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第6話
あれから数日、橘とはパタリとジムで合わなくなった。
なので俺はこの数日間、のんびりと落ち着いて日々を過ごせている。
今日は久し振りに街まで出掛けてきた。
愛猫二匹の餌を動物病院で貰うためだ。
ペットショップやマンションのスーパーでも買えるのだが、二匹には長生きしてもらいたい俺の想いがどうしても病院で餌を買わせてしまう。
面白いことに、二匹は味の好みが違っていて、それぞれの餌には全く口をつけない。
だから病院で餌はニ種類買う。
あまり外に出たくないから、一番重いのを買って帰る。
久し振りに外出した街並みは、素直に気持ち良いとは思う。自分にとって、良い気分転換にもなると感じるが、やはり人は苦手だ。
子供や老人、女性に対してはさほど苦手意識も出ないのだが、男性に対しては誰だろうが距離を取ってしまう。
特にDomの男性は。
ゲイの自分でもおかしな拗らせ方をしているなと思うが、こればかりはどうしようもない。
学生の時分はそれなりに恋愛もしてきた。
身体を最後まで許せる相手には巡り会えなかったが、実らないものや、実った恋愛は多少ある。
ママゴトみたいな付き合いを何度か繰り返し、大抵は相手から去るという事を経験して、社会人になった。
だからというか、何というか、年齢イコール童貞と処女でここまできてしまったワケで……。
今まで付き合った相手は全てダイナミクス性では無い人達。
俺がSubだと解った上で付き合ってくれていた人達ばかりだが、やはり最終的には俺自身では無く、Subの俺に興味があった人達だった。
ダイナミクス性ではないノーマルの人でもSubに命令は出来る。Domよりも効きが悪い分、信頼関係が特に重要になり、心を通わせる事が出来れば、それなりに効果は出る。それによってSubもストレス軽減や快楽を得ることが出来るが、結局はDomの比では無い。
やはり一番はDomになる。
本能的なものやフェロモン等、全てを加味すればそうなるのは当たり前だ。俺は今までの人生でDomに出会った事があるのが今回の橘で二人目。
やはり人口比率的に見ても、ダイナミクス性に出会う確率は少ない。
まぁ、SubよりもDomの方が、権力や金の力でSubに出会う確率は上がるだろうが……。
やっとマンション前まで辿り着いた俺は、人の出入りが多いスーパーを横目にマンションに続く脇道を歩いていると、目の前で揉めている男女を視線に捉える。
痴話喧嘩か?………、昼間っから迷惑なんだよ。
しかも住人が歩く脇道を塞ぐように揉めているせいで、俺が通れ無い。
眉間に皺を寄せて溜め息を吐き出すと、俺は脇道から芝生に足を踏み入れる。
ここを通ら無いと部屋に辿り着けないのだ。
あまり揉めている人を見たくもなくて、視線を下に落としながら芝生を歩き二人に近付いていく。
いい歳した大人が恥ずかしく無いのかよ。
心の中で、悪態と呆れを交互に思い浮かべながら進んでいくと
「だから、無理だと言っている」
「私が困るんですッ!」
聞き慣れた声が、揉めているところから聞こえ、俺は視線を上げてしまった。
そこには橘と知らない女性が言い争っていて、俺が顔を上げたタイミングで橘と視線が合ってしまう。
ヤベッ……。
俺は咄嗟に首を下げて芝生に視線を戻すが、気まずい。
橘、お前こんなところで何やってんだよッ!
まさか知り合いが、白昼堂々女とマンションの前で揉めているとは想像出来なかった俺は、気まずさに首を下では無く、少し横に向ける。
あ~~~、サッサと通り過ぎよう!
なんで俺が気まずくなんなきゃいけないんだと、見て見ぬ振りを決め込んで、丁度二人の横に並んだ時
「最低ッ!!」
と、一際大きな声で女性が叫んだ直後。
バシャッ。
濡れた感覚が俺を襲ったと思った次の瞬間には
「熱っつッ!」
俺の首筋から肩、胸や腰辺りまで熱さを感じて俺は声を発した。
自分に何が起こったのか状況が整理できずに、咄嗟に揉めていた二人の方に顔を向けると、女性の手には大きなサイズのカフェでお持ち帰りするカップが握られていて、俺の側にいた橘は体を捻って固まり、俺を凝視している。
……………、お前ッ、避けんなよッ!!
