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せめて引き継ぎをしろよ、 そう思いながら、保健室の書類を全部引っ張り出して目を通した。それからなにがどこにあるのかの確認などなど…1日では把握しきれなかった。 月曜から出勤し始めて、金曜ともなるとだいぶくたくただった。 無責任な前任者はどんな奴なんだろう? 急なケガだとか病気だとか、そういうことであれば理解できる。だけどどうも違うらしい。 「生徒と色々あったとの噂」 「はあ?バカじゃねえのそいつ」 今日は土曜日で、環はうちに来ている。 「せめてさ、卒業してからだよね……」 「いやー…というか、恋愛感情湧く?子供だよ?」 「……想像したことないから分かんない」 「想像しなくてもいいんだよ、だめなんだから」 「そっか」 はあ、とため息をついてソファーに座った。 環は鏡の前で、先週買ったリップティントを塗っている。 「これかわいいね!ソノちゃんのおすすめ絶対信頼できる」 「何年見てきてると思ってんの」 色素が薄くて、目が大きい。 唇は日頃の手入れがいいのかつやつやして、ぽてっとしてる。 まっすぐきれいな鼻筋。 精巧に作られたように、とにかく環は美しい。 環は女性だ。 生物学的に見ると男性の体をしているけど、性自認は女性。これは、俺と環だけの秘密ということになっていた。ひた隠しにするのは、親の影響だとか、今まで過ごしてきた環境のせいだと思う。 週末はメイクをして、気分次第でウィッグをつけて、好きな服を着る。それから車に乗って、少し遠くに行く。 「へへ、できた!」 「じゃあ行くか」 「うん!」 親から貰った使い古しのセダンに乗って、今日は海の方へ行くことにした。砂浜にいる環の写真を撮ってあげたいな、と思って。 かわいい女の子である姿を、たくさん残したいと思う。 「ソノちゃんさあ、嫌だなとか面倒臭いなとか思わない?」 「なにが?」 「わたしがこうやってさ、押しかけて」 「別に思わない」 ハンドルを握る手を緩めた。 「でも、恋人できなくなっちゃう」 「俺の?環の?」 「えー、わたしはいいんだよ、できなくて」 「俺もいいよ。どうせ見つからない」 もう誰のことも好きになるつもりはなかった。 俺は男しか好きになれない。 これも秘密。環と俺は、ふたりで庇い合ってる。 単に仲のいい従兄弟同士に見えるけど、それ以上に抱えるものは大きい。 「あ、海だ」 きれいだねえ、という環の声が柔らかく響いた。

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