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第33話 橘先輩からの話
葵が本格的に体調を崩したのは、本当に僅か三か月前の事だそうだ。視力が落ちたって言ってた頃だ。珍しく喧嘩した時、葵は自分の身体の変化を不安に思っていたのだろうか。
あの後のシティホテルでの二人の時間、俺の写真が欲しいと言ったあの瞬間、学校が違うから会えないって言ったのは、本当は…。いつから、葵は俺に何も告げずに、目の前から永遠に消えるつもりだったんだろう。
単純な俺は、葵の予想通り自分を傷つけられた事にいっぱいになって、葵の本当の姿を見つけることが出来なかった。葵がΩと番うと言って、俺を自分から離す事なんてあり得ない事だったのに…。
俺は目の前の元水泳部部長だった橘先輩の口から解き放たれる言葉の重さに、心が受け止めきれずに何なら気分まで悪くなって来た。マジで吐きそうだ。
ここに橘先輩以外の人間が居なくて良かった。どこか、現実味のない橘先輩の話が終わって、俺はぼそりと呟いた。
「…葵は、あとどれくらい生きられるんですか。」
橘先輩は手元の空になった、ルームサービスのコーヒーカップを手持ち無沙汰に触りながら言った。
「ハッキリしたことは言えないらしいが、今の状態だと、二ヶ月ほどだそうだ。脳の腫瘍の大きくなるスピードが速いばかりか、発見した時にも浸潤型で手術は出来ない難しいものだったそうだ。
今ならまだ、話せる。時々酷い頭痛があるみたいだが…。葵は笑って言ったんだ。あの生意気な涼介を出し抜いてやったって。でもその笑顔は泣いてる様にしか俺には見えなかったよ。
葵は三好を苦しめたくなかったんだよ。酷い振り方をして、自分のことをすっぱり忘れてくれる様に望んだんだ。でもあんな顔で笑う葵を見たら、俺たちも黙っていられなくなった。
葵が望むのは、今も大事に想っているお前にひと目会うことだろうからな。あいつ調子がいい時は、いつもお前との写真を見ているんだ。…辛いよ。
俺が教えるのはここまでだ。あとは自分でどうするか考えてくれ。葵自身が望んだ気持ちを尊重するのも…ありだとは思う。だけど、あいつはあと二ヶ月で永遠にここから居なくなってしまう。
…これが、葵の病室の部屋番号だ。」
橘先輩はそう言ってメモをテーブルに置くと、立ち上がって部屋を出て行った。俺は整理がつかないまま、ふらりと立ち上がって備え付けの冷蔵庫から冷えた水を取り出した。手が震えて、キャップが開けられなかった。
込み上げてくる吐き気に、俺はトイレに駆け込んだ。俺は空っぽな胃から何も出ないのに、苦しくて堪らなかった。そして、今の俺の何倍も、何十倍も辛いだろう葵を想ってトイレに蹲って泣いた。
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