2 / 20

第2話

 パチリ。  ゴソゴソ。  「……………、三時十分……」  目覚ましをかけなくても大体予想した時間帯に目を覚ました俺は、ベッドからムクリと上半身だけ起きると、一度伸びをする。  これから二度寝しようとしたところで、寝れない事は解っているので、起きるしかない。  一時を境に、抑制剤のせいでショートスリーパーになった俺は、最長でも五時間寝れば良い方になってしまった。  「………水……」  ボソボソと独り言を呟いて、ベッドから脚を出す。  ベッドの振動で、俺の頭側にいたティーが目を覚ますが、体を動かす気は全く無いらしく、ただ俺を一度見ただけで直ぐにフイと顔ごと反らす。  足元のルゥは、伸び切って起きる気配が無い。  俺は寝室のクローゼットからジム用のスウェットとバッグを取り出すと、それを持ってリビングヘ行く。  ………、体のダルさは多少あるものの、違和感は無いので、ジムに行っても問題は無いかと思いながら、リビングでスウェットを着込み、床に置いていたミネラルウォーターのペットボトルを掴みキャップを捻る。  テーブルの上に置いてあった抑制剤と水を一緒にゴクゴクと喉を鳴らして飲むと、ペットボトルは床に戻してまた新しいのを冷蔵庫から取り出しバッグの中へしまい、バスルームヘ。  バスルームヘ行きタオルを取ってから、俺は玄関を開ける。  「行ってきまーす」  一応、お見送りされてないとは解っているが、二匹の猫にそう言い残して、俺は玄関を開けて一歩を踏み出す。  俺の住んでいるマンションは、いうなればタワーマンションと呼ばれる類だ。  まぁ、住んでいるところは高層階では無いにしろ、配信の収益だけでここに住めるのは有り難いことだと思う。  ここに住むにあたって、一番の決め手だったのは一階がスーパーになっているって事だ。  外に出掛けたくない俺にしてみれば、夢のような条件だったし、そのスーパーの上には二十四時間利用可能なジムが併設されていて、マンションの住人なら誰でも利用することが出来る。  ジムの上にマンションのエントランスホール。そちらにも二十四時間対応のコンシェルジュがいるので、防犯の面でも安心して暮らせる。  ジム利用時には、そのコンシェルジュにカードキーをもらってジムを使用する事ができるので、俺はエレベーターで三階まで下るとホテルのカウンターみたいなところに立っているコンシェルジュに近付く。  「今晩は石川様」  「…………、どうも」  近付いた俺を視界に入れたのか、コンシェルジュの田中さんが俺に挨拶する。  「ジムのご利用ですか?」  「そうだね」  「かしこまりました」  田中さんはそう言って一度俺から背を向けると、後ろの棚にあるカードキーを持ってカウンターに置く。  「どうぞ」  「ありがとうございます」  「何かありましたら、内線にご連絡下さい」  「解りました」  事務的な会話を済ませて、俺はカードキーを手に持つと、ジムへ向かうため今度はエレベーターでは無く、階段を使う。  ジムへ着くと、カードキーで開場して中へと入る。  入った途端にセンサーで感知するのか、電気がパッと点くので俺は直ぐに目的の器具の所へ歩み寄り、傍らにバッグを置いてトレーニングを開始する。  こんな夜中にジムを利用する人はほぼいない。  いうなれば貸切状態で、俺はいつも狙ってこの時間帯にジムに来るようにしている。朝、昼、夜は、まだ住人が使用していることが多く、何度か行き来をすることでこの時間帯は人が滅多にいないことを把握済み。  だが、稀に使う人もいるので、俺は抑制剤を必ず飲んで使用する。  外に出るときは必ずだ。  病院では一番キツい種類の薬なので、頻繁に飲むなとは言われているが、飲まないと外に出るのも怖くて飲まずにはいられない。  早朝からジムを使用する人は、大体五時位から来るはずだから、最低でも一時間半は一人で使えるなと、頭の中で計算して器具の時間をザッと割り振る。  一人で黙々と体を鍛えていて、最後は軽く走って終わるかとランニングマシーンに近付いて行くと  キィ。  ジムの扉が開く音に、俺はその方向に顔を向けた。  もう朝早くから使う人が来たのかと少し残念に思いながら視線を上げると、バチリと入ってきた人と目が合ってしまう。  