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第34話 馬鹿な葵

俺は病室のドアの前で、きっと何分も立ちすくんでいたに違いなかった。微かに動く気配がして、俺は思い切ってドアを引いた。音もなく横に開くドアは、背中を起こしたベッドの上で身動きしてこちらを向く葵の姿を俺に見せた。 俺たちは声もなく見つめ合った。それが10秒ほどだったのか、30秒だったのか、それとも1、2秒の事だったのか…。葵が、くしゃりと泣きそうに顔を歪めて掠れた声を出した。 「何だ。バレちゃったのか…。せっかく…。」 俺はそれ以上言わせなかった。こんな葵にこれ以上強がって欲しくなかった。俺の腕の中で、葵は嗚咽を漏らして身体を震わせて泣いていた。 俺の記憶に無い葵の骨張った身体は、橘先輩の話が事実だと俺に実感させた。俺は黙って葵の嗚咽が聞こえなくなるまで、ずっと抱き寄せて、背中をさすった。 「涼介、さすがに苦しい…。」 俺はハッとして腕の中から葵を引き剥がして、目元を赤くした葵を見つめた。すっかり痩せた葵は苦笑して、俺の顔を冷んやりした指先でそっと拭った。 「涼介、泣き過ぎ。でもレアものだな。」 そう言って微笑む葵は、俺の知ってる葵そのままだった。 「…馬鹿だろ。そう簡単に俺のこと騙せるとか思ってたの…。でも、橘先輩が篤哉に教えてくれなかったら、俺きっと知らないままだった。 俺は、葵に振られた自分を憐れんで、全然葵の事見えてなかったんだ。よく考えたら変な話だった。気づけなくてごめん。俺子供っぽかった。でも、葵も馬鹿だよ…。」 俺は自分の声が震えるのを感じて黙ってしまった。喉が締め付けられて、無様にも葵の前で号泣してしまいそうだった。そんな俺に葵はクスっと笑って言った。 「会いに来てくれてありがとう。本当はずっと涼介に逢いたかった。…俺は涼介が知らない方が楽だと思ったんだ。だって涼介は、俺が死んだ後も人生が続くだろ? 俺のことで傷ついて欲しくなかった。…苦しませたくなかったんだ。」 俺は葵を睨みつけてから、少し乾いた唇に優しく口づけて呟いた。 「何も知らずにいた方が、きっともっと傷ついた。葵が苦しんでいる事を知らなかった自分を、きっと憎んだと思うよ。だから葵は馬鹿だって言ったんだ。 俺のことまだ全然分かってない。俺は葵を支えることぐらい出来る。葵は俺に甘えれば良いんだ。」 俺がそう言って痩せて青白い顔の葵を覗き込むと、葵は元気な頃の様に瞳を煌めかせて笑った。 「…ふ。何か、涼介じゃないみたいだ。マッチョだな、お前。…じゃあ、甘える。涼介、もっとキス…。」 いつもマッチョだった葵は、今は少し小さくなって、俺の腕の中でキスを強請った。それが少し悲しくて、でも葵が腕の中にいる事が嬉しくて、俺は馴染みのある葵とのキスを心に焼き付けたんだ。

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