない。  むしろ、集団の中で秀でているものを集団は異質と判断して、排除しようとする。  同じ学校に兄や弟もいたからこそなんとかやって来られたが、そうでなければフェリアは孤独で学校になど行けなかったかもしれない。  孤独を癒してくれるのはボルゾイのプリンスとラグドールのプリンセスで、二匹はフェリアの容姿も知能も関係なく、ただの家族としてフェリアのそばにいてくれた。 「プリンセスが死んで泣いたのか?」  黙々と一人で夕食を食べるフェリアに、アスラが問いかける。優しい口調ではなくてぶっきらぼうに聞こえるのは、アスラが小さい頃からだ。アスラはあまり感情を表に出す方ではないのだ。 「泣いてないよ。覚悟してたからかな。俺の腕の中で死んでくれたし」  最期を見られるのを嫌う猫がいるとは知っているが、プリンセスは最期までフェリアの腕の中にいてくれた。撫で続けるフェリアに腕の中で静かに息を引き取った。 「プリンセスは幸せだったな」 「そうかな。残業でマンションに放置してた時間が長かったし、本当に幸せだったかどうかはプリンセスに聞かないと分からないよ」 「お前は幸せだったんだろう?」  核心を突くアスラの問いかけに、フェリアの胸が内側から握り締められたかのようにぎゅっと痛んだ。泣くほどではなかったが、瞼の奥は熱くなってくる。 「俺は幸せだったよ。プリンセスに出会えて、最期までそばにいてくれて本当に幸せだった」  身勝手な飼い主の我が儘でプリンセスは処分されるところだった。それをフェリアが母にお願いして、引き取ってもらった。  引き取ってもらったときには成猫だったプリンセスは、ラグドールの大人しい気質そのままに、生涯大人しかった。  おもちゃで遊ぶときにははしゃぐこともあったけれど、それ以外は物静かで大きくて可愛くて、フェリアにとっては最高の|お姫様《プリンセス》だった。雄だったのだが、その辺は気にしてはいけない。  夕食を食べたのを見届けたら、アスラもヴァルナも帰って行った。  多すぎる夕食の残りは冷蔵庫に入れて、フェリアはバスルームでシャワーを浴びた。  身体の上を滑り落ちて行く水滴に目を閉じながらフェリアは熱いシャワーを浴びる。髪を洗って、体を洗って、下半身を洗うときに、一瞬手が止まる。  フェリアの股間には男性器がついているが、その後ろの肛門との間に女性器もついている。どういう作りなのか分からないが、その性器二つが正常に機能するのかをフェリアは試してみたことがない。  精通が来たこともないし、生理が来たこともないのだ。  男性ホルモンと女性ホルモンのバランスがおかしいせいで、フェリアはどちらとも使えない可能性の方を考えていた。  精通がないということは、射精もできないということだ。生理がないということは排卵がないということだ。  どっちもあると面倒なのだがないならないで、恋愛関係になる相手がいたら治療をすることを主治医である母に勧められているのだが、残念ながらフェリアにはそういう相手はいなかった。  顔だけ見て寄ってくる薄っぺらい人物は最初から相手にしない。知り合いになればなるほど、顔と知性を見られて、恋愛対象ではなくなってしまう。 「警察ラボのガーディアは、高値の花よね」 「隣りに並んだら、みじめになっちゃうから嫌だわ」  女性たちがそんなことを話しているのを聞いたこともある。  フェリアはどこまでも、誰の恋愛対象にもならないのだ。  一生一人で生きていくのがお似合いなのだと思っていた。  警察ラボに出勤すると、アージェマーが声をかけて来た。  ミザリー・アージェマーはフェリアと同じ年で、外見も中性的な女性で、警察ラボの職員でありながらカウンセラーの資格も持っているという、フェリアに近いところのある人物だった。 「フェリア・ガーディア、あなたはカウンセリングの予約を取るか?」 「俺、そんなに酷い顔してる?」 「大事な家族を失ったんだろう。カウンセリングを受ける理由がある、と言って、私が話をしたいだけなんだがな」  アージェマーの心遣いに感謝しつつも、フェリアはそれを断った。 「自分で消化できるよ、ありがとう。殺人事件の弾丸の照合はどうだった?」 「線条痕が一致するものはまだ見つかってないが、前の殺人に使われた弾丸とは一致した」 「それじゃ、連続殺人の線で捜査だな」  ホテルで売春婦の死体が見つかった。  その前に別の地区で、同じく体を売っていると思われる女性の死体が見つかっていて、警察では犯人を探していた。 「売春婦を狙うだなんて、切り裂きジャックかな」 「やめとけ、犯人に名前を付けるのは危険だ」 「そんなつもりじゃなかった」  アージェマーも分かっていると思うが、犯人に名前がついてしまうと、犯人は自己顕示欲を刺激されて犯行がエスカレートすることがある。また模倣犯も現れやすい。  今捜査している事件が連続殺人事件と公表するのですら、フェリアには躊躇いがあった。 「そういえば、カウンセリングをしてるんだって?」 「あぁ、警察学校の生徒だよ。前の殺人事件に巻き込まれた二十一歳の坊や」  廊下を別々の方向に行こうとしたところで声をかけられて、フェリアはアージェマーに答える。 「ふぅん?」  もの言いたげなアージェマーに、フェリアは「お人好しとでもなんでも言ってくれ」と笑った。  どうしてあの青年を放っておけないのか。  プリンスを思い出すからかもしれない。

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