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14.三回目のカウンセリング
カウンセリングも三回目になってくると話す内容がない。
事件のことに関しては、傷付いた素振りで「あまり思いだしたくないんです」と言えば誤魔化せたが、他のことをフェリアが聞いてくるのにカイは正直には答えられなかった。
「ちゃんと夜は眠れているのか」
「眠れています。あ、眠れないときには姉に電話を掛けたりします」
あまりにも元気すぎてカウンセリングが既定の四回で終わることは分かっていたが、それでもあからさまにフェリアを騙していたことをばらしてしまうわけにはいかず、どこまでも傷付いた青年を演じる。
「家族に話せるひとはいるんだな」
タブレット端末のカルテに記入しながら、フェリアが「そういえば」とぽつりと呟く。
「君のお姉さんに会ったよ。君のことを……なんて言えばいいんだろう……もしも失礼なことをしたら股間を引き千切るとか言ってたけど……」
「姉はちょっと思い込みが激しいところがあって。でも、姉には分かっているんですね……」
「え?」
目を伏せて息を詰めたカイに、フェリアが心配そうに視線を向けて来る。エメラルドグリーンの瞳が自分を映していることを確認して、カイは顔を上げた。
「こんなに優しくしてもらって、俺のことを思いやってくれるフェリア様のことが、俺は……」
言うならば今だと思いつつ、一度言葉を切ってカイはわざと含みを持たせる。エメラルドグリーンの目を瞬かせて、フェリアが不思議そうにカイを見ている。
「助けてくれたから勘違いしているんだと思われるかもしれません。でもそうじゃない。俺は心からフェリア様が好きなんです」
カウンセリングルームという密室で二人きり。
できる限りフェリアを怯えさせたくも警戒させたくもなかったから、カイはソファにじっと大人しく座っていた。距離を詰めるのはどれだけでもできるが、そのせいでフェリアとの関係が壊れてしまうのは困る。
告白を聞いてフェリアは戸惑っているようだ。
透けるような白い肌の目元が朱鷺色に染まっている。
両手で頬を押さえてフェリアが俯く。
長い沈黙の間、カイは必死で耐えていた。
早く返事を聞きたいが、フェリアを急かしたくはない。
少しでもこの均衡を破ってしまえば、フェリアの気持ちが変わるかもしれない。
フェリアにとって、カイはカウンセリングを必要とするような繊細な青年で、一緒に食事をして楽しいと思ってくれるような対象のはずだった。
「カウンセラーとして失格なのかもしれない」
「どういうことですか?」
口を開いたフェリアに、カイがおずおずと問いかける。
「俺は、君と話していると楽しいんだ」
「俺と話すのは楽しいですか?」
「君と話すのは楽しい。食事をするのも楽しい。君とのカウンセリングの日を心待ちにしている自分がいる」
これは悪い返事ではない。
期待で逸る気持ちを抑えて、カイはフェリアの次の言葉を待つ。赤くなった頬から両手を離して、フェリアは微笑んだ。
「君も同じ気持ちだったらいいと思ってた」
「俺もフェリア様と一緒にいると楽しいです。話していて落ち着くし、一緒に食事をするととても楽しい。俺はまだ学生で、カウンセリングの回数ももう一回残っていますが、それが終わったら、一人の大人として俺のことを見てくれませんか?」
性急にことを進めるつもりはなかった。
少しずつ近付いていければいい。
ソファに座ったままのカイの言葉に、デスクから立ち上がったフェリアがゆっくりとカイの方に近付いてくる。
「月並みだけど、お友達から、ってやつで」
差し出された手を、カイは柔らかく握った。白い手は意外に骨張っていて、女性のものとは違う印象だった。
カウンセリングが終わってから、フェリアはカイを食事に連れて行ってくれた。
中華のお店で、こちらも衝立で席ごとに区切られている。前の店も席ごとに区切られていて個室のようになっていたから、フェリアはこのタイプの店が好きなのかもしれない。
外見が整っているフェリアは人目を引きやすい。
他人からじろじろ見られて食事をするのは居心地がいいとはとても言えない。
美しい外見にも弊害があるのだとカイは思っていた。
「おこげの餡掛けが美味しいんだ。それに、特製の焼きそばも」
「どっちも食べたいです。シェアしませんか?」
「シェアしよう」
お勧めのメニューを言うフェリアに、カイはそれを食べたいと主張した。シェアするのもフェリアとならば嫌ではない。
「おこげの餡掛けって、どんなものですか?」
