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第7話
ピンポ~ン。
間延びしたインターフォンの音に、鳴らした自分がビクリと緊張してしまう。
さっきだって散々、インターフォンの前で押すか押さないか、延々と葛藤してようやく押せたのだ。
『石川、君?』
玄関先で緊張している俺に、インターフォンから橘の驚いた声が聞こえる。
『……………、開けてくれ』
インターホンのカメラに向かって言うのは抵抗があって、俺はやや顔を下に向けてそう言うと、カチャリと受話器を下ろした音が聞こえ、数秒後にバタバタと廊下を走る音。
ピッ、ガチャリ。
「どうした、忘れ物?」
まさか俺が再び橘の部屋の前にいるのが不思議なのか、首を傾げながら橘はそう俺に聞いてくる。
俺は無言で開いた扉の中にズイと体を進ませると、玄関で橘に紙袋を差し出す。
「ん?何だ?」
不思議そうなまま、俺から差し出された紙袋を理由も解らず受け取り、再び俺にどうしたのか?と聞いてくるが、俺は紙袋を掴んだ橘を置いて、部屋の中へと上がろうとすると
「イ、イヤイヤイヤ、どうした?」
焦りながら廊下へと踏み出した俺の手首を掴んで、先へと行かせないようにした橘は、俺の横に並んで
「無言は無しだ、どうした?」
ヒョイと視線を合わせようと、橘が少し身を屈めて俺の顔を覗き込むが、俺はずっと廊下の先を見据えたまま
「…………、それ、食え」
一言橘に呟いて黙りを決め込んだ俺に、橘はそれと言われた紙袋の中身を確認している。
数秒沈黙の時間が俺達を包んだが、次いでは橘の興奮した声で終わった。
「え?……もしかして作って……くれたのか?」
ブワワッ。と橘の台詞に俺は自分の顔が赤くなるのを感じて、掴まれた手首を振り解くとスタスタと廊下を直進する。
「お前がそれ食ってる間に、掃除してやる!」
早口に俺は言うと、勢い良く先程いたリビングの扉を開け、中に入ると持参したバケツを床に置いて、ビニール手袋を装着。
バケツの中に入れていた洗剤や、雑巾を取り出してバケツに水を入れようとキッチンに足を向けたところで、再び橘に捕まった。
「イヤ、何があってこうなった?どうした?」
混乱している橘は、捲し立てるように俺に理由を求め、今度は逃さないとばかりに俺の両肩をガシリと掴んでいる。
「見合わないだろ?」
呟いた俺の台詞に、橘は何が?と首を傾げたまま。
「………、俺の火傷と、貰った服のバランスがおかしいだろ?」
橘の顔を見れないまま、ボソボソと呟いた俺の台詞に、再び橘は固まると何秒間か俺を凝視した後大きな溜め息を吐き出して、自分の顔をガクリと下におろす。
「……ッ、君さぁ、そういうとこ……」
顔を下ろしてワケの解らない事を呟いている橘に
「見合わね~だろうが?……ッだから、安易で申し訳ね~けど……」
そう、俺は橘に手料理を作って来た。
先程ここに来た時に、コイツは飯を主に外食で済ますと言っていたし、この汚い汚部屋も俺は気になってしょうが無い。
ならば、部屋の片付けと晩飯を作ってくるということで、俺の中では……、まぁ足り無いとは思うがトントンかなって思ったわけだ。
金持ちのコイツに何かプレゼントするにしても、形が残る物は嫌だし、第一そんな金を俺が持ち合わせていないし、消えモンでお菓子とかも……って考えてみたが、また自宅を出て外に行くのが嫌だった。
だからといって後日、いつ出るか解らない外に行くときにお菓子を買うのも面倒臭いし、その間俺の気持ちが落ち着かない。
これからもジムでコイツと会うだろうし、その度に何か……借りを作ってるみたいで、俺の気持ちが納得しない。だからこれは俺の為でもあるワケだ。
「解ったら離してくんね?この汚部屋、片付けたい……」
「部屋まで片付けてくれるのか?」
「あ?だからそう言ってんだろ?」
言いながら俺は手に嵌めているゴム手袋を橘の顔の前でヒラヒラさせる。
俺のゴム手袋を見て、橘はクスッと笑うと
「だったら一緒にやらないか?」
そう呟いた橘の言葉が意外で、俺は視線を橘の顔に向けると、今まで見たことの無い表情とぶつかる。
