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第5話
先日の一件依頼、橘は益々俺に絡んでくるようになった。
俺もそうなるだろうな。とは覚悟していたものの、実際そうなれば鬱陶しいの一言に尽きる。
だが、前よりも俺との距離感を計ってくれているのか、むやみやたらに近付いてきたり、肩を叩くなどのスキンシップも減ったように思う。
会うのはほぼジムで、距離感を保っていてくれさえすれば、俺も橘に対して前よりもあからさまな態度を取る事は少なくなった。
「え!?猫飼ってるのか?」
「………、まぁ」
あらかた自分が決めていたトレーニングを終えて、ベンチに座っていると、橘が俺に水を差し出す。
俺は無言で、少し頭をペコリと下げながらその水を受け取ると、左手に持っていたスマホの画面が目に付いたのか橘は突然声を荒げた。
俺はペットカメラでティーとルゥを見ていたところだったから、橘の声に一瞬肩を震わせ、すぐに冷静さを取り戻しながら返事をする。
「シャムだろ?」
「あ?あんた詳しいの?」
「猫、好きなんだ」
上から覗かれるような体勢に、俺は微かに眉間を寄せると
「座ったら?」
と、声をかける。
「ん?隣で見てもいいって?」
橘は俺に少し遠慮がちにそう呟くから、俺は体を少し外側にずらして
「別に……」
と、言う。
俺が体をずらしてスペースを作った事に、橘はニコリと笑うと、俺の隣に腰掛け
「二匹飼ってるのか?名前は?」
スマホを見ながら尋ねてくる。
「ティーとルゥ」
「へぇ、可愛い名前だな」
画面の中では二匹共、部屋に投げている一つの玩具を取り合うように遊んでいて、それを食い入るように見ている橘に、俺は違和感を感じ、ジッと見詰めていると
「何だ?私の顔、何か変か?」
俺の視線に気付いた橘は、画面からゆっくり視線を俺に移すと、今度は正面からニコリと笑う。
俺はその笑顔にビクリと微かに肩を震わせ、橘から視線を逸らすと
「イヤ……、Domって犬好きなイメージあったから……」
猫よりも従順な犬を好むDomは多い。
これは統計データにも顕著に出ている、世間一般のイメージだ。
「一般的にはそうだろうね、けど私は周りの環境に辟易してたから、動物までそうだと……、チョットね?」
笑顔を苦笑いに変えて橘が呟く。
コイツの生活環境……。
俺が無視を決め込んでも、勝手にコイツが喋っていた事。
橘英臣。二十八歳、独身。
家族全員がDom。その中で三男として生まれ、Domとはこうあるべきだと言われて育った環境。
人の上に立ち、人を支配する言動、立ち回り、考え方。
周りの人達が自分に媚びへつらうのは当たり前、それを利用してのし上がれと言われて育てば、その通りの人格が出来上がった。
父親の会社を継げない事が解ると、大学在学中に起業し、今では何社も経営し納税者ランキングでは、毎回五十位以内には入っていた筋金入りのDomだ。
だがそうやって育ってきても、歳を重ねる毎に自分の中で芽生えてしまったDomに対する価値観の疑問。それによって生じた両親や兄妹との考え方の違いを埋める事は出来なかったと、いつか言っていた。
だから周りの人達が自分に媚びへつらう環境は、時として苦痛だと。
でも、それを指摘してコイツが住み良い環境に導いてくれる大人が周りにいなかった。
もし他の人達と対等に接する環境が昔からあれば、それはコイツにとって生きやすかったんだろうか?
「どうした?」
何も言わずに考え込んだ俺に、橘が声をかける。
俺はその声に、弾かれたように視線を上げると
「別に……、もう帰るな」
スマホの画面を消して立ち上がると、ベンチに置いてあった自分のバッグを手に持つ。
橘に背中を見せると
「今度、私にも猫見せてくれないか?」
後ろから聞こえた台詞に、俺は首だけ回すと
「嫌に決まってんだろ」
すぐに返事を返した俺に橘は苦笑いしながら
「駄目か……」
残念そうな声音だが、どことなく今までとは違い楽しそうな感じに聞こえて、俺はジムを後にする。
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