女性が浴びせるはずだったコーヒーは、橘が避けた事で俺に掛かった事が解り、俺は橘を睨み付ける。
「石川君……ッ、大丈夫か?」
橘も状況を把握したのか、すぐに俺に近付くと
「こっちへ」
俺の手首を掴み、真っ直ぐマンションに歩き出す橘を、ハッと我に返った女性が
「ま、待ってよッ!話は……ッ」
「近付くな」
ビリビリと腹の底から響く声に、女性は一瞬で怯むとその場から動けなくなっている。
俺も橘のその言葉に一瞬持っていかれそうになってしまう。
……ッ、なんで……?一番キツイ薬飲んでんだぞ!?
だが、掴まれた手首が俺をその場に縫い付ける事は無く、橘に引っ張られるままにマンションの中へと入っていく。
橘に手を引かれるまま、普段使わない方のエレベーターのボタンを押した橘は
「それ、貸して」
空いていた方の手を差し出し、俺が持っている猫用の餌を掴む。
「え?いいって……」
「駄目だ、貸して」
グイと自分の方に強引に寄せて、俺の手から餌を奪う。
すぐにエレベーターが来ると、手首を掴んだまま俺と一緒に乗り込み、餌を持っている方の指で最上階のボタンを押す。
あ、このエレベーター……、専用かよ。
俺が普段使っているエレベーターは、最上階までは行かない。ある程度の階数で止まるのだ。
「…………、もしかしてお前、一番上に住んでるのか?」
ボソリと呟いた俺に、橘はチラリと視線を寄越しただけで、俺の問には答えない。
先程からピリピリとした雰囲気が橘から出ていて、正直言って怖いし、辛い。
コイツは俺がSubだと思ってないから、好きにフェロモンをだだ漏れにしている節があるが、少なからず俺に影響している。
さっきも、Subの相手に対してDom特有のGlareを使っていた。
Glareとは、Domが怒ったり、威嚇する時に使われるものだ。
基本はプレイの一環でSubに使われることが多いが、Dom同士の場合でも使われる事がある。その場合は威嚇で使われる事が殆どだ。
Subに使うのであればプレイの一環として、対パートナーに使ってこそのもの。
……、さっきのあの人は橘のSubだったのだろうか?
それを使われたSubは、強制的に本能で従わざるを得ないし、Dom同士の場合はフェロモンや本能ベースで強い者が勝つ。
きっとさっきのSubも本能で従うしか無かったはずだし、パートナーで無ければ、最悪サブドロップになってしまう可能性もある。
キツイ薬を飲んでいる俺でさえも、先程の橘のGlareを受けて、自分自身では足が動かなかった。あそこまで強いDomのフェロモンにあてられる事もそうそう無い。
Dom家系って言うのは、Subにとっては厄介だなと感じる。
人口比率的にみても、Dom同士の婚姻は多く無い。それはDomが人の上に立つ職業に就いている確率が高くても、その人がDomの確率は少ないから出会わない。それに人を支配したい欲求が強いDom同士が一緒になる事が稀なのだ。
大抵のDomはノーマルか、Subをパートナーに選ぶ。そのほうがDomにとって精神的にも身体的にも安定するから。
ポーンと音が鳴り、エレベーターが止まると、広いフロアーが目の前に広がる。
ホテルかよ。
橘は無言で歩き出すと、手首を掴まれている俺も必然的に歩かなければならない。
そのままフロアーから少し歩くと、通路を挟んで扉が二つ。
その扉の左側に橘は立つと、パンツのポケットから取り出したカードキーで、玄関を開ける。
……は?ワンフロアーに二部屋だけ?