「…………ッ、それじゃ、意味ねーだろ?」
愛おしい人でも見るような視線。今までは笑顔でも、決して目は表情を出すことが無かったのに今回は目も笑っていて、俺は戸惑い視線を外す。
「二人でした方が早く終わるし、何なら君が持ってきたご飯を一緒に食べよう」
「だから、それじゃ意味が……ッ」
「けど、私一人じゃ食べ切れないと思うが?」
「……ッ」
人に手料理を作って食べさせた事は無い。
いつも自分だけの分。
だから量的にも俺がいつも作っている量を作れば問題無かったのに、気付けば結構な量になったのは想定外だった。
タッパーに詰めようにも全部は入らなくて、結局家にある一番大きな重箱に詰めてきてしまった。
俺は橘の台詞に恥ずかしくなり、下を向く。
だってまるで俺がコイツと一緒に食べようと重箱に入れてきたみたいだからだ。
………、別に全部詰めてこなくても、俺分を置いて、コイツの分だけタッパーに入れてくれば良かったのか……。
今更ここでそれに気付いても、後の祭りで……。
「解ったよッ!じゃぁこき使ってやる!」
なかばヤケクソ気味で言い放ち、橘の両腕を振り払うと
「俺が指示出すからな、ちゃんと言うこと聞けよッ!」
ビッと俺は橘に向かって指をさすと、アハハッ。と楽しそうな笑い声が返ってきた。
やはり一人でするのと、二人でするのとでは、片付けるスピードが違う。
俺はテキパキと手を動かしながら、口で橘に指示を出していた。橘もスイッチが入ったのか、センスが良いのか、言われた事はキッチリとやりこなす。
しかも、早いし綺麗にだ。
コイツ、本当は自分でも片付けれるんじゃ……。と何度か思ったが、口には出さずお互い真面目に片付けに取り組んだ。
「………、終わったな」
「……、そーだな」
俺と橘は二人並んで部屋を見渡す。
乱雑だった部屋は、床が見えて光っているし、テーブルや棚には埃一つ付いていない。
二人共やりきった清々しさに、立ち尽くし言葉を無くして部屋を見ている。
と
グリュルルル~……。
隣から大きな腹の虫が聞こえて、俺はブハッ。と吹き出す。
「お、っ前……クックッ……何だよそれ」
「イヤ、さすがに腹が空いた」
「飯、食うか?」
「食おう、楽しみにしてたんだ」
俺の言葉を真似して言う橘に少し違和感を覚えながら、俺もクスリと笑う。
リビングのテーブルに置いていた紙袋を橘が俺の側まで持ってきて手渡してくれると
「多分レンジは使えると思う」
フンスとドヤ顔で言われるが、その台詞に
「使ったことねーのかよ」
と、呆れながら返す。
まぁ、キッチンは綺麗だった。
月に何度か来るハウスキーパーの人が綺麗にしてくれてるはずだし、外食ばかりと言っていた橘がキッチンに入る事もそうそう無いのだろう。だが、設備は良い物が揃えられている。
これらを使ってないとは……、本当に宝の持ち腐れと言わざるをえない。
キッチンで唯一汚かったのは、カウンターだ。
その上に酒瓶がズラリと置いてあった。それもどれも空き瓶の状態で。
酒瓶の種類も様々で、一番多かったのがワインの瓶、次は日本酒が多かった。
飲まなそうな顔して、コイツ結構飲むんだなと意外で、印象深い。
「勝手に皿、使っても大丈夫か?」
イソイソと酒の入っている棚から、今日は何を飲もうかと考えている橘に声をかけると
「あぁ、好きに使ってくれ」
とお許しが出たので、食器棚から適当に何枚か取り出すと、それを先ずは洗って、拭いて、重箱の食材を移し替える。
それからラップをふんわりと皿にかけたら、レンジにかけてチンだ。
「君も飲むだろ?」
橘がそう言いながら俺の後ろにある食器棚から酒用のグラスを取り出しているので
「イヤ……俺、下戸なんだ」
「え?そんなに飲めそうな顔してか?」
「オイ、失礼だな」
「そうか……、なら水しか無いが……」
「十分」
俺が下戸だと聞いて、途端に残念そうな表情になる橘だが、俺は内心安堵の溜め息を吐く。
抑制剤を飲んでいるので、基本的に酒は飲めない。酒を飲んでしまうと、抑制剤の効果が薄まるとされているためだ。