「おはようございます」  合った瞬間に挨拶をされ、俺はビクリと小さく肩を揺らしてペコリと頭を下げる。  ……………、この人Domだ。  本能が俺に告げている。  ジムに入ってきた途端、Domのフェロモンがフロアーを支配する感覚に、俺は少なからず怯えてしまう。  抑制剤飲んでないのかよ……。  心のなかでその人に悪態を吐きながら、早くこの場から逃げなければと警鐘が頭の中で鳴り始める。  「早いですね、お一人ですか?」  にこやかに言いながら、俺に近付いてくるその人に、俺は少しずつ気付かれないように後退ると  「です、ね………。でも、もう帰るところなんで………」  しどろもどろに答えながら、俺は床に置いていたバッグを掴むと、ペコリともう一度頭を相手に下げて足早にジムを出る。  急ぎ足で三階へと行き、田中さんにジムのカードキーを渡して、エレベーターへと乗り込み、扉が閉まった瞬間にやっと息を吐き出すことが出来た。  早鐘を打つ心臓を、ギュッと掴み自分の部屋の階でエレベーターが止まると、ヨロヨロと歩きながら玄関を開ける。  「ニャ~~」  俺が帰ってきたのを解っていたのか、玄関を開けるとティーとルゥが玄関で待っていて、俺の足に甘えてすり寄ってくる。  「ただいま」  腰を屈めてそれぞれの頭を撫で、玄関から足を一歩廊下へと踏み出した俺に、二匹は俺よりも先にリビングへと駆け出していく。  「朝飯、だよな」  二匹の後をついて行きながら、俺は呟いてリビングに置いてある餌用の皿を取ると、キッチンヘ移動する。  何時もの二匹の反応に、先程の動悸もおさまっていた。  皿を一度洗って、布巾で拭いた後ザラザラとカリカリを皿の中に入れて、定位置になっている場所へと戻すと、二匹とも待ってましたと言わんばかりの勢いで食べ始める。  しばらくその様子を見ていたが、洗濯と掃除……。と、思い立ち俺は行動を開始する。  昨日、洗濯機に入れた物は乾燥が終わっているので、シーツをまた配信部屋のベッドへと敷き直し、着ていたものや下着を畳んでしまい、リビングで脱ぎ捨てた寝間着と、ジムで汗をかいたスウェットとタオルをと思い、バスルームでスウェットを脱いでバッグを漁るが、タオルが無い。  え?………、タオル…………。  無いとなると、忘れた場所は一つしか無い。  「……………、マジかよ」  呟きながら洗面台に両手をついてしゃがむ。  戻って、タオルを取りに行くか……?  「……………、無理だな」  きっと先程のDomがいる。  …………………、よし。あのタオルは、無かったものにしよう。  俺はそう思うことにして、洗濯機を回す。  …………てかここのマンション、Domいたんだな。  少数派の俺達ダイナミクス性は、会うことの方が難しいとされているが………。  「まぁ……いるか、タワマンだし………」  Domは基本的に地位が高い派閥に属していることが多い。  それは持って生まれた資質、人を支配したいという欲求に密接に関係していると言われている。  なので金持ちや、財界人、医者や弁護士、検事等人の上に立つ職業に就いている事が多いのだ。  俺が住んでいるタワマンも、一般的には金持ちが多いとされる括りの為、そりゃぁ一人や二人位いてもおかしくは無い。  ただ今までは会っていなかったので、いないと俺が勝手に思っていただけで……。  「まぁ今回が初めてだし、次会うことなんて早々無いだろうし……」  俺がここに引っ越してきて、一年とちょっと。それで会ったのが今回が初なのだ。普通に生活していて俺と生活リズムが合う人もそんなにいないはずだしな。と、自分で自分を納得させ、掃除の続きを始める。  掃除をしていても、先程のDomの事が頭をチラつく。  俺よりも背が高く、ガッシリとした体躯。  発せられた声は低く、同じ男でもあちらさんは本当に男って感じだった。  優男みたいな垂れ目で、女にモテるんだろうなって感じの笑顔。  …………、だがDom独特の目は笑ってない印象。  抑制剤を飲まないDomは多い。  それは社会的にDomがステータスだと思われているふしがあるからだ。  人を支配したい者特有の傲慢さで、あからさまにDomという性を見せ付ける。  それに従いたい人はSubじゃなくても大勢いるワケで……。  「そういうところがさ………」  Subにとっては、生きづらいのだ。

ともだちにシェアしよう!