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第四話 ひとりぼっちのヒツジ

 記憶の中に、それははっきりと残っている。  和真は、なんとかの家とかそんな名前の場所で暮らしていた。「先生」と呼ばれる大人がそう名乗っていたのだ。大きな家にはたくさんの子どもたちが暮らしていて、和真もそのひとりだった。その記憶は少ないながらも、はっきりと残っているのだ。  やがて和真は、いつの間にか「両親」という存在と暮らし始めていた。「お父さん」と名乗る男性も、「お母さん」という女性も、とても優しくしてくれる。何不自由無い暮らしをさせてもらった。  深い愛情を注がれていた、と思う。運動会や文化祭には、必ずふたりでやってきて、ビデオカメラを回してくれた。和真もそれに笑顔で答えて、手を繋いだものだ。  彼らを「父さん」と、「母さん」と呼んでいた。「家族」だと思っている。そこに嘘偽りなどはない。  けれど、和真は小さい頃から気付いていた。彼らが、本物の父親と母親ではない、ということを。  それを和真は、表には出さなかった。高校生になった頃、おずおずと彼らは切り出した。自分達は本当の両親ではない、ということを。それに対して、和真は初めて知ったような顔をして。それから「本当の親が誰だとしても、自分の両親はふたりだ」と答えて。義父と義母が涙するのを見ながら、微笑んだのだった。  高校を卒業、大学に進学し、成人式も綺麗な写真を撮ってもらい。それなりの企業に勤める頃にはオーダースーツにコートも買ってもらえた。  順風満帆の人生、だと思う。何も苦労などしていないし、つらいことなど何も無い。  だというのに。  和真は毎晩、底知れない寂しさに襲われた。  それはまるで、暗い夜の湖にひとり浮かんでいるような、冷たくて静かな、けれどどこかどうしようもない絶望にも似た孤独感で。  いや、周りを見渡せば和真以外の存在も有る。空には満天の星が輝き、金色の月が静かに見下ろしている。森は佇み、微かな風に揺れさざめく。水面は絶えず小さく波を打ち、和真の身体を撫でた。  それでも、それでも。  和真は、どうしてだか、酷く「寂しい」と胸の奥から思うのだ。  ここには、何かが足りない。何が、なのかもわからないけれど。  やがて和真は、夜を誰かと過ごすようになり。それがセックスへと発展するのに、そう時間はかからなかった。  女はあまり好きじゃない。男とのほうが気楽に過ごせる。だから男を選んだ。大学時代は毎夜の如く、社会人になってからは週末に。数えきれない男と遊んだけれど、和真はついに、誰かを好きになったり、深い関係になったりできなかった。  寂しくて、寒くて震えているのに。セックスはできるのに。何故だか、相手が和真に手を伸ばそうとすると、そこから逃げてしまう。深入りしたくないし、されたくないのに、寂しくてたまらない。 『本当の両親に会いたい?』  義母に問われた時、和真は笑って首を振った。顔も名前も知らない人に、会いたいなんて思わない、と。事実そう思っていた。  本当の両親なんてどうでもいい。親は義父と義母だと、本気で思っている。それだけのことをしてもらった。彼らのことが好きだった。  それなのに、どうしても。寂しい気持ちが、全身を包み込む。そして和真は、人肌の温もりを求めてしまった。 『和真君、恋人作っちゃえばいいのに。そしたら相手を探す手間が無くていいんじゃない~?』  バーのマスターにはそう言われた。時間の空いている人間を探すのは、社会人になると随分面倒になったから。それもいいかもしれないと思った。  この底知れない寂しさは、恋人ができれば治まるかもしれない。 『ボクと付き合っちゃおうよ、和真』  リンとは気が合った。一緒にいると楽しいし、セックスの相性も良い。リンとなら、恋人になれるかもしれないと思ったのだ、あの時は。恋も愛もわからなかったけど、付き合えば芽生えるかもしれないと、本気で思っていた。  何もかも、うまくいかなかっただけで。  結局、和真は何も変わらず、寂しいままだ。 『あなた、そのうち刺されますよ』  シノの冷たい言葉を思い出す。  そうかもしれない。でも、何か悪いことをしただろうか?  ただ寂しくて、寂しくてどうしようもなくて。なんとかしたい、それだけなのに。そんなに、悪いことをしているだろうか。  ……しているかもしれない。リンが怒って、時計を取り上げるほどには。だんだん頼るべき場所が無くなってきているのも、自分の行いが悪いからなのかもしれない。  でも、じゃあ、俺はどうしたらいいんだよ。  こんなに寂しいのに、満たされないのに、胸が苦しいのに。  じゃあどうしたら俺は。  どうしたらよかったんだよ――。  わけがわからない。頭の中がグチャグチャだ。こんな時には、セックスをするに限る。考え事なんて吹き飛ぶほど、気持ち良くなればいい。誰か、誰か。そばにいてくれないか。何もかも忘れられるように。  そう祈るように叫ぶ。暗く寒い世界に、声は虚しく響いただけだった。   『……和真君は、優しい子だね』  薫の声がして、和真はハッと目を開く。  するとそこは、夜の湖などではなく、暗く鎮まりきった自室のベッドで。和真は何故か濡れた頬を拭いながら、身体を横に向け、布団をかぶる。  感傷的になるのは、部屋が寒いからだ。冬はいつもより、心を弱くさせる。きっと寂しさと冷たさが似ているからなのだろう。温かい部屋や食事は、それだけで人を癒す力が有る。  和真はひとつ溜息を吐いて、再び目を閉じた。  優しいのは、薫さんであって、俺じゃない。俺はただの、刺されても仕方ないようなクズ野郎なんだから。  そう思うのに、どうしてだか。薫のことを考えるだけで、胸が温かくなって。寂しさが和らぐような、それなのに、今すぐ彼に会いたいような、会いたくないような。そんな複雑な気持ちになるのだった。

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