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You're My Only Shinin' Star③
空港にたどり着くとAllyはすでに待っていて、様々な手続きを終えてくれた。
数年前、禄朗からもらったチケットでここからアメリカに飛ぶ予定だった。おなかに花を抱えた明日美を捨て、何もかも中途半端にして。あれから思いもよらないことばかりで、想像もできないくらい遠くまで来てしまった。だけど今の優希にはなにも後悔するものはない。後ろ髪を引かれることも。すっきりとした気持ちでアメリカに行ける。
あの時の禄朗はどんな気持ちでここにいたんだろう。いつ来るともわからない優希を待って。いつまでもこない優希を思って。
彼の見た景色を忘れないでいようと思った。果たせなかった約束を今からでもつなぎたい。二人で見るはずだった景色をこれから捕まえに行く。自分の力で、禄朗に会いに行く。
「優希、海外は初めて?」
Allyは優希が来る前にビジネスクラスに変更してくれた。雑多な人々の流れから離れて、静かで落ち着きのあるラウンジへ案内してくれた。
ゆったりとしたソファに腰を落ち着かせていると、Allyはコーヒーを片手に隣へ腰を掛けた。真っ白い湯気が立ち上るカップを受け取り口をつけるとほの甘く、緊張しっぱなしだった気持ちが少しだけ緩む。
「移動時間も結構長いから、あまり気を張らないほうがいいよ。疲れちゃうから」
「そうだね」
ビジネスやバカンスに来ている人たちがそれぞれリラックスした様子で、搭乗案内を待っている。その中に今自分がいることは、なんだか不思議。
昨日の優希はただ、家と会社を往復するだけのくたびれたサラリーマンでしかなかったのに。いつだって禄朗の存在が優希を見たことのない外の世界へ連れだしていく。
「チケット変えてくれたんだ」
「こちらの不手際で優希にも迷惑をかけているからね。これくらいはさせて」
「ありがとう」
こうして並んで普通に話していることが、まだ現実味を帯びない。あんなひどい目にあわされた相手だというのになぜか許してしまっているし、慣れない海外のサポートをしてもらっているし。今頼りになるのが彼しかいないというのも皮肉なものだ。優希からなにもかも奪っていった元凶だというのに。
「変なの」
思わず声に出してしまうと、Allyは不思議そうに先を促した。
「だって君とぼくは禄朗を取り合って嫉妬しあっていたはずなのに、今こうして普通に会話している。結構ひどい目に合わされたあの頃の自分には、信じられないだろうなって」
「それを言われるときついな……ごめん。でもそうだね。あの頃の僕も知ったらびっくりするよ。信じられない嘘だろ?!って叫ぶ」
「想像がつくよ」
Allyは困ったように笑い「人生は何があるかわからない」と囁いた。
「あんなに嫌いだったのにね」
「お互い様だよ」
問題の根っこからもぎ取る荒々しいAllyの洗礼を受けて、明日美と花との生活さえ失った。あれがなければ今でも偽りの生活を続けていたのかもしれない。
優希を嫌っている義両親は本心を隠し、明日美は優希を|窺《うかが》い、優希は約束を果たそうと自分の気持ちを裏切り続けただろう。それを幸せと呼ぼうと思ったら、呼び続けることができたはず。
だけど、壊れたことで優希は本当の優希として生き始めることができた。何もかも無くして、再生することも。
本当に人生は何があるかわからない。
次々とアナウンスがかかるたび人の流れが一つに集まり、搭乗口へ吸い込まれるように消えていく。
ほどなくして優希の乗る飛行機のアナウンスがかかり、機内へ乗り込んだ。定刻に日本をたった飛行機は順調に空を飛び、長時間を経て異国へたどり着いた。
広いシートで思い切り足を延ばせたため、思ったより疲れてはいなかった。個室とも思えるくらいの広さにのびのびとくつろげ、食事もおいしく贅沢な時間を過ごせた。
「疲れてない?」
「大丈夫。飛行機があんなに快適だって知らなかったよ」
「それならよかった」
空港の中の空気も日本とは違う。異国の匂いがして、ついにアメリカへ降り立ったのだと実感した。周りは英語が飛び交い、当然目にするどれもが日本語ではない。
