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何日か経って、仕事はそんなに忙しくもないけど、ちょっとずつ生徒と接することが増えてきた。
多分サボりたい生徒は俺の様子を伺っていて、なんとなく行っても平気かも…って、保健室に来るようになったんだと思う。
話しかけてきたら取り留めなく世間話をして、それとなく様子を伺って、
「次4限?」
「うん」
「授業何?」
「なんだっけ……あ、英語じゃん!夏目ちゃんかわいいんだよねー」
「夏目ちゃん?」
「先生だよ。んー……頑張って行ってこよっかな」
「うんうん、いっといで」
「行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
……環はかわいい。だけど夏目先生って呼べ。
そういえば今週末から夏休みになる。
とはいえ別にこっちは休みでもなんでもない。
前任は職員の健診の結果も、生徒の健診の結果さえも中途半端にしかデータ入力できてなくて、引くぐらい仕事が山積み。
既にため息を吐きまくっている。
夏休み前の今週で、一年生の分は入力を済ませたい…
夕方のほとんど生徒が来なくなる時間になったら、やっと落ち着いてパソコンに向かえるようになる。運動部の子たちがケガしないように祈りながら……
「ソノちゃん!!」
ノックもなく環が飛び込んできた。
「なに、どうした」
「テニスコート来て!早く!!」
あまりにも焦ってる。なんだ、生徒が熱中症にでもなったのか、
ペットボトルの水と保冷剤、清潔なガーゼを手に取った。急いで外履きに履き替えて、環の後をついていく。校舎は保健室と職員室・校長室くらいしか知らないから、初めてこんなとこ通った。
テニスコートには人だかりができている。
「みんな、先生呼んできたから離れて」
環は教師らしく生徒たちに声をかけると、ふわっと広がって中心が見えた。
「え?」
外部顧問だ。
ぼんやりして、座り込んでしまっている。
しっかり通った鼻筋は赤くなって、鼻血も出てる。とりあえずガーゼで出血を押さえて、赤みがある部分は保冷剤をあてた。
「なにがあった?」
真っ青で涙目になってる生徒の説明によると、素振りの練習をしている時に、ふざけて思いっきり振り抜いたらラケットがすっぽ抜けて、外部顧問の顔面に直撃。後ろに倒れて後頭部をぶつけたらしい。
脳震盪を起こしてるのかもしれない。
「先生、聞こえますか?」
ゆっくりと視線が動いて、目が合った。
「……はい、」
「お名前言えますか?」
「………関野です」
そうだそうだ、関野先生だった。
「どこが痛みますか?」
「…………あたま?」
「痛いですよね。関野先生は、何部の顧問ですか?」
「……テニス部です、男子」
「関野先生、立ち上がれます?」
「…はい、」
ゆっくりながら立ち上がった。
よろめくことはないけど随分ゆっくりなのは、痛みのせいか脳震盪を起こしてるからなのかは微妙なところだ。
先生の目の前でピースをした。
少し不思議そうな表情になる。
「これ、指は何本ですか?」
「二本です」
「じゃあこれは?」
「四本」
「うん、大正解です。じゃあ、テニス部のもうひとりの顧問は?」
「夏目先生です」
「完璧。吐き気や眩暈はしますか?」
関野先生は、目を一度ギュッと閉じて、少し深く息を吸った。
「大丈夫です」
「よかった。でも、今日はもう安静にして下さい。24時間の間に吐き気がしてきたり、頭痛が酷くなったり異変があったら、すぐ受診しましょう。とりあえずちょっと保健室で休みましょうか」
「はい」
不安げな生徒たちを見渡した。
「関野先生は軽く脳震盪起こしてるんだと思うから、今日のところは夏目先生に指導してもらって下さい。場合によったら明日も安静がいい可能性もあるから、そのあたりも夏目先生から指示貰って下さい」
環を見ると、少し涙目に見えた。
けど、キリッとした表情になって頷く。
関野先生は意識がしっかりしてきたようで、生徒たちの方を見た。
「ごめんね、ちょっと休ませてもらう。心配しないで!夏目先生と自主練でもいいし、こんな気温だから休養取るでもいいと思う。みんなで相談して決めてくれたら助かります。今日は…えっと、曜日は、」
「火曜です」
「あ、ありがとうございます。明後日…木曜日にはまた一緒に練習しよう。夏目先生、あとはよろしくお願いします」