え?俺の所は確か………六部屋あったはず。
マジかよ。
カチャリと玄関が開く音がして、橘は中へと入っていく。俺もそのまま一緒に。
玄関が閉まると、ガチャリと音がしてそのまま自動で施錠されるらしい。
玄関に入ると橘は、俺の手首を開放してくれたが、施錠音と同時にクルリと振り返ると、俺を見詰めて
「早く服、脱いで」
と、静かに言ってくる。
視線が合った瞬間に、ゾクリと背中の毛が粟立つ感覚。
…………ッ、ヤバイな。
フイと橘から視線を反らし、後ろに一歩退けようとするが、背中に玄関の扉があり立ち止まってしまう。
どうにかコイツと距離取りたいのに……。
橘の横に視線を向けて、空いているスペースに移動しようとした俺に、橘はズイと俺との距離を詰め
「聞いてるか?」
呟きながら、俺が着ている洋服の中に手を差し込んでくる。
「ァッ………」
差し込まれた手が、俺の腰から横腹へと洋服を持ち上げながらスイと移動する感触に、ゾゾゾッと痺れる感覚が俺を襲う。
小さく悲鳴にも似た声が自分から発せられ、俺はカッと顔に血が上る。それと同時に俺の脇腹にある橘の手首を掴んで
「ッ……、風呂場、どこ?」
視線を外したまま呟く俺の台詞に
「その先、左手」
と、俺に手首を掴まれてない方の指で、廊下の先を指す。
俺は掴んだ手首を振り払うと、靴を脱いで足早にバスルームへと歩き出し、バタンッと大きな音を立てて扉を閉めた。
はあぁ~~~っ。
「マジ、勘弁してくれ……」
額に手をあて、大きく溜め息を吐き出す。
橘から離れた事で、ピリピリとした雰囲気から逃れた俺は、着ていた服を脱ぎシャワーを浴びる。
コックを捻り、出てきたお湯に頭から突っ込み、視線を落とした先の俺のモノは、半勃ちになっている。
「クソッ」
アイツが俺の肌に触れた瞬間、理解した。
多分俺と橘は身体の相性が良い。
撫で上げたアイツの指先が、吸い付くように俺の肌と重なったから。
前にも何度か体に触れられた事はあるが、その時はアイツも俺も、もっと理性的だった。今回は状況的にも俺にとって分が悪い。橘から発せられるDomの圧と、『早く脱いで』と言った台詞が、お願いなのかコマンドなのか正直、解らなくなったからだ。
だが、理性が欲を否定した。
Domであるアイツを、俺の頭は拒否したのだ。身体は欲を求めたが、それを上回る恐怖心と嫌悪感。相反する感情が俺の中で渦巻いて、混乱する。
コーヒーがかかった箇所は、薄っすらと赤くなっていて、俺はお湯よりも少し冷たいと感じるぬるま湯で赤くなった箇所にシャワーを浴びせる。
ガチャ。
俺がシャワーを浴びていると、脱衣所の扉が開く音がして、身体がビクつく。
もしかして、入っては来ないよな?と、警戒した俺に
「着替え、ここに置いておくからな」
バスルームの扉の向こうから橘の声。
摺りガラス越しに橘のシルエットだけが見える。俺はシャワーの音で、聞こえてない風を装ったが、返事が無い俺に扉のドアノブが動くのが目に入る。
俺は咄嗟にそのドアノブを握ると
「解った!」
些か大きな声を出してしまい、自分でも動揺してしまう。
俺の声で、橘はその場で立ち止まっていたが、静かに脱衣所のドアを開けて出ていく。
俺はしばらくシャワーを浴びながら、昂ったモノを鎮めようと素数を思い浮かべる。
シャワーを浴び終わり、脱衣所へとあがると橘が用意したバスタオルで体を拭きながら下着を手に取る。
「…………は?」
手に取った下着に、俺は声を出してしまった。
何故か。それはめちゃ高い下着だからだ。
オフホワイトっていうブランドで、下着一枚で3万~。
………、アイツこんな良い下着穿いてんのか?
そこでハタと気付いた俺は、下着の下に置かれているスウェットを手に取ると、そのスウェットはディオール。
マジかよ……、上だけでも十万超えだぞ?
こんなハイブランドの服など着たことが無い俺は、一瞬着ようかどうしようかと迷ってしまうが、俺が着てきた服は既にここには見当たらなくて、仕方なく袖を通す。
着終わり、違和感に気付く。
確かアイツの方が俺よりもウエイトはあるはずなのに、今着ているスウェットは俺の体にピッタリだ。
……………、誰かのか?
橘のじゃなく、誰かのを着ていると思うと、何故かソワリとして早く帰って着替えようと俺は風呂場から出ていく。
風呂場を出て、一瞬キョロと辺りを見渡し……。
………、どこに行けばいいんだ?
