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土曜は学祭の一般公開日初日で、すごい人だった。クラスにいなきゃいけない時間以外はなにか見て回ろうかと思ったけどやめた。明日はサボればいいかなと思う。
校舎の、できるだけなにもやってないエリアを選んで移動した。それでもときどき声を掛けられた。文化祭は誰かに思いを伝えるのに、背中を押してくれるイベントらしい。
俺は夏目先生に好きですって言ったとき相当なエネルギーを使った。俺にそう伝えに来る人達も、そうなのかな。だとしたらなんか苦しいなと思う。でも伝えてくれた誰とも付き合いたいとは思わなかった。
保健室の周りも結構人がいて、なんとなく行くのが大変そうだったから、結局行ったこともない屋上に通じる階段を登った。
だいぶ埃っぽい。
ドアノブに手を掛けた。開いてる気がしないけど、ガチャガチャやってみる。
「あ、」
開いてる!
ドアを押し開けた。少し重い。
いつも開いてるとは思えないし、誰かいるかもしれない。見回した。見覚えのある後ろ姿が見えて息をのんだ。
後ろ手にドアを閉めた。音が立ってしまった。
「あ、渡辺君」
夏目先生はそう言って、やっぱり笑った。
授業で見せる優しい笑顔。
「なんで、先生はここにいるんですか?」
「あー……なんか、ちょっと疲れちゃって」
風が吹いた。
先生は少し長い前髪を指先で耳に掛けた。
「渡辺君は?」
「俺もそんな感じです」
「そっか。出し物の当番とかはないの?渡辺君のクラスはなにやるんだっけ」
「ワッフル」
「いいなー、食べたい。あ、だいぶ前の話だけどありがとう、クッキーおいしかったです」
「あ…むしろすみません、でした、」
「え?なんで?」
「いろいろ変なこと、しちゃったし」
「……へんなこと」
「あ!変、っていうか…変じゃなくて、俺が….俺が変でした、あの時」
「…そっか」
柵に手を掛けて、先生は遠くを見つめた。
横顔から目が離せない。
どうしてこんなに好きだと思ってしまうんだろう?苦しい。今すぐに離れるべきだ。いや離れたくない。もっと見ていたい。触りたい。
触りたい、
どうしてそう思うんだろう?
少し手を伸ばそうとして、思い留まった。
隣に並んで、柵を掴んだ。
気まずい状況かもしれない。けど、先生の隣にいたかった。
ただそこにいながら、俺はやっぱり先生のことが好きなんだって強く思った。
「そういえば、渡辺君は美大に行きたいんだったっけ」
「あ、夏休みに合格しました」
「え!!すごい!おめでとうっ」
「ありがとうございます」
「よかったねえ!じゃあもうあとは卒業したらいいだけなんだ」
「そうですね。サボりすぎないようにしなきゃ」
「渡辺君ってサボったりしないでしょ?」
「論表はサボったことないです」
「えらいなあ」
「先生のこと見てたいから」
先生の目が泳いだ。
「……見ててもなにも、…いいこともなにもないけどね」
「風化すると思うんです、どんなことでも。大好きなことも嫌なことも。考えなくなって、見なくなったら、だんだん思い出すことができなくなる」
顔を覗き込んだ。近い距離。
長い睫毛。白い肌はびっくりするくらいきれい。細い鼻筋と、唇。
「先生のこと、見ないようにしようって思ってました」
「え、」
「見れば見るほど好きになるし、好きになればなるほど嫉妬するようになったから。例えばテニス部の奴に笑いかけてる姿を見たら、どうしようもない気分になりました。おかしいでしょ?これ以上好きになったら、どうにかなりそうだって」
自分でも何言ってんのかよく分からなくなってきた…
「先生とキスした日のことを思い出そうとしてももう、ところどころぼやけてる。絵に描いてみたけど、とても写実的には描けない。だけど、好きだって気持ちは全然ぼやけなかった。見たものは風化する。でも気持ちまでは風化させられなかった。先生のことをいくら見ないでおこうとしても」
柵にかかった先生の右手の上に、俺の左手を重ねた。先生の手は冷たい。いつもあたたかいんだって言ってた。今は冷たい。
「好きだって気持ちが霞んでいくには、どれくらい先生を見なければいいんだろう」
「……どれくらいだろうな」
先生の冷たい手が、俺の手から抜け落ちた。
「いくら僕のことを見ても、渡辺君は本当の僕を知ることはできない」
胸が握りつぶされそうに感じる。痛い。
「本当の僕を知ったら、渡辺君はきっと僕を嫌いになるよ。いくら僕を見ても、なんの感情も湧かなくなる」
「じゃあ教えて下さい。本当の先生を」
目が潤んでいるように見えた。
泣かせてしまったんだとしたらどうしよう、急に不安になってきた…
なんかこう、ちょっとでも、気持ちがゆるむような話しなきゃ、
「……俺、ソノに、狼男みたいだって言われました」
「……おおかみおとこ?」
「はい。好きすぎておかしくなりそうだし先生から離れなきゃ、って話したら」
「…なんだか、ロマンティックだね」
「そうなのかな」
「いいなあ、おおかみおとこ、」
先生は体の向きを変えて、柵に背中をもたれさせた。それで俺の方を見て笑った。
「狂わせてみたい、」
目線が外れる。
「そのままめちゃくちゃにされていっそ、殺されてみたい」
また目線が合ったときにはまた目は潤んで、悲しそう、でも、笑って
「一生に一回でいいから、そんなふうに誰かと、恋をしてみたかった」
その誰かに俺はなりたいよ、
と、叫びたかった。狂ったみたいに、
「今の話は、内緒ね」
「ないしょ」
「あーあ、明日は学校行きたくないな」
「明日は俺、サボります」
「ふふ、それがいいよ。僕はテニス部だ」
「あ!……あー…そうだった…」
「もしやソノちゃんから聞いたの?」
「うん、聞きました。ソノ、すごい殺気でした」
「たしかに、試しに着たときもすごかった」
「着たんですか」
「うん、試しにね」
「嫌じゃなかったですか?」
「なんで着なきゃいけないんだーって思ったよ。だけど…なんか、……まあいっかなーって………でも、目の毒になるだろうねえ。まあ、それで笑ってもらえたらいっか」
よくないに決まってる。
「やっぱり明日、行きます」
先生の笑顔を目に焼き付けるみたいに見つめた。
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