それに俺は基本的に酒を飲まない。それは先程も言ったように下戸だからだ。会社員時代は付き合いとかでよく居酒屋は行っていたが、俺は酒を飲まずに盛り上がっていたから。
タイミングよくレンジからチン!と音がして、俺は皿を取り出し、次の食材を温める。
「これ、持っていって良いのか?」
俺の肩越しに橘がヒョイと顔を覗かせて呟く。
「あぁ、今してるのが終わったら食べれる」
「そうか、美味そうだな」
橘はそう呟いて、温めた皿とグラス、水を、どこから出したのか盆に乗せてリビングに歩いていく。
しばらくして温めが終わった皿を持って、俺もリビングのテーブルに近付くと
「好きなところに座ってくれ」
片手を広げて橘が言うので、俺はソファーを背もたれにして床に腰を落とすと、ソファーに座っていた橘は一瞬固まり
「……、そこで良いのか?」
俺が床に座ったのが意外だったのか、そう呟いてくる。
俺は無意識にしてしまった自分の行動に一瞬固まってしまうが、咄嗟に
「ッ、テーブルとソファーの高さが合わないだろ?だからここで良い」
苦し紛れの言い訳を呟きながらも、ドッドッドッと鼓動は早鐘を打っている。
橘は俺のパートナーでは無い。だが、俺の無意識が奴がDomであることを俺に伝えての行動だと言ってくる。
「ン、そうだな……」
俺の台詞に橘は納得したのか、俺同様にソファーから床に移動すると
「この方が食べやすいか」
俺と同じ視線の高さになった橘は、俺の方に顔を向けると
「頂きます」
ニコリと笑いかけながら、両手を合わせ箸を持つ。
「あぁ、頂きます」
俺も橘にならって呟き、カラカラになった口の中を水で潤すと
「ん、上手いな」
料理を食べながら呟く橘に、少し安堵し
「……そうかよ」
と、答えながら、俺も箸を付ける。
皿に盛っていた料理があらかた片付いてくると、橘は酒を飲む量が増えた。
それにともなっていつもより饒舌になる。
「君さぁ、ここで働かないか?」
先程から橘に、この家のハウスキーパーになれと口説かれている。
「お前、何度も同じ事言わせんなよ。ならねぇって言ってんだろ」
いくら俺がそう断っていても、ケタケタと笑い、話を逸してまた同じ事を言ってくる。多分、俺がうん。と言うまで続くような気配だ。
「なぜ?良い案だと思うんだが?」
そりゃぁ良い就職先だとは俺も思う。
外に出るのは、下のスーパーだけだし、掃除も料理も苦にはならない。橘の提案を聞いていると、夕方までの拘束時間だし、愛猫に何かあっても職場が近いから直ぐに対応出来る。
だが、俺は何度も言うようだが、Domが嫌いだ。
コイツがDomじゃ無ければ、すぐにでも了承してたと思うが、一番そこが引っ掛かる案件でもある。
まぁ、今までコイツと会ってみて俺がイメージしていたDomとは違っている事の方が多いが……。
「はぁ~、お前俺がDomが嫌いって前に言ったの覚えて無いのかよ?」
「覚えてる」
「だったら解るだろが」
「あぁ、けどDomというか、私のイメージは良くなっただろ?」
今し方俺が思っていた事を橘が呟いているので、小さく笑ってしまった。
自分の事を良くなったと言う感じはどうだろうか?しかもDomのコイツが。
常に人の評価はしていても、自分が評価される側になっている事が新鮮なのだろうか?
………、何だか楽しそうだしな。
「はぁ~、じゃこれでどうだ?」
橘は溜め息を吐き出しながら、テーブルの上に置いていた自分のスマホを手に取って、何やら操作をすると、バッと俺の前に画面を見せる。
そこには数字が入力してあり
「月にこれだけ支払おう」
提示されている破格の値段に、俺は目を剥く。
「お、お前……ッ馬鹿じゃねーの!?ハウスキーパーでこの給料って…………、馬鹿じゃねーの!!」
「馬鹿、馬鹿うるさい。来るのか?来ないのか?」
橘の台詞にグヌヌッ。と難しい表情を作って悩んでいる俺に、橘は口の端を楽しそうに歪めて
「じゃぁ、明日から宜しく頼むな」
と、俺が本当は了承したいが出来ないと解った口振りで、サッサと話をつけてしまう。
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