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第十二章・5
これが、響也の本音だ。
そんな哲郎の声を、麻衣は悲しく聞いた。
「婚約者を手に入れれば、次は世継ぎの赤ちゃんだ。それさえ手にしてしまえば、万々歳なんだよ、この男は」
「少し黙れ、哲郎!」
言い争う二人の男の間で、麻衣は瞼を伏せて考えていた。
そうかもしれない。
響也さんは、僕が欲しいと思って手に入れて。
そして次は、赤ちゃんが欲しいと思って、手に入れようとする。
だけど。
「だけど僕は、響也さんが好きです」
「えっ」
哲郎のだらしないネクタイを締めあげていた響也は、顔を上げて麻衣を見た。
「もしかしたら、子どもは授からないかもしれません。でも、一年間でも響也さんの傍にいられたら、僕は幸せです」
「麻衣……」
健気な麻衣を、哲郎も目を細めて眺めた。
(この子なら、響也を変えることができるかもしれない)
そこに、響也の執事・服部の声が響いた。
「響也さま、お時間です。執務にお戻りください」
「う……」
この後は、18時まで仕事をしなくてはならない。
だが響也は、服部にスケジュールの変更を告げた。
「15時まで、麻衣と過ごす。執務は、それからだ」
「響也さま! しかし、予定が!」
「睡眠時間を削る。それで埋め合わせよう」
そして、麻衣に手を差し伸べた。
「少しだが、共に過ごそう。何をしたい?」
麻衣は、目を輝かせた。
「僕、庭園を散策したいです。響也さんと一緒に!」
服部はぶつぶつと不平をこぼしていたが、哲郎の表情はほころんでいた。
小さな一歩だが、大きく前に踏み出した二人に、笑顔を贈った。
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