かつてここを禄朗は一人で歩いた。約束を守らなかった優希をどう思いながら先へと進んだのか。心配と不安と絶望が絡んでいただろうと思うと胸が痛む。
空港の外へ出るとさらに雰囲気はガラリとかわり、ここは日本じゃないんだと思うと急に緊張してきた。手に汗をかいている。言葉もうまく通じない、土地勘も文化も違うところで禄朗を探さなくてはならない。
「車を用意しているからまずはオフィスへと行こう」
「うん」
ずっと強がってはみたものの、Allyがいてくれてとても心強かった。一人だったら右も左もわからず、この先どうしていいかオロオロしていただろう。
「Ally」
先を行く彼の腕をつまみ「ありがとう」とお礼を述べた。ぎょっとしたように振り返る。
「どうしたの急に」
「いや。やっぱりわからない土地だからさ……Allyがいてくれてよかったなって」
正直に伝えるとAllyはおかしげに笑い、背中に手を伸ばした。
「役に立ってるならよかったよ。少しは罪滅ぼしになる?」
ぐ、と言葉に詰まると笑みを浮かべた。
「安心して頼ってよ。そのために僕はいるんだから」
「うん。ちょっとだけ頼らせて」
困ったように笑うとAllyはすっと目を細め、背中に置いた手に力を入れた。
「優希のそういうところはすごくいいけど、でも気をつけたほうがいいよ」
「どういう意味?」
「甘えてくるのが可愛くてどうにかしてあげたくなるから」
ふふ、と意味深に笑うと一台の車のドアを開け「どうぞ」と促した。
そういえば外国では運転席と助手席は逆だったんだな、と車に乗り込みながらドキドキとした。わかっているのと実際体験するのとでは全く違う。
日本とアメリカ。なじみがあるようでいて全く違う国なのだ。認識も常識も人種もすべて。車の助手席に座っただけで見る景色が見慣れず、どうしたらいいのかためらうくらいなのに。
たった一人で滞在し、結果を出したいともがく禄朗の苦労ってどれくらいだったんだろう。
「連絡の一つも寄こせないなんて」と若いころの優希は悲しみ、捨てられたと勘違いした。生活のすべてが違う場所で何かをなしたいと思っていたら、どれだけの困難があるのかなんて考えが及ばなかった。禄朗のことをわかってあげられなかったのだ。
車窓の景色も日本では見ないものばかりだ。広大な道路。どこまでも続く直線道路はさっきから景色が全く変わらない。不意に文明が開けた景色が広がり、想像通りのアメリカの風景だと思えばまた森林の続くまっすぐな道。
「アメリカって広いね」
「そうだね。日本から見たら余計そう思うかも」
「うん。こんな広い景色、見たことないよ」
窓の外に見惚れながら風に吹かれていると、Allyは頷きながらハンドルをゆっくり切った。
「一回休もうか」
西部映画に出てきそうなドライブインに車を止め、中に入る。イメージを裏切らない髭もじゃの男が、カウンターの中で忙しそうに立ち働いている。Allyは早速コーヒーを注文するとカウンターに腰掛け、優希も誘った。
「まだ長いから休憩ね」
「運転変わろうか?」
「大丈夫だよ。それに運転できるのかよ」
「これでも免許くらいある」
ほとんどペーパーだけど、とつけ足すとやっぱりねと頷いた。
「優希に運転ってイメージないからね。助手席が似合うよ」
「どういう意味だよ」
膨れてみせるとAllyは楽し気に身体を揺らした。
「いいね、こうやって話せる友達ってほしかったから。僕って、アレだったし……なかなか友達ができなくてさ。なんか楽しい」
嬉し気にするAllyを見ていると、悪い気はしなかった。「Allyは運転が上手だよね」と照れ隠しのように褒める。
Allyの運転はストレスを感じさせない、安定した走りを見せていた。ブレーキの時も静かで負担にならない。あまりしゃべらずカーラジオからゆったりとした曲が流れているのは、禄朗ととても似ていた。彼も余計なことはしゃべらず、景色と音楽を楽しむのが好きだったから。
「Allyと禄朗はタイプが似てるね」
隣に座りながらそういうとAllyはくすぐったそうに笑い、「憧れの人だからね」と答えた。
「禄朗のことが本当に大好きなんだ。彼みたいになりたくて、子供のころから真似ばかりしていたよ」
「悪いところも真似してた?」