広い室内でどこに橘がいるのか解らないが、まぁ大体は奥がリビングだよな?と奥に足を向け突き当たった扉を開ける。
「コーヒー飲むか?」
入った所はリビングで当たっていたらしい。
扉の前で突っ立っている俺を見付けて、橘がそう声をかけてきた。
「イヤ、帰る。餌は?」
先程よりも落ち着いたのか、橘からはあのピリピリとした雰囲気は感じられない。
俺は心の中で安堵の溜め息を吐き出すと、そう橘に言う。
「え?せっかく来たのにか?ユックリしていけば良い」
俺に近付きながら橘はそう言って、俺の前まで来ると、ペロリと俺が着ているスウェットを捲し上げ
「ちゃんと冷やしたか?」
と、コーヒーがかかった箇所を確認してくる。
俺は咄嗟に捲し上げられたスウェットをグイッと下におろすと
「たいした事無いッ」
まさかまたコイツに肌を見られるとは思っていなくて、俺は顔を横に向ける。
俺の態度に橘は、両手を上にあげて降参のポーズをすると
「さっきは悪かったな」
とだけ言う。
その台詞に俺は橘の顔に視線を向けるが、視線の合った橘の顔は悲しそうな顔で……。
フイと再び視線を外して
「………、別に……。てか、餌」
言葉少なく返す。
本当はシャワーを浴びながら、さっきの女は何だったのかと文句を言ってやるつもりでいた。
まぁ大体は予想できる。DomとSubの痴話喧嘩。
今まで橘からはパートナーの影は感じ取れなかったから、まさか決まった相手がいるとは思いもしなかったが……。
だが、橘のこんな表情を見てしまえば、文句を言う前に何も聞かない方がきっと良いと思ってしまった。
キョロキョロと、俺から奪った餌を探すが、見えるところには無い。
「何も聞かないのか?」
敢えて俺が何も聞かないと決めたばかりなのに、橘からそう尋ねられ俺は再び視線を上げる。
「聞いて欲しいのかよ?」
俺が聞き直すと、一瞬橘は無言になって
「嫌………、だが被害者の君には説明が必要かなと思って……」
「ただの痴話喧嘩だろ?」
ボソリと呟いた俺の言葉に、橘はキョトンとした表情をして、次いでは笑いだした。
「アハッ、ハハハッ!痴話喧嘩!……ッ、君にはそう見えたんだな?」
橘の反応が俺のそれとは違うことに眉間に皺を寄せ
「ッ……、痴話喧嘩だろうが?」
思いもよらない橘の反応に、俺は動揺しながらももう一度同じ事を言うと
「痴話喧嘩よりも質が悪い」
ひとしきり笑った後、肩をすくめながら橘が呟く。
「あ?さっきのSubは知り合いじゃ無いのか?」
ただ単に先程のSubに言い寄られていた可能性もあるが……、そんな相手にコーヒーぶっかけられるか?と、言ってからすぐにその線は消える。
「あの女は私の実家から送られてきたSubでね……、昔何度かプレイを楽しんだ相手だ」
橘の台詞に違和感を覚える。
Subと楽しむのは良い、それは個人の自由だ。ただ、実家から送られてきたと言う発言が引っ掛かった。だが、俺がそこまで深くコイツに聞く権利もない。
「で?またプレイしたいって懇願されたのか?」
安易な考えを口にした俺に、橘は苦笑いを浮かべて
「まぁそうだな……、実家からの言い付けらしいが、私はもう多数は必要無いからな……」
……………、は?多数?
橘の言葉に眉根を寄せると、俺が何に引っ掛かったのか理解した橘が
「………、昔ね、学生の頃はSubの多頭飼いをしてたんだ……」
その台詞にゾワリとくる。
話には聞いた事があった。
金持ちの道楽でSubを何人も飼い慣らすDomがいると。
金と権力を見せ付け合う為に、Subを利用する。
「ハッ……、多頭飼い……」
軽蔑の色を濃くして、俺は橘に繰り返し呟くと、橘は思いの外傷付いた顔付きで
「してしまった事はしょうが無いと思ってるし、実際私はその事で後悔もしてる。言い訳をしてしまえば、そういう家庭環境だったんだ……」
Dom同士の婚姻。
長くDom同士が一緒にいれる方法。
多分、橘の両親はお互いに沢山のSubを飼っていた。それで自分達のバランスを保っていたのか……。
んで、コイツにもそれがDomのあるべき姿だと教育してたって事か?
