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15.最後のカウンセリング
入院と治療を終えた売春婦の女性に、警察署でアスラとヴァルナが供述を取っている間、フェリアはその女性の幼い娘を預かっていた。フェリアも一緒に供述を聞きたかったのはあったが、他の警察官の手が空いていなくて、まだ二歳ほどの幼女の面倒を見られるものがいなかったのだ。
「こえをー、こちてー」
「お料理を作っているのかな?」
「おいち! あい!」
おもちゃを重ねてサンドイッチらしきものを作った幼女に、フェリアは「ありがとう。美味しそうだね」と礼を言って受け取った。受け取るとすぐに幼女は手を出してくる。
「うー!」
「返すんだね。はい、どうぞ」
「あい!」
返してもらった幼女はまたご機嫌でサンドイッチを作る。
供述が終わって母親が出てくると幼女は「マッマー!」と叫んでそちらに駆けていった。抱き上げられて嬉しそうに母親に頬ずりしている。
「あなたが犯人があたしを捕らえてるって見抜いたって聞きました。あたしが生きて戻らなかったら、娘はどうなっていたか。あたし、この仕事は足を洗って真っ当になろうと思います。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられて、フェリアは彼女に問いかける。
「性病の治療もしたのか?」
「性病の検査は定期的にしてました。あたしは性病に罹ったりしてなかった。命を助けてほしい売春婦が、あたしの名前を言ったみたいなんです」
「それじゃ、君じゃなかったのか」
「そうです。あたしは客と生でやるなんてことはしないし、されそうになったら逃げてます」
人違いだったのに攫われて監禁されて殺されかけた彼女はどれだけ怖かったことだろう。この商売から足を洗うというのもフェリアには理解できた。
「子どもを持った独り身の女性の就労サポートセンターがある。生活が苦しいときには、食事の無料配布センターもある。うまく利用して娘さんを大事に育ててやってくれ」
「ありがとうございます。高校で妊娠して、娘を産んで、高校も出てないから働く場所がなかったんです。でも、こんな風にはなるんじゃなかった。これからは働く場所を真剣に選びます」
女性が頭を下げると、抱っこされていた娘が小さなお手手を振る。
「ばっばい、にーたん」
「バイバイ。元気でな」
フェリアが手を振り返すと、娘は小さな手を伸ばしてフェリアの手にタッチしてきた。
何度も頭を下げて警察署を出て行く女性と娘を、フェリアは複雑な気持ちで見送っていた。
「売春婦って一括りにして呼んでたけど、それぞれ違う人生があるんだし、それぞれ違う事情があるんだよな」
「売春婦は売春婦だろ」
「ヴァルナは女嫌いだから、そんな顔をする」
苦笑するフェリアに、アスラが真面目な顔になった。
「貧困女性の働き先は限られて来る。一晩で稼げるとなったら、売春婦を選ぶのかもしれない」
「彼女は高校を中退して子どもを産んだって言ってた。それで働き先がなかったって。彼女は幾つだったんだ?」
「十八だ」
「まだ親に守られていてもいい年齢なのに」
高校の三年生か、大学生か、その程度の年齢だったのに、娘を抱えて働かなければいけなかった彼女のことを思うと、フェリアは自分の認識を改めようと考えていた。
「そういえばカウンセリングをしているんだって? フェリアはお人好しだからな」
ヴァルナの話題がこちらに向いて来て、フェリアは本能的にその話をしてはいけないことを悟る。フェリアに男性が近付いてきていることを知ったらヴァルナが拒否反応を起こしかねない。
ヴァルナが何を言ってもフェリアは成人しているのだし、カイも成人しているのだから問題はないはずなのだが、年の近い兄が発狂寸前でカイに怒鳴り込んで行ったら、今の関係も何もなくなるだろう。
「カウンセリングはあと一回で終わりだ。サインをすれば問題なく終わるよ」
「そうか。あまり仕事外で疲れるようなことをするなよ」
カウンセリングを引き受けたいきさつや、どういう相手がカウンセリングに来ているかは、もうヴァルナは調べ上げている気がする。後はフェリアがカイに好意を持っていて、カイの方もフェリアに好意を持っていることがバレてはいけないだけだ。
単純にカウンセリングが終わると告げればヴァルナもそれで納得するだろう。