「そう。でもタバコはあまり好きじゃなかったかな」
くすくすと笑いながら、Allyはコーヒーに口をつけた。
「それにしても禄朗はどこに消えたんだろうな」
「……うん」
なんの手かがりもなく探せるものなのか優希だって不安だった。この広大なアメリカのどこかにいるとも限らない。今頃もしかしたら日本に帰っているのかもしれないし、世界のどこかに飛んでいるのかもしれない。
「でも見つける」
不安に押しつぶされないよう、ぎゅっとマグカップを持つ手に力を入れた。
車に乗り込むと、再び長い道のりを走り出した。単調な景色と規則正しい車の揺れに、次第にまぶたが重たくなっていく。日本を発つ前からほとんど眠っていなかったから急激な眠気に襲われて、優希はガクリと頭を落とした。ビクリとして目を開ける。Allyの大きな手のひらがいたわるように太ももを撫でた。
「寝ててもいいよ、まだかかるから」
「いや、大丈夫……ごめん」
「ほどんど寝てないんだろ?これからまだ先は長いし、休める時に休めよ」
「でも」
Allyだって同じようなものだ。機内でも優希を残して眠りにつくことはなかった。
「ぼくはちゃんと寝るときに寝てるから大丈夫」
「……ごめんね」
逆らえない眠気には勝てず、うとうとと眠りの世界へ足を踏み入れる。意識がすうっと遠くなり、そのまま深い眠りについてしまった。
次に目を覚ました時、車は賑やかな石畳の通り沿いを走っていた。連なるビル群やきらびやかなショップが連なるストリートには、たくさんの人がせわしげに先を急いでいる。身じろぐと運転席のAllyがそれに気がつき、「起きた?」と声をかけた。
「うん、ごめん、結構しっかり寝ちゃった」
「もうすぐ着くよ」
助手席の窓から見上げるとどこまでも高いビルが乱立し、その上に小さな空が見えていた。
「アメリカって感じ」
「だろうね。よく映画にも出てくる場所だし」
指を折りながら教えてくれたタイトルは聞きなれた有名な作品もあって、ここがその場所なのかと感動する。
「すごい。こんな場所に禄朗はいたんだね」
様々な人種が闊歩する大都会。街を歩く誰もが堂々と胸を張り、私の人生を歩いているのよと主張している。ここにいた彼は何を思い、どうやって暮らしていたんだろう。
「禄朗は売れてからもたいして贅沢はしないでずっと同じアパルトマンに住んでいたよ。なじみの人たちと一緒にいるのが楽しかったみたい」
禄朗らしい、と思った。彼はどんな時も自分のスタイルを崩さない。流行りとかこうすべきとか、そういったものには興味がなく、自分の感性に正直だ。
「ここのコーヒーショップもお気に入りだ」
「え、どこ?」
指をさして教えてもらったお店は老舗らしく、落ち着いた雰囲気の店構えだった。
「後で行ってみようか」
Allyの運転する車は滑らかに混雑した街の中を潜り抜け、一軒のおしゃれな建物の前で止まった。
「ついたよ。ここがぼくの住宅兼、事務所」
石畳の歩道から数段高いところに玄関があるレンガ作りの重厚な建物。ドアは磨きがかった木製のしっかりしたものだ。出窓には花が飾られ、古いながらもしっかりと手入れされているのがよくわかった。
「素敵だね」
「ありがとう。さ、入って」
車をパーキングに停め、Allyのあとについてドアをくぐる。
「ただいま」
靴のまま中へ入ると、木がふんだんに使われた広い部屋に続いていた。観葉植物があちこちに置かれ、高い天井のせいか開放感がある。ゆったりと座り心地のよいソファに案内されると、それと同じタイミングで男の人が姿を現した。
「お帰りなさい」
「ただいま、ケイト」
Allyはその人に顔を寄せると、軽く挨拶のキスを交わした。
「紹介するよ、彼が優希。こちらはケイト」
「はじめまして」
Allyの傍らで微笑むケイトと呼ばれた人は、どう見ても日本人だった。背はAllyと同じくらいの長身。ほっそりとした体躯に柔らかな笑みを浮かべている彼は、温厚そうに見える。物腰や雰囲気的に、優希と同世代くらいかもしれない。
「はじめまして、斎藤優希です。突然お邪魔しまして」
「疲れたでしょう?ゆっくりくつろいでくださいね」
にこやかにソファをすすめられ、優希は腰を下ろした。包み込むようなクッションに、ほっと力が抜ける。