「パリパリに揚げた米の煎餅みたいなものに、野菜や豚肉の入った熱々の餡掛けが注がれるんだ。米は揚げたてだから、餡掛けが注がれたときにジュウジュウっていい音がするのが食欲をそそるんだよ」
「それは気になります」
前回の包み焼きピザもだったが、今回のおこげの餡掛けも、カイは食べたことがなかった。フェリアと一緒だと食べたことがないものが食べられる。それもカイにとっては楽しみだった。
揚げたての米の四角い薄いブロックに目の前で餡掛けが注がれる。ジュウジュウと揚げたての米が音を立てるのが分かる。
焼きそばは野菜がたっぷりで皿の上に山盛りになっていた。
取り皿をもらってカイが取り分けている間、フェリアは大人しく待っている。シェアした経験がないのだろう、フェリアは取り分けるのを完全にカイに任せていた。
任されるのも嬉しいので、カイは張り切って均等に取り分ける。
おこげの餡掛けは、餡掛けがかかっていない部分はサクサクとしていて、かかっている部分はトロトロで何とも言えない美味しさがある。餡掛けの野菜や豚肉も味がしっかり染みて美味しかった。
焼きそばは麺がもちもちとしていて、それを大量の野菜と一緒に食べていくのが美味しい。キャベツなど半玉分くらいは入っているのではないだろうかと思う。
焼きそばとおこげの餡掛けを食べ終えて、フェリアがカイの顔を見詰めた。
「前回もだったけど、足りたか? もっと食べたいんじゃないか?」
二十一歳という年齢は食べ盛りで、どれだけ食べても足りないのはフェリアにも分かっているのだろう。お腹の心配をされてカイはにやりと笑う。
「帰ってから寮の食堂で夕食を食べるから平気です」
「これに更に夕食も食べられるのか?」
「前回も帰ってから夕食は食べましたよ」
あっさりと答えるとフェリアが目を丸くしている。
どちらかというと細身のフェリアはそんなに食べる方ではないのだろう。カイは身長も高いし、それなりに体付きもしっかりしているので食事は大量に食べる方だ。
「次のカウンセリングが終わったら」
「はい」
「俺が料理を作るって言ったら、食べる勇気があるか?」
「勇気って……なんでも食べますよ。フェリア様の作ったものなら喜んで」
「いや、一人暮らしの前に一通り料理は習ったんだが、面倒でちゃんと作ったことがないんだよな。でも、君になら……カイになら作ってもいいかなと思って」
このひとは自分が言っている意味を分かっているのだろうか。
考えてカイはすぐに分かっていないのだろうという結論に達した。
手料理を振舞うということはカイを自分の部屋に入れるということだ。
自分に好意のある人物を部屋に入れるということの意味をフェリアは分かっていない。
さすがにカイもフェリアを襲う気はなかったが、状況によっては理性が焼き切れるかもしれない。
今ですらフェリアの唇や朱鷺色に染まる目元を見て、下半身が痛いくらいに張り詰めているというのに。
「嬉しいです。フェリア様の手料理、食べてみたいです」
「好き嫌いはあるか? アレルギーとかは?」
「ないです。何でも食べられます」
何なら失敗作の料理だって完食できる自信がある。
両親の代わりにカイと妹のイヴァを育ててくれた姉のルカだが、年齢は四つしか変わらないので、最初から料理ができたわけではない。
幼い頃は両親が作り置きしていた料理を温めて食べていたが、そのうちに料理を作り始めたルカに何度カイは殺されかけたか分からない。
火の通っていない鶏肉は本当にヤバかった。病院送りになったのはカイだけだったが、ルカとイヴァも運がよかっただけで病院送りになったかもしれない。
黒焦げの何か分からないものもよく食べさせられた。口の中でがりごりと音を立てて、炭を食べている感触しかしないそれを食べても、カイは生焼けの鶏肉よりはマシだと学習していた。
フェリアの料理がどんなものでも、カイが文句を言うはずはない。
「俺も作るのを手伝いましょうか? 俺も料理できますよ」
「本当か? じゃあ、二人で作ろうか」
カイ。
名前を呼ばれて、カイは心が躍るのを感じる。
前回のカウンセリングの後で、送ってもらったときに、カイは次は自分の名前を呼んでくれるように言っていた。
「寮まで送っていくよ」
「ありがとうございます」
手を差し出して車までエスコートしたかったが、まだ早いかと思ってカイはぐっと我慢する。
寮の前で車から降ろされて、キスがしたかったと思いながらカイは手を振ってフェリアの車を見送った。
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