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第10話 惹かれ合う香り
ワインを飲みながら香りの感じ方、味わい方などを教えてもらい夕希は聞いたことをメモする。彼は今匂いを感じないので、記憶を頼りに説明してくれた。自宅に置いているワインは気に入って飲み慣れたものが多いので、実際の匂いをかがなくてもその香りを鮮明に思い描くことができるそうだ。
淡い金色と、琥珀色のシェリー酒を飲み比べながら夕希は味と香りを説明する。
「こっちは軽めで繊細な感じで、こっちは複雑で――ヘーゼルナッツみたいな香り。どうですか?」
「……」
夕希が感想を述べたのに隼一が黙っているので再度尋ねた。
「あの、隼一さん。違いましたか?」
「ああ、すまない。聞いてなかった」
「え? 今目を見て話してましたよね」
――もう、こっちはだんだん眠くなってきたけど頑張ってるのに。
「いや、君の目が綺麗だなと思って見ていたから聞こえてなかった」
「なっ――!」
瞬時に頬が熱くなる。
――急に何を言い出すんだこの人?
真剣にテイスティングをしていたはずなのに、二人の間に妙な空気が流れて夕希は動揺した。
「ぼ、僕の目なんてどうでもいいんです。そんなことより――」
「俺にとっては大事なことだよ。美しいものを美しいと言って何が悪いんだ?」
――美しい? 酔っ払って目が変になってるんじゃない?
「やめて下さい、変なこと言わないで」
こんなふうに面と向かって褒められることなんてないので夕希は恥ずかしくなって俯いた。
「せっかく褒めてるんだから堂々としていればいいのに」と隼一は不思議そうにしている。
――褒められ慣れてる美形はそうかもしれないけど……。
そうでない夕希はまるで口説かれてるみたいな気分になってしまう。隼一にとっては「その服良いね」という程度の意味しかないんだろう。でも「目が綺麗」なんて至近距離で言われたら恋愛慣れしていない夕希は軽く「ありがとう」と流すことができなかった。
――実佳が簡単にアルファに落とされたのを馬鹿にしてたけど、僕が同じようなことになるのは時間の問題かも……。
そして気づけば二人でワインを三本あけていた。普段たくさん飲めない夕希もかなりの量を飲んだ。お手洗いを借りようとソファから立ち上がったところ、ふらついて隼一に支えられてしまう。
「おっと、大丈夫か? 飲ませすぎたかな」
「すみません、自分でも気づかなくて……」
なぜか彼は夕希の手首を掴んだまま離してくれなかった。
「隼一さん?」
「悪い、少しだけいいかな」
何が、と聞く前に隼一の長い腕が夕希の背中に回ってきて、すっぽりと身体を包まれてしまった。
――え、どうしたんだ……?
「いい匂いだ。すごく落ち着く……夕希、こうされるのは嫌? 君は俺の匂いをなんとも思わない?」
ワインのせいで夕希は頭がぼうっとしていて、抱きしめられてもドキドキするよりは彼の体温が心地良く感じられた。
「隼一さんの香り、僕も落ち着きます」
部屋の中にいるのに、まるで森林浴でもしているみたいな――。
うっとりしていたら、隼一が腕を解いて顔を夕希の頬に近づけた。キスされるのかと思うほど近くで匂いを嗅がれる。すると段々鼓動が早くなり、酔いのせいではなく彼の匂いのせいで体が熱くなってきた。
「夕希……甘い匂いがする」
そう言って彼が夕希の目を覗き込んだ。さっきまで森みたいだった匂いにスパイスのような香りが混じる。それを嗅いでいたら、このままキスされたいという気がしてきて目を閉じそうになり夕希ははっとした。
「あ、そうだ僕トイレに行かないと!」
――何考えてるんだ。こんなことしに来たんじゃないだろ。
一旦逃げ出して用を足してからリビングに戻ると彼がグラスやボトルを片付けているところだった。誕生日の人の家に来て飲むだけ飲んで片付けまでさせてしまうとは――。
「あの、長居してすみませんでした。そろそろ僕……」
すると隼一が何気ない様子で言う。
「今夜は泊まって行くんだろう?」
「はい?」
――泊まる?
「だってこの時間じゃ電車も無いし、俺も飲んだから悪いけど送って行けない」
タクシーで帰りますから、と断わってもなお彼は夕希を引き止めた。
「部屋は余ってるから、遠慮しなくていい」
「でも……」
「急いでるって言ったのは君だろ? 今後酒のテイスティングや打ち合わせでこうやって遅くなることも多いと思うから、余ってる部屋をひとつ君専用にしよう」
「え?」
「プライバシーは守る。俺は立ち入らないから好きに使ってくれ」
――ここに僕用の部屋を用意してくれるだって?
夕希の困惑など意に介さずに隼一は話しを進めていく。
「ハウスキーパーが掃除に入るけど、それはいいだろうね」
「それはもちろん良いですけど……本当に良いんですか?」
「ああ。最初からこうすればよかったんだ。待っててくれ、今ベッドにシーツを敷いてくる。あ、その間に風呂に入ってくると良い」
結局仕事の手伝いという名目で、夕希は彼の家に部屋を有することになったのだった。
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