「今コーヒーを淹れてきます」
ケイトは軽やかに奥のキッチンへ向かい、Allyは優希と並んで腰を下ろした。
「今日はとりあえず休んでもらって、明日からどうするか考えよう」
「そうさせてもらおうかな。ところでこの近くにいいホテルがあるかな。まだ予約もしていなくて、急で悪いんだけど」
とにかくアメリカに向かおうと急いでここまできてしまった。
Allyはパチパチと瞳をしばたかせると、「ここに泊まればいいじゃん」と当然のように言った。
「ここの上の階は住宅スペースでさ。空いてる部屋もあるし、使えばいいよ」
「でも……」
ここまでくるのだけでもかなり甘えてしまった。これ以上迷惑をかけたくもないと口ごもる。ちょうどその時、香ばしいコーヒーの香りを連れてケイトが戻ってきた。話を聞いていたのだろう、ケイトも同じことを言う。
「管理不足で迷惑をかけてしまったのはこちらの方です」
優希にカップを差し出しながら、柔らかく微笑む。
「俺も禄朗にはたくさんお世話になったんです。だから遠慮なく使ってください」
「そうしなよ。僕たちはここの最上階に住んでるし、前に話したアーティストの卵たちも何人かここに住んでいる。優希だけ特別ってわけじゃないから、遠慮はいらないよ」
Allyは傍らのケイトの肩に腕を回すと、親密そうに頬を寄せた。
「ケイトはぼくのパートナーなんだ」
「え……、えっ?そうなの?!」
失礼とは思いながらもまじまじとケイトを見つめてしまった。こう言ってはなんだけど禄朗と全くタイプが違う。全くの正反対だと言ってもいいくらいに。
「禄朗とは全然違うでしょう」
ぶしつけな視線に嫌な顔をせず、ケイトはおかしそうに笑った。
「Allyと禄朗のことは有名ですから、いろんな人に驚かれます」
「すみません、そういうつもりじゃなくて……」
モゴモゴと言葉を濁す優希に、Allyは「だから言ったでしょ」と苦く笑った。
「あの頃のぼくとは違うんだって」
「うん、幸せそうだ」
どこから見てもお似合いのパートナーだ。尖って誰にでも牙をむいていたAllyとは全く違う。余裕のある穏やかさは彼がもたらしてくれたものなのかもしれない。そばにいる大切な人に影響され、誰だって大きく変化していく時がある。優希がそうだったように。Allyの相手はケイトだったということだ。
「じゃあ、甘えてお邪魔させてもらうよ。何から何までありがとう」
「よし。案内するよ」
優希の荷物をもって、Allyは建物の中を案内し始めた。1Fと2Fだけは事務所として使われていて、3Fより上が居住スペースとして使われているらしい。共同スペースにはキッチンが設置してあり、自由に使えると説明する。冷蔵庫の食材はそれぞれ名前をつけておいてあるので、気をつけてほしいとのことだった。
「たまに間違えて食べられたって喧嘩が始まる」
現在は七名のアーティストの卵が、ここで羽化する日を待ちわびているとのことだった。
「彼らはみんな才能があって面白いやつらだから、きっとすぐ仲良くなれるよ」
優希に充てられたのは小さな個室。ベッドと机や小さなソファとクローゼットというシンプルながらも綺麗な空間だった。出窓は両開きになっていて、開けると活気のあるアメリカらしい町並みが見下ろせた。
「朝になると近くのベーカリーからいい匂いがしてくるよ。コーヒーショップもすぐそこだし、ぜひ行ってみて」
「そうなんだ。楽しみだな……ありがとう」
素直に感謝を表すとAllyも嬉しそうに笑い、うん、と返事を返した。
「食事までゆっくり休んでいて」
ひとりになると、優希は大きな息をついた。ここまで来てしまった。
この街に禄朗は住み生活を営んできた。彼のいた景色を見たいという願いは想像と違う形で叶ってしまったけど、そうか、ここが禄朗が選んだ場所なんだ。
出窓に腰を掛けながら、眼下を行き交う人の流れを眺める。日本とは全く違う人種が同じように生活している。禄朗はここで何を思い何を考え、必死に夢をつかもうとしてきたのだろう。
「会いたいな」
迎えに来たよ、と抱きしめたい。今でもこんなに好きだと伝えたい。禄朗の話をたくさん聞きたい。
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