「はい、」
「じゃあ、お疲れ様」
そう言い終えたらこっちを見た。
それから少し微笑む。
関野先生の肩に軽く手を添えた。
「保健室行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
ゆっくりと保健室へ向かう。
足取りはしっかりしていて、今のところ特におかしい点は見受けられなかった。
ベッドの仕切りカーテンを開けて、どうぞ、と促すと、ありがとうございます、と言いながら腰掛けた。
「痛いでしょう、鼻」
「めちゃくちゃ痛いです……いやー、結構な勢いでラケットが直撃しちゃったみたいで、なんかちょっと記憶抜けてる気がします…ぶつけたあと、気がついたら大沢先生がいたので」
「そうだったんだ。だから環、あんなに焦ってたんだな」
「そうだ、練習見てなかったのに、なんで環…ああ、夏目先生が来てくれたんだろう?」
「…別に、俺の前で呼び捨てで呼んでても何も言いませんよ」
「すみません、」
「生徒が環のこと呼びに行って、って感じだったのかも。とりあえず今のところしっかりしてそうで良かった」
「ありがとうございます、すぐ来て頂いたから」
「いやいや、先生が丈夫なんだと思います。環が言ってました、ジム行って〜とか、トレーニングして〜とか」
「はは、そうなんですね」
「あ、明日はだめですよ、トレーニング」
「……そっか…色々連絡しなきゃ」
「あ!あんまりスマホ見たりも良くないです。テレビも。あと、先生は誰かと一緒に住んでたりします?」
「え?」
「あー、まだこれからガクッと悪くなる可能性もあるんですよ。急に倒れるとか、ものすごい頭痛とか…だから、あんまり1人になるのは良くないです」
「……一人暮らしです…」
「……まあ…ですよね…」
関野先生は鼻にあてていたガーゼを外して、ゴミ箱に捨てた。鼻筋は赤紫色になって、目頭あたりまでその色が広がっている。
「保冷剤、取り替えますね」
柔らかい保冷剤を取り出して、関野先生の隣に座った。顔をこちらに向けようとするから、そのままで、と言いながら顎に手を添えた。覗き込むようにして顔を見た。
……すごくモテるんだって!…って環が言ってたのを思い出した。でしょうね、と思った。
いわゆる男らしい雰囲気。なんかこう、彫刻みたいな感じもある。…なんだ、筋肉質だから?…それだけじゃなくて、顔が。
その彫刻みたいに高い鼻に、そっと保冷剤を押し付けた。
「痛いですか?」
「痛いけど、大丈夫です」
関野先生は保冷剤に手を添える。
指先が触れ合って、ドキッとした。
……なにこれ、なんか、嫌だなこの感じ、
目が合って、また微笑みかけられた。
柔らかい笑顔。優しい感じ、
………いやいやいやだめだから好意持つとか
「彼女に来てもらうとか。彼女の家行くとか」
あー、それがいいですね、そうします。
って言葉に期待した。いや、期待してない、
「彼女いないんですよね……」
「え、」
「え?あ、…はは、孤独です!大沢先生はいそう〜!」
「え?」
「だってすごいきれいじゃないですか」
「は?」
「え、あ、ごめんなさい嫌ですよね、きれいとか…でもほんと、そう…なんていうかな…あ……あーーーあれかな、頭打ってちょっと語彙力というか、ワードセンスというか、そういうのあれになっちゃったかなあ?」
…思わず笑ってしまった。
なんだよこういう感じ、好きになってしまう、困る、良くない、
「とにかく、俺はそばに誰もいなくて……え、倒れたりしたらどうしたらいいんだろう……あ、それで大沢先生は彼女いるんですか?」
「……何の話してんですか」
「いるかなーと思って」
「いません」
「おお」
「何ですか」
「同じだ」
「じゃあ同じ立場ということで、今晩は助けてあげます」
「え!いいんですか?」
「うちに来てください」
………何を言っちゃってるんだろう俺は、
「お、お邪魔させてもらっていいんですか…!」
「どうぞ。うちで良ければですけど」
本当に、なんて事言っちゃったんだろう
「ありがとうございます、ああ……すごい嬉しいです」
目が合って、すぐ逸らしてしまった。
すっごい顔が熱い。多分真っ赤になってる。
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