「吐き気がするな……」
「まぁ、そうだな。今となっては私もそう思う。多頭飼育がおかしな事だってな。それも私の場合は、大学の時に気付いた……」
「今は誰も飼ってないって?」
少し疑うように呟く俺に、橘は楽しそうに
「飼わなくても、発散する場所や、仕方は自分で学んだからね。それにさっきの人も、実家から私の様子を見てきて欲しいと頼まれて来た口だと思う。……まぁ、あわよくばって考えはあったかも知れないがね」
橘が以前に俺に言っていた。
実家との考え方が合わずに、家を出て自分の力でここまできたと。
Dom至上主義の生活環境や、周りの反応に対しての違和感、嫌悪。
俺は一つ溜め息を吐き出し
「まぁ話は解った。帰るわ」
「え?コーヒー、飲んでいかないのか」
「イヤ………、ここでは飲みたくね~な……」
見渡したリビングを眺めながら、俺は嫌そうに呟く。
今まで結構シリアスに橘と話をしていたが、違う意味でも早くお暇はしたかった。
それは部屋が恐ろしく汚いからだ。
何をどうすればここまで物を散らかす事が出来るのか……。これも一種の才能か?と思わされる。
「あ、………、汚いって言ってるか?」
「………、そうだな」
肯定した俺の物言いに、橘は苦笑いを浮かべて
「片付け、苦手でね……」
自分の頬を掻きながら気まずそうにそう呟く。
「金があるなら、誰かに頼んだら?」
ハウスキーパーを雇うくらい造作もない事だろう?と、俺も言い返したが
「イヤ……、来てはもらってるんだが……」
「は?来てもらってて、これかよ?」
橘の台詞に俺は驚きを隠せず、口走ると
「まぁ、月に何回かだけだからな……大概はこうなってる……」
「毎日来てもらえよ……」
そう言いながら、俺はムズッとどうしようもない感覚に囚われてしまう。
それは俺が、綺麗好きだからだ。
潔癖が多少入っていると自他共に言われるくらいに。
自宅では毎日掃除、洗濯はするし、愛猫のトイレも綺麗じゃないと落ち着かない。
週に一回は必ず床にワックスをかけるし、ベッドのシーツも出来るだけ毎日変えている。
性格やSubという性もあるが、汚いところを見ると、綺麗にしたいという欲求が頭をもたげるのだ。
「毎日はチョット……」
何を渋っているのか、橘の台詞に
「……、もしかしてお前、洗濯とか料理も出来無い系か?」
恐る恐る、けれどまさかなという気持ちで橘に尋ねれば
「洗濯は……、洗濯機はあるが基本クリーニングだな……。料理も外食が主だ……」
…………、はあぁ~。これだから金持ちは。
心の中で橘に毒吐いていたが、どうやら表情に出ていたらしい。
「昔から大抵の事は、手伝いの人がしてくれてたからね……、苦手なんだ」
悪気は無いのだろうが、金持ちだと言う橘の言葉を無視して、俺は再びキョロと部屋の中を見渡し
「餌は?」
と問うと
「あ……、玄関に置いてる」
「そか」
橘の台詞に、俺は帰ろうと部屋を出ていくと、俺の後を橘が付いてくる。
お見送りをしてくれんのかと、俺はそれを無言で許して玄関に置いてある餌を手に取り、靴を履く。
一度後ろにいる橘を振り返り
「この服、クリーニング出したら返すから」
下着はそのまま貰うとしても、橘のサイズに合わない服はきっと他の誰かのものだろう。
俺は橘にそう言うと
「え?イヤ返されても困る」
何故返すのかと、不思議そうに言う橘に
「お前のじゃなくて、誰かのだろ?」
服の裾を持ち上げながら聞く俺に、橘はしばらく無言だったが
「……、私が昔着てたのだから、要らないんだ……、サイズが合わなくなってるしな」
「は?お前の?」
「捨てようと思ってたんだが、捨て方が解らなくてそのままに……、貰ってくれると有り難いんだが……」
申し訳無さそうに呟く橘に、俺は小さく溜め息を吐き出し
「……………、解った」
一言だけそう呟いて、橘の部屋を後にした。
橘の部屋から自室に戻ってきて、餌をキッチンの戸棚にしまってから、リビングのクッションに落ち着く。
愛猫のティーとルゥが、嗅いだことの無い服の匂いを確認するために、俺の側でスンスンと鼻を鳴らしている。
……………、困った。
橘にとっては昔の、捨てるような服を着て帰っては来たが、腐ってもハイブランド物。
見る限り、縫製がしっかりしているのでホツレや汚れの類も無いし、新品だと言われればそう見える代物だ。
あのまま玄関で、オバちゃんが繰り広げる押し問答のやり取りを橘とする気が全く無かった俺は、そのままアイツの言ったように貰って帰っては来たが、正直良心が痛む。
たかだか肌が薄っすらと赤くなった程度の火傷で、この服は貰えない。
元はと言えば橘のせいでこうなったのだから、堂々と貰っても俺に罪は無いのだが、火傷の程度に見合う代物なのかと問われれば、きっと答えはノーだ。
俺が着ていた服は、近くの大型モールで買ったファストファッションの服。
上下合わせても一万以内で買える代物が、帰ってきたらウン十万に化けてるとか、詐欺師か?俺は。
「はぁぁ~、どうすんだよ……」
気にするなと自分に言い聞かせても、気になってしょうが無い。
着ているせいだな。と自分に言って、着替えたところで、状況は変わらなかった。
……………、ならば。と、自分を奮い立たせて、俺はキッチンに移動する。
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