世間の兄というのはそんなにも弟の恋愛に関与してくるものなのかと思うが、フェリアが特別な体だから仕方がないのかもしれない。
そういえばフェリアはまだ自分の体のことをカイに明かしていない。
明かしてカイがフェリアを拒んだら、それはそれでどうしようもないのだが、拒んで欲しくないという気持ちがフェリアにはあった。
この体で恋愛をしてもいいのか、フェリアには試したい気持ちもあったのだ。
この恋愛がうまくいかなかったら、フェリアは今後恋愛することはないかもしれない。
それだけ複雑な体をしているということはフェリアにとっては単純な問題ではなかった。
四回目のカウンセリングの日の前に、フェリアはスーパーで買い物をしておいた。
料理の材料を揃えて、冷蔵庫に詰めておく。ついでにサーモンはマリネにしてガラスの容器に入れて蓋をして、タラは塩とオリーブオイルで下処理をして臭み抜きをして冷蔵庫に入れておく。
準備を終えるとカイがこの部屋にやってくるのだというのが実感できる。
まだプリンセスの給餌器もキャットタワーもベッドも置いたままの部屋。
骨壺も置いてある。プリンスを焼いたときに骨を入れた骨壺と一緒に、フェリアが死んだときに棺の中に入れてもらうつもりだなんて言ったら、ヴァルナにもアスラにも妙な顔をされそうだが、カイは馬鹿にしない気がしていた。
準備を終えてカウンセリングの日を迎えたフェリアは、カイがやってくる前に仕事を終えておかなければいけなくて、デスクと検査室を行ったり来たりして走り回っていた。
ものすごい勢いで仕事を仕上げていくフェリアに、アージェマーもパーシヴァルも思うところあったようだった。
「ギリギリで仕事が入ってきたら、私が担当するから安心しろ、ガーディア」
「僕も検査結果が早く出るように手伝うよ」
「ありがとう……なんで?」
「何も言うな、ガーディア」
「いいんだよ、ガーディアは一人でずっと頑張って来たんだから」
協力してくれるアージェマーとパーシヴァルを不審に思いながらも、フェリアは感謝してそれに甘えることにした。自分の恋愛事情が警察ラボ中に知れ渡っていて、それを絶対にヴァルナとアスラに漏らさないことと、協力することを警察ラボの職員が徹底してくれているだなんて、フェリアは想像もしていなかった。
カウンセリングの時間にはフェリアは仕事から解放されてカウンセリングルームに向かっていた。
完全に開放されたわけではない。
死者は出なかったが強盗事件で使われた銃の線条痕が、過去の事件のものと一致して、それを詳しく調べなければいけなかったのだが、アージェマーが素早く資料を取り上げて「行ってらっしゃい」と有無を言わせず背中を押してくれた。
カウンセリングルームでカイと二人きりになると、フェリアはデスクの椅子に座る。カイはいつも通りにソファに腰かけている。
「夜は眠れるようになったかな?」
「はい……時々あなたのことを考えると眠れないときがあります」
カウンセリングのはずなのに熱っぽい目で見られて、フェリアは眉間に皺を寄せて見せた。
「まだだぞ、カイ。まだカウンセリングは終わってない」
「すみません。でも、本当のことです」
さらりと言われてしまってフェリアはタブレット端末に視線を落として平静を装う。心臓が早く打っているなんて、カイには知られたくない。
「食事も普通に取れているかな?」
「食欲はある方です。寮の食事では足りないくらいに」
「両親とはこの事件の話をしたか?」
「実家に帰ったときに少し。両親は心配してくれていました」
家庭環境にも問題のない様子で、両親や姉など相談できる相手もいる。夜も眠れているし、食欲もある。
基本的に問題はないだろうと判断してフェリアはカウンセリングのカルテにサインをした。
「これでカウンセリングは終わりだ。また何か気になることがあれば連絡してきていいからな」
「はい、ありがとうございました」
形式上カウンセリングを終わりとして、フェリアは立ち上がった。
カウンセリングの結果は警察学校にも、カイの両親にも送る手はずにする。
「お疲れ様。それで、この後は」
「この後を楽しみにしてきました」
カイの笑みにフェリアは「俺もだ」と素直に答えた。
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